『他害行動への対応プロセス~ある知的障害者支援の記録~』②/ 金代哀

『他害行動への対応プロセス~ある知的障害者支援の記録~』②
金代哀

2.行動の背景にあるもの
そしてここでやっと奏太君に目を向けることができます。

しかしまだ奏太君の「暴れる」や「噛む」という表層的な行動だけに着目しません。
経験上、行動をターゲットにしてそれを止めても別の行動が出てきます。

水飲みが止まらない人の行動を止めようと水道の元栓を閉めたのですが、水道での水飲みは止まりましたが次はトイレの便器の水を飲むようになってしまったということがあります。

対症療法ではなく奏太君がどうしてそのような行動に出るのか、行動の背景にあるものに触れようとしなければなりません。
ものによってはすぐに止めなければならないものもありますが、背景を見極めるためにあえて流す、泳がすという場合があります。

奏太君の場合、放っておくと私たちも噛まれて血を見るのでなるべくなら早めに止めたいところですが、落ち着いて上手にかわしながらほどほどに止めたり、流したりして対応することにしました。完全に封じないってところですかね。

観察していると、奏太君が泣き始める前には他の利用者が大きな声を出したり館内放送が流れたりするなど「突発的な音」が必ずあることがわかりました。
その音のあと奏太君は泣きはじめ、そして噛むという行動に繋がっていきました。

奏太君の表情や様子から直感したのは、その音への反応が聴覚的な過敏——いわゆる感覚の過敏というよりは、どこか恐怖——大きい音に対する「恐れ」のようなものに見受けられました。

感覚の過敏ではないとすると、ある種フラッシュバックのような、過去の恐怖体験——大きな音や大きな声に対する恐怖——その反応として泣き、それを克服するために噛むという行為に繋がっていることが予想されました。

やられる前にやっつけてやるという感じなのではないか、と。

その時に突き当たったのが、前述「1.自分に目を向ける」というパートで書いたのですが、奏太君と向き合ったときに私自身が感じた恐怖です。
頭が真っ白になり意味や判断以前の状態になり、体はドクドク激しく脈打っている。

あの時私はそのような状態だったのですが、それはまさに奏太君が体感していた恐怖だったのではないか。
「奏太君はこういう世界を生きているのか」束の間、人と人はシンクロするのです。

そりゃ泣きたくなるし、そりゃ噛みたくなるわな~と思いました。

ここでは深いレベルの共感を体験しています。
自分の認知を耕しているとも言えますし、支援の土台となるマインドを豊かなものにしているとも言えるでしょう。

ここで自分の心に目を向けたことが役に立ってきます。遠回りにも見えますが、重要なプロセスだったことに気づくはずです。
次のステップのナラティブアプローチへもつながっていきます。

3.ナラティブアプローチ
ナラティブアプローチとは何かと言いますと、物語によるアプローチというふうに訳すことができます。
奏太君の人生、これまでをストーリーとして捉えて、そのストーリーの中で目の前の行動が起きていると捉えることです。

つまり、点で見るのではなく線で見ていく、その人の辿ってきた歴史、物語を見ていく。そこからこのアプローチが始まります。
奏太君は奏太君の人生を生きている主役であり、私は奏太君のストーリーの中に現れた登場人物です。

あなたも目の前のクライアントが生きているストーリーにあらわれた登場人物なのです。
確認していくのは奏太君の成育歴(生い立ち)です。

入所の際に聞き取った、あるいはご家族から提出してもらったアンケートなどをもとに作成されたフェイスシートを読みます。
足りない情報があれば関係者へのヒアリングですね。そこから物語を紡ぎ出していきます。

紡ぎ出すというのは少々文学的でありウェットな表現でしょうか。当然ながら感動的な物語を作り出す必要はないのです。
奏太君という人間をストーリーとして「分析」していく、ということだけです。

足りないような情報は各所に連絡を取って聞かせてもらう。
小さな頃から知っているヘルパーさんや学校の先生、通っていたスイミングスクールのインストラクター。

ご家族とも情報を共有して、話をしていく。
そうすることで、奏太君という人をより理解できるようになっていくわけです。

問題行動を起こす自閉スペクトラム症の男性ではなくストーリーを描き出すことで、奏太君という一人の人間性が浮かび上がってきます。

幼い頃から知っているヘルパーさんにお話を聞くと、小学生の奏太君は先にも述べた通り多動的な傾向があって動物園の柵の中に入ってしまったり、モールの中で走り出し必死になって追いかけまわしたりとヒヤヒヤするエピソードが盛りだくさんでした。

聞いているだけで苦労したんだなと頭の下がる思いでしたが、そのエピソードをヘルパーさんは楽しそうに語るのです。
奏太君への愛おしさが溢れていると感じました。

これが直接話を聞けることの最大のメリットです。
文字情報からだけではなく、語り口、表情、間、トーンなどから入ってくる情報を得られます。

子どもの頃の奏太君が動き回って暴れまわってたいへんだったけど周囲のヘルパーさんたちからとても可愛がられて育ってきたことが言葉にはなっていないけれどひしひしと伝わってきました。

奏太君は人から愛される強みがある。愛嬌があるんですね。

そしてご家族との対話の中でも様々なエピソードが出てきます。
楽しみにしていた子どもに障害があるということがわかった時のショックや混乱。

何とかこの子を治療することができないかとネットなどで情報を探し回り、希望があれば頑張ってどこへでも通わせていた学齢期。奏太君にとって一番の体験はきつい指導があることで有名な山奥の学校に高校の三年間預けられたということでしょうか。

ご家族も断腸の思いだったでしょう。
そこでの体験が奏太君に濃い影響を及ぼしていることも滲み出てきます。

かなり抑え込まれた奏太君の歴史。そういうものが浮き彫りになってくるわけです。

〇 〇 〇

さて、ここまでくれば支援の土台の八割は出来上がっています。
あとは方法なのですが、それはまたいずれ書くことにしましょう。

結果的に奏太君の問題行動とされていた噛む行為はほぼなくなりました。
「ほぼ」というのは先日大きな声を発する子どもがいて(後輩ですね)その子にしつこく付きまとわれて、最後の手段とばかりに噛みにいくことがありました。

しかしそれ以外はだれかれ構わず噛むことはしなくなりました。
突発的な大きな音や声がしても乗り越えることができるようになったのです。

それには6年かかりました。気長にかかわっていくしかないのです。

これまで書いてきたことは即効性はありません。
一夜のうちに行動をなくしてしまうような力はありません。

「自分の心に目を向ける―行動の背景にあるものを考える―物語を読み解く」。
時間はかかりますが奏太君自身の変わろうとする力を引き出すことができました。

私は知的障害者、とくに難しい行動のある方に対しての支援についてこのように教わってきましたし、実践してきました。
その実践を通して見違えるように穏やかにたくましくいきいきと自分の人生を生きている方たちを何人も見てきました。

彼らとのエピソードはたくさんあるのですが、また今度にしましょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

◆プロフィール
金代哀

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