「聞けば見えてくる」~4/片岡亮太

「聞けば見えてくる」~4
片岡亮太

音や声が伝えてくれる様々な情報をキャッチすることを通じて、一人での外出やコミュニケーション、スポーツや趣味など、生活のあらゆることに生かしながら暮らしている視覚障害のある僕たち。

もちろん、どの程度役立てることができるかは、視覚障害と共に生きている時間の長さや、聴力、または自力で何かをやったり、一人で外を歩いたりした経験値の量にもよるので、一概に全員が、そういったものをフル活用しているとは言い切れません。

けれど、視覚障害のある人、とりわけ全盲の人の多くが、耳が受け止めた物音や話し声をある程度手掛かりにして、毎日を過ごしているはず。

初めて訪れた駅で、自動改札がICカードに反応している音や、「キーンコーン」となり続けている音を頼りに、「あちらが改札なんだな」と見当をつけて歩くことができるのも、

道に迷ってしまった時などに、周囲にいる人の声を聞き分け、「あの人なら快く助けてくれそうだ」と思った声色が聞こえた方に向かって、「すみません」と話しかけることができるのも、全てはそこに音や声が存在しているから。

ですが、それらがなかったら、当然得られる情報は激減します。

例えば電車の中で、親切な人が席を譲ろうと立ち上がってくださっても、黙ったままこちらを見つめているだけだったら、僕たちには何が起きているのかがわかりません。

偶然立ち上がってくださった席に白杖(はくじょう)や身体が触れたり、あるいは盲導犬がその席に案内してくれたことで無事に座れたとしても、そこが寸前まで誰かが座っていて、自分のために立ち上がってくれた場所であることまで把握するのは不可能。

同様に、タクシー乗り場やみどりの窓口のように人が並んでいる場所に行った際、「このあたりが最後尾かな?」と見当をつけて列につこうとした場所が、

本当は列の途中だったのに、周囲にいた人たちがなんとなく目配せをして、スペースを空けてくださり、僕をその位置に並ばせてくれてしまったら、僕はうまく最後尾に並べたのだと思い込むでしょう。

その瞬間その場に居合わせた全員が無言だったら、何が起きているのかを自力で理解することはおそらくできません。

近年は、こちらからあらかじめ最後尾がどこかを尋ねることも多いし、近くにいる人が、最後尾まで案内してくださることも増えたので、こういう状況になることはほとんどなくなりましたが、以前は似たような出来事がよくありました。

お読みいただいてお分かりのように、多少なりとも言葉を交わすことさえできれば、なんなくクリアできてしまう問題ではあるのですが、

だからと言って、近くに人がいるという気配だけを頼りに、その人の性別も年齢も雰囲気も、耳からは何も伝わってこない状態で、「空席はありますか?」とか、「ここは列の最後ですか?」などと話しかける瞬間には、いまだに少々緊張します。

だから、座れそうな雰囲気だから座ってしまおうとか、誰からも咎められていないということはしっかり並べているのだろうと判断し、流れに乗ってしまうことも多いのが正直なところ。

しかしながら、中にはそういう場面を目にした途端、「感謝をしないなんてとんでもない!」とか、「障害があるからと言って座席や順番を譲られて当たり前だと思ってるのだろうか」と、こちらが礼を失したと思われてしまうことや、もっとひどくなると、問答無用で叱られたりすることもあるので困ったものです。

ただ、これらのことは、もし十分な状況把握をこちらができなかったとしても、それほどのトラブルには発展しないし、よほどのことがなければ、怪我をしたりするようなリスクもありません。

ところが、我々の命に直結するほどに大切な音が、いとも簡単に消されてしまう、そういうことが多発していることを、皆さんはご存じでしょうか?

それは、音響式の信号機。

「ピヨピヨ」、「カッコー」などの音や、『通りゃんせ』のメロディで信号が青になったことを伝えてくれる音響式の信号機。

あの音のおかげで、視覚障害のある僕たちは安心・安全に横断歩道を渡れています。

しかし、その中には、夜間20時~22時ごろから翌朝7時~8時ごろまで音を止めてしまうものが少なくありません。

理由は、「周辺の人に迷惑だから」。

確かに信号機が発する音は、交通量の多い昼間でもしっかり聞こえる音量なので、それが夜中じゅう聞こえていたら近隣にお住まいの方にとって安眠妨害になることは間違いありません。

でも、その時間帯に横断歩道を渡る視覚障害者の安全確保はどうしたらよいのでしょう?

近年は、押しボタン式の信号機の場合なら、夜間であってもボタンを押せば、日中より小さな音量で音が出るように設定されていたり、あるいはスマホのアプリと連動させることで信号が変わったことを伝えられる場所もあるようですが、そういったものは一部にすぎず、全国どこでも対応しているわけではない。

また、数年前、夫婦ともに全盲の友人からはこんな話も教えてもらいました。

彼らの最寄り駅から自宅までの道には、夜でも交通量の多い4車線の道路、しかも上には首都高が走っている。

けれど、そこの音響式の信号が20時~22時の間は、音量を下げてしまうため、ほとんど聞こえないのだそう。

それでは怖いから、ボリュームを上げてほしいと自治体に申し入れをしたところ、周辺の人に迷惑になるからと対応を断られたとのこと。

さらには、「そこを視覚障害の人が歩いているという報告はありません」とも言われてしまい、歩いている張本人であった友人は、とても落胆していました。

おそらくですがこの信号機、22時以降は完全に消音しているでしょう。

例えば皆さんが、音はするけれど姿が見えない車が多数走っている広い道路を、20時から22時まではうっすら車が見えるようになりますとか、22時以降は完全に真っ暗闇の中で渡ってくださいと言われたとして、夜間も明るくしてほしいと訴えた時、「光がまぶしいという近隣の人が多いので」と断られたとしたら、いかがでしょう?

そのようなことが筋の通った論理として当然のごとく伝えられてしまうのが、我々視覚障害者が直面している現状です。
(だからと言って、周辺の方にとっての騒音の問題を軽視するつもりはありません)

友人夫妻の件はその後どうなったのかはわかりませんが、皆さんはこのような事象、どのように思われますか?

ちなみにこれは珍しいことではなく各地で起きていること。

視覚障害者が多数利用する場所だと、ボリュームを下げたり、ボタンを押したときだけは音が出るように設定するなど、比較的すんなりと状況が改善するようですが、音を必要としている人が少数だった場合、声を上げても黙殺されてしまうことが多いように僕は感じています。

現在は、スマホのアプリを含めいくつかの打開策が考えられるようになりましたが、そういうものがなかった時代には、代わりにどうしたらよいかという議論を待たずして、問答無用で音量が下がったり、音が止まったりすることが当たり前。

僕が大学時代暮らしていた町の交差点にあったボタン式の信号も、夜の一定時間までは小さな音が鳴り、その後は完全に音が止まってしまっていたので、雨で周囲の音が聞こえづらい時をはじめ、怖いと感じる時にはタクシー利用を選ばざるを得ませんでした。

夜に横断歩道を渡る、それは決して珍しいことでも、わがままなことでも、無謀なことでもないはず。

そして、横断歩道に信号機があるのは、それがないと危険だから。

しかし、視覚障害者にとって、音の出ない信号とは、存在しないも同然。

にもかかわらず、視覚障害者の安全よりも「周囲への迷惑」が重要視されてしまう…。

こういう現状を目の当たりにするたび、音や声で世界を感じている僕たちの存在が片隅に追いやられていく、そんな恐怖と悲しみを感じずにはいられません。

皆で共生していく以上、騒音被害は軽視してはならない問題。

ただ、その問題と天秤にかけられているものが人の命であることは忘れないでほしいし、「迷惑だから」の一言で切り捨てられるべきものではないことについては、ぜひ考えていただきたいところ。

思えば、電車の中で流れる車掌さんのアナウンスの声や、エレベーターやエスカレーターの位置を伝える自動音声など、いつの間にか音量が下がったなと思うことが最近よくあります。

きっと、うるさいとの苦情があっての対応なのかもしれませんが、そういう場所が増えるたび、音を頼りに周囲の情報を把握している僕には、世界がちょっとずつフェードアウトしていくような錯覚を起こします。

きっと、まだまだ音を必要としている僕たちの声が小さいがゆえに、こういったことが起きてしまうのでしょう。

ならば僕たちももっと大きな声を上げ、それを多くの人の耳に聞こえるほどに力強く届け、視覚障害者の存在が当たり前に見えてくる、そういう努力を重ねていかねば!

僕の声が聞こえた皆さん、ぜひこういうトピックに意識的に目を向けていただけましたら幸いです。

そして、たとえ、信号機やたどり着きたい場所を示す音が聞こえなくても、「お手伝いは必要ですか?」という声がひとたび聞こえたら、僕たちにとっては何より心強いことも、ぜひ知っていただけると嬉しいです。

けれど、日進月歩で様々なテクノロジーが開発される昨今ですから、そのうち、「今あなたの脳に直接話しかけています」みたいに、信号の色や改札の位置、トイレの男女など、生活に欠かせない情報を示す音が、それらを必要としている人の脳には響く、そんな未来が来るかもしれませんね。

そしたら、かなり生きやすくなりそうです。

……、便利だけどちょっと怖いか。

◆プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

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