第1話 外出時のあるある体験
はじめまして、私の夫は脳性麻痺で重度障害者、車いすユーザーです。
外出時に「これって車いすユーザーあるある?それとも変わった体験?」 と苦笑いする事があります。
例えば娘が小さい頃、夫の膝に娘を乗せて私が車いすを押して公園に行き3人でお弁当を食べているだけなのに
「仲の良い家族に感動した」と言われるとか、
お店や病院などで、知らない女性が傍に座って来て「大変ですね…」と突然夫の手を握り撫でてくるとか。
家族連れの健常男性の手を握り、撫でる人はいないと思うのですが、
相手が車いすだとその行為が許される雰囲気があるのでしょう。
妻としては大いに嫉妬する瞬間です。
そしてこれはよくありますが、
すれ違う時やエレベーター内で居合わせた子供がこちらをジ~ッと見てきますよね。
夫が笑顔で反応すると、ニコッと笑い返す子の親は友好的です。
逆に不審者を見るような目になる子の親は私達と関わり合いになりたくない態度をとります。
私はこういった様々な反応をされる度に「街に障害者や車いすユーザーが居るのは普通」と、
どの子も感じられる世の中になれば、お互い楽で良いのになぁと、期待を込めて思うのです。
第2話 笑ってる場合ですよ^^
脳性麻痺1種1級の夫は当然の事(?)発語障害があります。
いくら普段から聞き慣れていても、過緊張で呼吸が整わなく浅い呼吸しかできず、
声を出そうとする時に喉と口の筋肉がこわばって発語する調子が悪い時、
声が小さく聞き取れないとか、訳の分からない言葉にしか聞こえないといった事があります。
昔の事ですが「ドーナツうんこもらえる」と聞こえた事がありました。
正解は「ドラミちゃん冷温庫もらえる」。
某引っ越し屋のTVコマーシャルの話でした。
こんな事はしょっちゅうで、ひどい時には、
「ちょこ~にゃちょっとこなーとぴっこーしちゃう」とロシア語でも話しているのかと思ったら
「遠くにやっとかないとひっくり返しちゃう」と、普通の日本語でした(ちなみに夫はロシア語話 者です)。
最後の部分しか合っていませんね^^
過緊張で息を吸って吸って・・・吐けないって状況、笑っている場合じゃないですね。
でも、他人に障害の事で笑われると腹が立ちますが、家族間では笑い合える不思議。
我が家では聞き間違えた言葉を速攻でメモしてネタにしています。
夫も「ひっでーな!」と言いつつ満面の笑みで許してくれています。
第3話 障害受容の苦悩に対して
早産で呼吸がなく産まれ、脳性麻痺で四肢麻痺を負った夫は、
私と結婚した時には障害者歴48年の立派な?障害者で、
自分を受け止めているように思えました。
でも、今年64歳。年齢に伴って二次障害も進み、老化も重なって体の痛みが増し、
若い時に出来たことが出来ない&体が動かせなくてショックを受けているようです。
妻である私は膝・腰が痛くて歩くのが辛い、50肩で腕が上がらない等と、
老化から来るちっぽけな体の変化にさえ音を上げていますから、
元々の障害から更に重度化するのはきっと大変辛い事でしょう。
これは何かを頑張ってやれば改善するというものではなさそうです。
家族として出来ることは、心の寄り添い方に気を付ける事ぐらいしか思いつきません。
「まだ出来ることがある」に目を向け「生きがいを感じる」という気持ちになれるように、
本人の辛い気持ちをよ~く聞く事でしょうか。話しているうちに辛さが軽減するかもしれませんよね。
そうだ、もう一つ。彼の好きなお酒と美味しい食べ物も準備することにいたしましょう。
第4話 家族以外の介護もやってみた
こんにちは。私は今、重度障害(脳性麻痺)の夫の介助をしつつ、
介護福祉士として高齢者の訪問介護もしています。
生活の為に何か仕事をと思った時、夫をひとりにして長時間家を空ける働き方は不安で、
中々条件に合う仕事が見つかりませんでした。
そんな時に「自分の入りたい時間、自転車で行ける範囲のお宅で、
30分とか1時間とか細切れに仕事を入れて良くて、仕事と仕事の間は家に帰れるし、やりがいもあるよ」と友人から勧められたのが、介護の仕事に入ったきっかけでした。
ただ、この仕事は資格が必要でした。
資格取得のための講習に通った2か月間、夫にも娘にも負担が大きかったと思います。
大変ではありましたが、今はこの仕事にして良かったと思っています。
希望通りの働き方が出来る上、勉強をして実際に仕事をしていると、
それまでは全くの素人で手探り状態だった夫への介助が今までよりずっと楽にできるようになりました。
そして、サービスを受ける側だけでなく、介助をする側の気持ちもわかるようになりましたし、
外に出て人との関りを持つことで自分の世界を広げられました。
あの時に助言してくれた友人に感謝をしています。
第5話 上手く行くに越したことはない
今回は脳性麻痺の夫の為に初めて介助に入って貰った時のお話です。
残念なことに、やってくれる事と求めている事とが中々一致せず、
次第にこちらから要望を伝えることを諦めました。
そして相手が「やってあげている」という態度でいる感じてしまい、
不快な気持でいることに限界を感じて介助を断ってしまいました。
これを思い出す度に、要望が伝わらない苛立った私の態度が上手くいかなかった最初のきっかけだったかも…
家族でも全ては思い通りには行かないのだから、
もう少し根気よく、優しく伝えていたらその後も良好な関係で居られたかもしれないと、とても後悔しています。
日々の生活を充実させるには、良好な人間関係は必須ですよね。
土屋のHPに「その期待がかなうよう、強い意志と、他者の痛みに共感せざるを得ない優しさをもって、仲間と共に歩んでゆく。私たちが担う社会的責任の重さを自覚し、最大限の誇らしさと共に。」と書かれています。
自分の経験から、アテンダントが自他共に誇りをもってクライアントに寄り添えるよう、
良好な関係で共に過ごす時間を大切にしていけるように
皆さまがご協力して下さっていることを、ありがたいことだなと思っています。
第6話 今日も元気だ、空気がうまい!
今日も元気だ、空気がうまい!
これは私が高校生の時に一人暮らしを始めた初日、引っ越し業者のお兄さんが、運んでいた鏡に映った自分の顔を見ながら言った言葉です。
不思議なのですが、この言葉で私の不安な気持ちが吹っ飛んで行きました。とても気に入っていて、40年近く経った今でも、胸の奥にモヤが掛ったような不安から解放された瞬間や、解放したい時に口に出しています。
今朝も唱えました。
夫は就寝中に喉の筋肉が虚脱して時々無呼吸になるのですが、そんな時に私は暫く夫が生きているか様子を見ます。
そして彼が「ぐあっ!」と大きく息を吸ったのを確認して私も眠る、を繰り返しています。
思えば娘が赤ちゃんの時に授乳しながら寝てしまって、ハッと気が付いて生きているかを確認しました。
それと同じです。「とにかく生きていればそれで良し」そんな気になる瞬間です。
朝が来て家族全員がちゃんと起きてくるとホッとします。
今日も元気だ!空気がうまい!おいしく感じられるのは何て幸せだろう!こういう嬉しいと感じる言葉を自分に聞かせると、幸せが倍になる気がします。
明日も唱えられますように。
第7話 知らなきゃソンソン
重度障害者のいる家庭での心配事として、家人が高齢になった、亡くなった後当事者がどうなるのか、兄弟姉妹がいれば「いつかは自分が見ることになる」と思っていますよね。
実際には、ほぼ同年齢の兄弟姉妹も歳を取り、直接介助などの世話をするというのは現実的ではありません。
だからこそ、まだ土屋のような重度訪問介護サービスがあることを知らない多くの障害当時者やご家族に、サービスの存在を知って欲しいのです。
経済的にはどうでしょう。
例えば東京に住む重度障害者の場合、障害者基礎年金、重度障害者手当、特別障害者手当、心身障害者手当、燃料(交通)費補助といったものがあり、重度訪問介護サービスを受けながらのひとり暮らしが無理な額ではないと思います。
ただ、この「手当」って、自分で聞きにいかないと教えてくれない事があります。
我が家では重度障害者手当の存在を知り申請に行ったら、担当者が「重複障害」という条件の意味を間違えていて、夫のように身体障害者手帳1級でも知的に障害がないから重複ではない、と言われて諦めた事があります。
でも、その数年後に私が介護福祉士の勉強をしている時に「重複とは上半身(両腕等)の障害、下半身(両脚等)といった分け方でもOK 」と知り、慌ててもう一度手続きに行き、審査を受けてみたら重度障害者手当の対象者でした。残念ながら、過去に遡っての支給はして貰えず憤った経験があります。
皆さんも受けられる手当を知らないでいるかもしれません。ぜひ確認してみてくださいね。
第8話 障害者って何?
私は、私達夫婦の様子を撮って「こもちゃん&ゆみちん」と名付けて動画配信をしています。
脳性麻痺の障害があっても家族と暮らす優しい普通の人だよって知って貰おうというのが狙いです。
彼は仕事の一つとしてアテンダントの資格取得時に受ける講話を受け持っていて、「人は誰しも障害者である。その障害が産まれた時からのものなのか、後天的な事故や病気によるものなのか、歳をとってのものなのか、違いはそれだけなのだ。」と、ちょっと固い感じのお話しをしています。
彼は自身の出生時の事故で息をせず産まれて脳性麻痺に。そして私は、娘が「顔から出ようとして産道に詰まった」為、産道破裂で大惨事になる所だったという経験があります。
また、クライアントやご家族のお話しからも、障害があることは決して特別なことでも他人事でもないのだと感じています。
ですから講話を聴きながら、皆が他人事と思わなくなれば、街の造りや人の心がバリアフリーになり、生きていくのに必要な助けが必要な人に渡り、「障害者」という概念もなくなって差別がなくなり、「配慮が必要!」と叫ばなくてもよくなって生きやすい世の中になるよね。
と、彼の横顔を眺めながら思っています。