寓話『 ぼくはでんしゃです 』
金代哀
―――職場が原因ではないのです。
仕事を去ろうとするあいつのメールにはそう書かれていた。
私はPCの画面を見つめながら………知ったこっちゃねー、と思った。
※ ※ ※
「すごい優秀な奴が入ったんだよ」
あいつはこの会社に新卒で、鳴り物入りで入ってきた。
若いのにビジネスマナーができている。
挨拶はできるし、礼儀正しいし、命令すれば「はい」と元気よく返事するし。
付き合いもいいし。
そりゃ、上司に気に入られるよね。
有望株。みんなの手本になる奴だって噂が広がった。
将来を背負うエースって羨望の的になっていたよ。
でも、私は違った。そう思えない。
なんか、嘘くさいよ、君。
なんかね、鎧をまとっているみたい。
鎧の中に、何か隠していないかい?
鎧の中はどうなってるの?
※ ※ ※
数年後、あいつは正しさを振りかざすようになった。
世界とはこうあるべきだと主張しはじめた。
それを守ってほしいとみんなに強要するようになったんだ。
例えばさ、ごはんを残さず食べることが正しいって真剣に言った。
例えばさ、人は長生きすることが最善だって平気で言った。
例えばさ、人は誰かといる方が幸せだってはっきりと言った。
他のみんなは「あいつが言うならなんか正しいんだろう」って鵜呑みにしていたよ。
でも、本当にそうなの?って私はあいつに投げかけた。
そしたらあいつは言ったね、そうに決まってるでしょ、と。
そうじゃないんですか?と。
そして続けた。
じゃあ聞きますけど、ごはんを残さず食べることは悪いことですか?
長生きすることはよいことじゃないんですか?
誰かと一緒に生きることは正しくないんですか?
………やれやれ。
それって本当に正しいの?
百歩譲って正しいとして、正しいことが全てなの?
ごはんを残してはいけません、それは教育の弊害じゃないか?それって本当なの?本当に残しちゃいけないの?自分は残すことないの?大人や企業は残してないの?
長生きだってさ、スポーツとかサプリメントとか健康志向を大人が食い物にしてるだけじゃないの?健康を追及し過ぎず、のびのびとしていた方が案外幸せなんじゃない?
あと、なんだっけ?誰かと生きることが幸せ?
もちろんDNAに繁殖が刻まれていることは確かだ。
加えて結婚は人間がつくった制度だし、「路地」みたいな贈与的なシステムも生き延びるための発明だとは思う。
でも、ひとりでいることを選ぶ人間も認めてあげてもいいんじゃない?森を出て草原で暮らしはじめた猿たちは共同体をつくったけどさ、「一匹」を選んだ猿も間違いなくいたはずなんだ。
ひとりでいるのもありかもしれないよ。どう思う?
「正しさとはなんだい?」私はあいつに問うた。
少しうろたえてから「正しさは………正しいです」とあいつは言ったね。
※ ※ ※
雨がつづいて、その晴れ間を縫って公園の草刈りが行われたころから急に涼しい風が混じるようになってきた。
あいつが仕事を休みはじめたのも、そのころからだった。
きっかけは些細なことだったらしい。
いつも褒められている上司から怒られたからとか、自分の企画が通らなかったからとか、いろんな噂が飛び交った。
そうこうするうちに職場に一カ月療養の診断書が送られてきた。
私は苛立たしかった。あいつにではない。まわりの人間にだ。
だから言っただろ?手本とかエースとか、みんながあいつを持ち上げすぎなんだって。
こうなったのはあいつのせいだけじゃないからな。
まわりもバカなんだ。ビジネスマナーができてるから優秀?報連相ができるからかわいい?馬鹿じゃないの?
そんな矢先、あいつからメールが来た。
「お会いできませんか」
んー、めんどくさ。
でも、しかたなく会ったんだ。
※ ※ ※
駅のロータリーが見渡せる二階にあるオープンテラス。
客は私たちの他には誰もいなかった。
あいつはずっと黙ったままだった。
呼び出したんだから、何か言えよと私が言うと、重い口を開いてあいつが言った。
「ぼくはでんしゃです」
「は?」聞き返した。
「ぼくは、でんしゃなんです」
「………?」
ぼくは、お父さんに憧れてました。お父さんのようになりたかった。
お父さんとお母さんはぼくにレールを敷いてくれました。
この上をはしりなさい。そうすればうまくいくから。
そのレールの上をはしっているかぎり、ぼくは無敵だった。
お父さん、今度はどんなレールですか?
お母さん、ぼくは上手にレールの上をはしれていますか?
気付くとぼくはレールを探すのが得意になっていました。
家族だけじゃない、部活でも、学校でも、塾でも…その場所にはどんなレールがあるか見つけるのがとてもうまくなっていました。
ぼくは優秀なでんしゃだったんです。
そのレールの上をはしっているとみんなが褒めてくれました。
褒められるのはすごい嬉しかった。心地よかった。
幸せな気持ちでいっぱいに満たされたんです。
でも、こうも思いました。
この幸せを手放したくない!
褒められなくなったら、どうしよう。
レールを踏み外しちゃったら…。
あるいは、レールを見つけられなくなっちゃったら…。
それはすごい怖いことでした。
ぼくはレールの上をはしる喜びを感じると同時に、それを失う恐怖におびえて生きてきたんです。
入社してしばらくは、ぼくにはレールがはっきりと見えていました。
社会人とはどうあるべきか。
または、社会とはどうあるべきか。
「正しさ」が見えていたんです。
だけど…だんだん…なんか、そぐわなさを感じて、でも…あともどりできなくて…。
なんかちがうって言い出せなくて…。
「正しいものは正しい」美しい強固なレールであることを信じようとしたんです。
両親や学校の先生のようにレールを敷いてくれる人もいませんでした。
ぼくにはだんだんレールが透明になっていくように感じてました。
さらさらともろく、砂のように崩れていくようにも感じたのです。
それでも、みんなはいつもとかわらずぼくが上手にレールの上をはしっていると思っていました。
あなたをのぞいて。
「もういい、黙れ」と私は言った。「これまでさんざんレールの上で楽してきただろ?つけがまわってきただけじゃねぇか。引き受けろよ」
「どうしたらいいんですか?」
「ああ?」
私は、その言葉で頭に血がのぼってしまった。
「なんだ?どうしたらいいか?だと、ここまできてもまだレールをほしがってるのか?どうしたらいいか、自分で決められないのか?」
「うぅ………」あいつはうつむき、苦悶の表情になった。
「自分のことだろ?自分で決めろよ」
「………」押し黙っている。イラつきMAX。
「じゃあ、ぼくはレールがほしいですって言ってみろ」と私はあいつを睨んだ。
「………」だんまり。私は、もう一度言った。
「ぼくはレールをほしがってるでんしゃですって言ってみろ!」
「………」
「レールを敷いてやってるんだ。はやく言え!」
「ぼくは…レールを…ほしがってる…でんしゃ…です」あいつは泣きそうな声で言った。
「聞こえない。もっとはっきりと!」
「ぼくは…レールを…ほしがってるでんしゃです!」
「そう!ぼくはでんしゃになりたいです、言ってみろ!」
「ぼくはでんしゃになりたいです!」
「どんなでんしゃになりたいんだ?各駅停車か、快速か、特急か、新幹線か、リニアモーターカーか?!」
「かっこいい新幹線になりたいです!」
「リニアは?」
「浮いてはいけません。地に足を付けてしっかりレールの上をはしりたいです!」
「よし、いいぞ。次は、誰かぼくにレールをくださいって言ってみろ!」
「誰かぼくにレールをください!」
「もっと!」
「誰かぼくにレールをください!」
「もっと!」
「誰かぼくにレールをください!」
「もっと!心から叫べ!」
「誰か!ぼくに!すごいかっこいい、これさえあれば間違いないっていうレールをください‼‼これを信じていれば、何もいらないっていう正しいレールを、ください‼‼‼」
※ ※ ※
一カ月の療養期間を終えても、あいつは戻って来なかった。
もう戻ってくることはないだろうな………まあ、どっちでもいい。
知ったこっちゃねー。
かわりに人事部から新しい有望株の話が届いた。
ひとしきり職場がざわめいた。
「来年度入る予定の内定出した子、めちゃくちゃ優秀なんだって。超礼儀正しいらしいよ」
私はPCの画面を見つめながら、思わず笑った。
どこか遠くで踏切の警報機が鳴る音が聞こえた気がした。
また、新しい電車がくる。
本作品は創作上の寓話であり、特定の個人や事例を指すものではありません。






