「母の日」から
水島恵
息子たちは35歳と32歳になりました。長男は家を出ているので、我が家は還暦超えの夫と次男の3人暮らしです。
現在、母の日・父の日は特に何もありません。
今年は5月10日が母の日。
昔と比べれば父の日も取り上げられてきましたが、母の日と父の日では世間一般に母の日の方が盛り上がっています。
私の中でも父の日は地味なイメージです。今はもう父も義父も義母も他界して現在82歳の実母だけになりました。
過去は特に、母の日当日やそれまでの準備の日々には、母の長所や好きな所だけを意識することを心掛けていました。
私が幼児・小学生のころは、おつかれさま券や買い物カゴやアクセサリーを作ったり、似顔絵を描いてプレゼントしていました。
ちなみに父の日にも同じような感じでした。中学生から結婚するまでは、電話で「いつもありがとう!」を伝えていました。学生の時にお金を遣ってプレゼントするのは違和感があったのでしませんでした。
結婚までの社会人の時は、仕事や独身生活で心配を掛けない毎日を過ごし、結婚資金を親に負担を掛けたくなく貯金優先だったため、初任給の時にした感謝のプレゼントと母の日・父の日のプレゼントを兼ねてのプレゼントでした。
結婚したら当然夫の母と2人分考えましたが、依怙贔屓のないよう考えるのが難しかった記憶があります。
毎年プレゼントやイベントをした訳ではありません。
夫が失業中とかマイホームローンに苦しんでいた時など、プレゼントしなかった年も結構ありました。
でも、心の中で母への感謝もありましたし、逆に母の日オーラを出されることもなかったので穏やかに過ぎていきました。
こうやって思い起こしていると、母の日のプレゼントで一番悲しく腹立たしく情けない思いをした年のことを思い出してしまいました。
両家の母に、防炎材質のエプロンをプレゼントすることにしたのですが、色が3色しかなく、選ぶのに随分悩みました。
色は赤・紺・黄土色の3色です。実家の母は赤が苦手、おしゃれセンスは良い人です。
彼女には紺を選び、夫の母は日常の洋服も和服も派手好きなので赤に決めました。
その結果、夫の母には「こんな赤い派手な物を!」と言われ、実母には「紺色だけならいいけど赤いラインが入っている」と反応が返ってきました(涙)
この2人の母のあまりのインパクトに、第一声に「ありがとう!」があったかどうかは覚えていません。
この時、実母は父に「貰えるだけで感謝しろ」と叱られたそうですが、私は気持ちを立て直すまで、暫く期間がかかりました。
翌年から何年かは私のカレンダーには母の日はなく、結局義母には亡くなるまでにほとんど贈り物はしませんでした。
母の日が復活したのがいつだったかはハッキリしませんが、3人が居なくなり実母だけになった頃から実母へのプレゼントが増えました。
ここ数年は夫の稼ぎではなく、私が稼いだところから支出してのプレゼントなので気兼ねなくできています。
一昨年からは母の日に関わらず欲しい物を訊いて何かのタイミングでプレゼントしています。
ちなみに2年前は現金にしました。
だからなのかはわかりませんが、現在の母はいつも「ありがとう!」を言ってくれています。
ここからは私が母として迎える母の日ですが、思い出深いものはありません。
あえて挙げるとしたら2つ。
結婚2年目に夫から、首が据わった頃の長男の代わりにと郵便局から鉢植えのカーネーションを贈ってくれました。
こんな感動が毎年味わえるのか!と思ったものです。
その後は生活に追われて子どもへのクリスマスプレゼント以外はすることなどは避けてきました。
その代わり各イベントでは食事にお金や手間をかけてきました。
もう1つは、長男が中学生の頃だったでしょうか。母の日にカレーを作る手伝いをしてくれました。
今の私は、日常に感謝があれば母の日を忘れられてもプレゼントがなくても母の日に特別なものがなくても不満に感じないと思えます。
近年は感謝の言葉だけを期待して、自分で欲しい物を買ったり食べたりしています。(笑)
母の日が近づき、母への思いや自分を見つめ直す機会になりました。
実母は、生まれ育ち、結婚・出産・子育て・老後を過ごした82年の京都北部の丹後地方を離れ、今月から私の住む岡山市に引っ越してきます。
少し不憫に感じてしまいましたが、母が「娘に世話になる」と究極の選択をしたのですから、「母の日」を問わず孝行していこうと思います。
みなさんはどんな立場でどんな「母の日」を過ごしていますでしょうか?
◆プロフィール
水島恵
水島 恵(59歳)
岡山市在住
視覚障害(先天性緑内障)
岡山県UD推進アンバサダー
指圧・あん摩・マッサージ師
着付け1級(認定)
趣味は編み物、料理(特にスイーツ)、カラオケ、旅行、和装、講演・講座巡り






