「聞けば見えてくる」~3
片岡亮太
失明して数か月が経った頃だったでしょうか、当時少しずつ興味を持ち始めていたJ-POPの曲を聴いている時に、見えないはずの目でまるで万華鏡やオーロラを見ているかと錯覚するほど、不思議な色や模様が脳裏に浮かんでいることに気づきました。
しかも、具体的な形を成しているわけではないその幾何学模様は、どうやら音楽と連動して動いている様子。
さらにじっくり心の目を研ぎ澄ませてみると、この楽器にはこの色というふうに、配色について一定のパターンもある。
うまく言語化できるかはわかりませんが、それは例えばこんな感じ。
ピアノは白にほんの少しだけ薄い水色を混ぜた勾玉のような形。
アコースティックギターは、淡いグリーンやブルーの線が重なり合った模様。
エレキギターは濃い黄色か明るいオレンジの光。
ベースは深い紺とか紫の円。
ヴァイオリンは薄いグレーに青を混ぜた太い糸のようなもの。
シンバルはメタリックな水色。
スネアドラムは白い楕円。
フルートは深い赤から華やかなピンク色の丸みを帯びた星とか花のような形。
トランペットやサックス、ホルンなどのホーンセクションは、濃い黄土色や茶色みがかったオレンジの感嘆符みたいな模様。
……、30年近く目で色を見ていない僕が、弱視だったころの記憶を頼りに言葉にしているため、我ながらよくわからない表現ではあるのですが、こんなものが登場しては、くるくる回ったり上下に動いたりする様を、僕は音楽を耳にするたびに見ています。
現在は、そういった映像に合わせて、実際の楽器の形やギターのコードを押さえた時の指のポジションなども重なるように見て(感じて)いるので、最初にこの感覚に気づいたころとは多少様相は異なるのですが、今もあらゆる音楽に自動的に映像が付与されています。
後に知ることですが、これは五感の一つが刺激されると他の感覚も反応する「共感覚」の一つで、「色調(しきちょう)」と呼ばれるもの。
僕は10歳まで目が見えていたために、音を聞いた瞬間に聴覚だけでなく、脳の中の視覚をつかさどる部分にも刺激が伝わり、まるで何かを見たような錯覚を起こし、色や形を僕に見せているのだそうです。
その研究をしている方たちに以前お話を伺ったところによると、色調の感覚を持つ人の中にも一定の規則性があり、多くの場合高い音は明るく、低い音は暗く見えるのだとか。
それはフルートの音が赤、ベースが濃紺に見える僕にとっては納得のいくものでした。
この色調、先述の文章を読んでいただいてお分かりの通り、実際の楽器の色とは何の関連もありません。
しかしながら、僕はいつもそれぞれの楽器の音と連動して色を想像しているものだから、実物に触れた時にも、つい、フルートは赤、エレキギターは黄色のように、脳内イメージと同じ色だと勘違いしそうになるので困ったもの。
ただ、例えばパートナーの山村優子のホルンの音色を初めて聞いた瞬間には、その音が見せてくれる色と、和太鼓の音の色とが似ていたため、「きっとこの人と演奏したらよいアンサンブルになる」と確信するということがありました。
そんな風に、目では色を見ていない僕ではありますが、音が想起させてくれる色を、創作のきっかけにしたり、楽器同士の相性を探る際の一つの判断材料にすることはままあります。
実はそれは、人の声にも言えること。
「声色」という言葉があるように、人の声もまさに十人十色、それぞれの色を持っていると僕は感じています。
同様に、話している時、喉にどのくらい緊張が走っているかによって声質が変化するからだと思うのですが、僕には力んでいたり余裕をなくしている人の声は、まるで漫画などの吹き出しのように、口元のあたりでぎゅっとすぼまった形に見えます。
逆にすごくリラックスした人の声は、筒形をしている。
また、こちらに対して心を開いてくれているなと思う人の声は、花びらが開ききった花のような形に見えるのに対し、「この人、本音を隠そうとしているけど、仕事で僕を利用しようとしてるかな?」とか、「丁寧に話しているけど、なんとなくバカにされている気がする」と思う人の声は、きゅっと閉じたつぼみのように見えます。
この感覚に気づいたのは、地元の盲学校(現、視覚特別支援学校)時代のこと。
きっかけは、知的障害を有する、いわゆる重度重複障害のある友人たちでした。
彼らに対し、僕自身が当初差別意識を持っていたことを反省し、友達としてかかわりたいと思うようになり、彼らもその気持ちにこたえ、僕を信頼していると、その行動で示してくれるようになっていたある日のことです。
同級生の一人を観察していると、何かを指示されたときにすんなり従う先生と、そうではない先生がいることが気になりました。
そこで、双方の先生の声を聞き比べてみると、静かだけど声に丸みと開けた印象を抱く先生の言葉にはすぐに反応している一方、明らかに、あえて言うことを聞いていなさそうに思えた先生の声は、明るくて大きな声ではあるものの、何かとがったものが感じられたり、一枚仕切りがあるように見える。
それ以来、人の声に対する、僕なりの聞き方が生まれました。
もちろん、何の根拠もないこの独自の視点を完全に信用しているわけではありません。
けれど、嘘をついていたり、隠し事をしていたりする人の声はなんとなくピンとくるものがあるし、本音で語ってくれている人の声にもそういう人独特の響きがあるので、僕にとって人の声は世間の荒波を乗りこなすための大事なバロメーター。
癖の強い人の多い音楽・パフォーマンスの世界にいながらも、誰かに騙されたり、人間関係でひどい目に遭ったりしたことがあまりないのは、もしかしたらこの感覚によるものなのかもと時折思います。
この特殊な聞こえ方、僕の場合はたまたま失明がきっかけで生まれましたが、色調も、声に形を見出すことも、視覚障害の有無に関わらず、だれにでも備わり得るもの。
皆さんも、目を閉じてじっくり音や声に耳を澄ますことを続けてみてください。
ひょっとすると、今までは気づいていなかった何かが不意に見えてくるかもしれません。
◆プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。






