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【障害福祉サービスの基礎知識(在宅編)第8回(徒然なる補う回その一)】

【障害福祉サービスの基礎知識(在宅編)第8回(徒然なる補う回その一)】~この基礎知識シリーズのスタンス「『学び』について、考え(筆者の近況含む)」~

◇ご挨拶

新しい春。新年度の4月になったと思ったら、もはや5月の、今日この頃。
前回も、似たような言葉から、始まったと思いますが、本当に時間が経つのは、早いものです。

この数か月の短い間とはいえ、筆者の私も、なんだかんだで、多忙を極め、なにげに、私自身の勉強もしておりました。

「一日の研修時間が、8時間を超えるときもあったり…。」

ぱっと見ると、結構ハードなスケジュールの研修でありました。ちょっとした御縁で、今回の研修を受けることを誘われたわけですが、実際に受けるとなると、この「基礎知識」シリーズの第5回目で記載したように、重度訪問介護にも出来ることとできない事があるわけで、まずは、重度訪問介護の制度そのものについての制度確認をさせて戴きながら、参加する方向で調整が取られました。

加えて課題提出も多くある一方で、研修期間については、一日当たりの研修時間は、そこそこ長時間の研修でありましたが、「研修の日数」については、連続した形でない事もあって、研修に参加できたという次第です。 

今回は、草稿段階では、従来通り今回のテーマも、「障害福祉サービスあるいは、それにまつわる公的介護制度」そして「重度訪問介護」に関わるテーマ設定をおこなった上で、最初の序文として、この原稿を書き始めたわけですが、かなり書き進んだ段階において、途中での見直しをした時に、

「そういえば、この基礎知識シリーズを書き始めた時に、どのようなスタンスで書き綴るか、論じているか」などについて、明確に書いていないことに気づき、私自身も、私の近くでも、「学び」や「試験」をおこなっている方が、少なからずおられたので、初めての

「補う回その一」

として、回数の部分を別立てで、気楽に読む、コラム的な感覚で、書いてみようと思った次第です。

もともと設定していたテーマについては、現在も書き進め、なお見直しながら、推敲をかけて、進めておりますので、比較的近いうちに、「第9回」の基礎知識ができ上がるものと思います。そのようなことで、今回は、気楽に読み進めて頂ければと存じます。とはいえ、「学び」そのものについて書いているものなので、

「物事や事柄について、『学んで』ゆく(ことの大切さ)」について、あくまで私の私見に基づくものに過ぎませんが、皆様の参考にして頂ければ幸いです。

(Ⅰ)私=筆者の、これまでの「学び」のあり方と、今の「学び」のあり方について

(1)私=筆者が、この数か月で、「何を『学んで』」いたか

先述しました通り、この数か月間で、一日の研修時間が長いとはいえ、私自身も、研修を受けて、「学び」をしておりました。

頭書の方で、書きましたとおり、「研修」を伴う学びであったため、私が利用させて頂いている「重度訪問介護」による支援との兼ね合いを、確認及び考えながら、参加していくことができました。やはり、

  • 「研修の日付」についての日数や、毎日か否か。
  • 例えば、「学校教育法などの法制度に基づいた『教育機関』」による直接主宰か否か。

そのような中で、受けさせて頂いた研修というものは、

★「防災士」という資格を取得するための、「認定 NPO 法人 日本防災士機構」の認証した研修機関が実施する「防災士養成研修講座」という研修であり、最後に、資格取得試験を行う。

という研修です。一言で言えば、「防災士」という資格を取得するための研修と最終試験の両方を含む「研修」というものを受けさせて頂いたという感じです。

重度訪問介護の制度的な部分との折り合いも考えながら、それ以上に、「研修を受けるに当たっての合理的配慮(試験時含む)」を受けることができたので、受講することはできたものと、関係各位の皆々様に、感謝しているところでございます。

ちなみに、「防災士」という資格は、
☆「”自助”“共助”“協働”を原則として、社会の様々な場で防災力を高める活動が期待され、そのための十分な意識と一定の知識・技能を修得したことを日本防災士機構が認証した人」

というように定義されており、さらには、

という取り組みを「基本理念」として活動する資格保有者のことをいいます。(引用元:日本防災士機構のサイト内より)

私こと、このような研修を受けさせて頂いておりました。
以上のようなことから、法令上との兼ね合いも含めて、重要なのではないかと、個人的には感じながら、私の担当の相談支援専門員様に相談させて戴きながら、研修を受けることができるようになったわけでありました。

長時間の研修時間でしたが、「研修の日数」が、連続した毎日ではなかったことや、全体的にもこの連載の前回と今回の間の、数か月の間のみで、最終試験も含めた研修日程の継続性が、年単位に渡らない事を、踏まえつつ、合理的配慮を受けながら、研修を、受けさせて頂いておりました。

(2)今回の「学び」と試験や、その経験から得た『経験知=学び』

自分の人生の中では、これまでの学びの中では、支援の中心にいたのは、母親だけだったので、遅まきながら、皆々様のご協力のおかげである事については、間違いない事であるにしても、  

「親離れをした形」
での、学びをさせて戴きました。

「母親の力」によるものではなく、主として現在多く関わって頂いております関係各位の皆々様のお力及び公的制度によるご助力=社会資源、これらの力によって「学び」をさせて戴きました。

今までの私の「主たる学び方」とは、大きく異なる形です。ちなみに、これまでのというか、「以前の私の、『母親の力』を主たる方法としての『学び』」については、土屋の【 広報 土づくり (令和3年)9月号 レポート 】に掲載されてあります。

従って、今回のような学び方を、実体験としてさせて頂いたのは、私の人生において、「初めて」のことと言えます。そのような中、ようやく研修も全て終わり、最終試験も全て終了し、試験結果が出たところまで来ました。

試験結果を郵送で頂いたにも関わらず、試験結果の文章を、きちんと全部読み込んでいなかったこともあり、他の方から指摘を受けてから、その文章を読み返して、初めて分かったことですが、

「全問正解」
での、試験合格でした。全部で30問が出題されて、3肢択一形式の、正解を選ぶ試験でしたが、「全問正解」というのは、さすがに、「中学生時代」以来のことだったと、記憶しておりますので、運頼りだったかもしれませんが、かなり嬉しかったです。特に私の場合は、

「掛け算で計算すべきところを、『足し算で計算してしまった』」

というような類の、単純凡ミスばかりしていたので、私自身の中で、テストや試験における、
「8割アレルギー」
のようなものが、あったわけでありました。

つまり、「凡ミス」あるいは「単純ミス」のために、どんなに簡単な問題であっても、ミスをしてしまって、表現上としての「80%以上の点数を叩き出せない=実力を出し切れない、身についた癖」が、私自身の中に強くあるということであります。 

ですが、今回の場合は、研修を通じて、支援を受けながらだったり、同じ研修を受けている周囲の方の善意の小さな=だけれどもとても大切な気づかい、そして、

「最終試験については、同じ時間での試験時間となるが、『試験室を別とし、問題冊子については係官がページをめくってくれる事や筆記する際の訂正についての手伝い等』を係官が行う

というような、とてもありがたい合理的配慮をして下さいました。そのおかげで、「落ち着いて試験を受けることができた。」ということがあり、試験についての、とても良い結果が得られたということがあると思います。本当にありがたいことでした。

他方で、そもそもの「防災士研修」の中で、必ず学ぶべき分野として、例えば、
「災害の原因となる『火山や地震』『台風や洪水』について」
等の、地球にまつわる地球自身の活動について学ぶ必要がありました。

この分野を、高校生の時の理科の中では、「地学(地球科学)」と言われ、「地学」も含めて高校時代の理科の選択肢の中の「生物」「科学」「物理」の四つの中の一つで、私が選択して学んだ高校理科の分野でありました。 

加えて、「災害対策基本法」などの法制度や基礎自治体の役割周りなどの制度のあり方についても、今回の研修の学びの範囲内だったわけでありました。

「地学」の分野については、高校時代の復習かなと言われるくらい、抵抗感がなく、再び学ぶことができました。それでも、例えば地震の震度の考え方が、私が高校現役時代と若干変わっているところもあったり、アレンジメントされていたりと、新たな学び直しもありました。

法制度の分野としても、いかに大学時代に、私の専門が「行政法学」だったとしても、直接的に、「災害対策基本法」を学んだわけではありません。全てにおいて、「再び学んだ分野」だったとしても、「その分野についての考え方」を、遠い記憶の中で、覚えていたというだけのことであります。

(Ⅱ)私=筆者の考える「学び」の本質と、この「基礎知識シリーズ」の執筆の際の「スタンス」について

(1)私の体験から感じる「学び」の本質

今回の「防災士研修」を通じて、改めて気づいたことは、人生のどの時代で学んだとしても、真剣に学んだことについて、

「その学んだことについての考え方。思考の仕方」
については後々になっても、応用の利くものであると、強く実感した次第です。

興味をもって、専門知識についての書籍を読んでみたり、特集のテレビを見てみたり、そのようなことをしていての、そこからの学びも、私の中に、今回の研修の中では、強く残っておりました。

(2)私の体験から感じる「学び」の本質

この「障害福祉サービスの基礎知識(在宅編) シリーズ」についても、一つ一つのテーマについて、「テーマの中心の部分」を説明するにとどまらず、「テーマの中心」の関係する必要な知識や考え方に重点を置きながら、記述しております。

「必要な知識や考え方」などについての事柄を、「教養」と表現すべきか「素養」と表現すべきかは、悩むところではあります。

ですが、必要と思われる、「テーマの中心の周辺の基礎知識」や「考え方」などをも、織り交ぜながら、書くように気をつけながら、最初から努めているところでございます。

逆にいうと、知識の部分だけに近いような記述になっているとするならば、例えばその記述の部分が「制度に関すること」なのであれば、

「なぜそのような制度になって、そのような決まりになっているのだろうか。なぜか?」

というように、この「なぜ?」と考えながら文章を読んでみたり、前の記述や掲載を振り返ってみたり、「考えて」読み進めると、とても良いと、筆者としては、推奨するところでございます。

(3)公的介護制度を中心とした「試験対策」として考えながら読んでみる「基礎知識シリーズ」

話がちょっと、脱線はしてしまいますが、年度が改まったので、前年度になってしまいますが、私に支援としてこられる方の中に、複数の方が、前年度の介護福祉士国家試験を受験されている方がおられました。

私に支援として恒常的に入っておられる方で、受験をしていると明確に存じ上げている方においては、全員合格をされておりました。

介護福祉士国家試験については、今回のような形で、つまり私の実際の支援中に、「雑談」というコミュニケーションという中においてですが、話題として出ることはありました。やはり、支援をしてくださっている方=「介護福祉士の国家試験受験生」という事になるわけですから、話題として出てきても、何ら不思議はないわけであります。

こういったことについては、今までも、そして、かなり前から、断片的ではありますが、数多くありました。時として、まれにですが、「社会福祉士の国家試験受験予定の方」あるいは「社会福祉士資格保有者」の方からも、試験についての話題や、「社会福祉士から見ての『制度論』」のような話題も、出てきたこともあります。

このような話題が、私の支援の中で、少なからず出てくる理由は、やはり私が、大学時代の専門が「法学」であることや、「行政書士有資格者」である事や、公的介護制度を受け始めた時は「私自身、司法書士受験生であった」という事もあると思われます。私自身が、まだ「司法書士試験についての受験を諦めきれなかった」ということですね。

というか、正直なことを書きますと、私自身の体力の問題と、私自身の書字機能の低下に伴う「合理的配慮」等の様々な問題が、クリアできるのであれば、「今もって諦めきれない(笑)」というところが本音です。 

そのようなところもあるので、「法制度に詳しい利用者」と同時に「現在進行形で利用者として公的介護の現場に関わる者」という事で、「法制度と介護の現場に詳しい者」というところから、前述のような話題が出てくるものだと、私こと感じております。

そんな中で、介護福祉士試験を志す方の中からは、必ずといっていいほど、
「受験を受ける方の中で、比較的、「法制度の部分が難しい」
というような悩みを、まさに「百発百中の精度」と確率で、抱えておられる方が多いです。

当然のことながら、支援にあたる方のほとんどは、福祉専門職の方であって法学専門の方ではありません。法制度については、初心者の方がほとんどであるということです。

他方で、介護に関わる法制度の全ては、「法律の条文そのものの改正」も多い方ですが、それに伴う「現場に関わる法令の改正が、毎年のように変わることが多く、ついてゆくのが大変」という現実があります。「難しい」という声が多くても当然だと、現場から考えても制度のあり方を知る者としても、強く理解できるところであります。

ですので、「制度のあり方や、その考え方」と言うか、「一緒に介護福祉士試験の過去問を検討してみる」などなど、そういうことを、その時折りで、おこなってきた経緯があります。
雑談の中での、ちょっとした勉強会のような感じですね。 

そのような中で、前年度の直近の介護福祉士の国家試験を3分の1程度、私も解いてみたのですが、以前の介護福祉士試験と比べると、介護保険周りの問題だけに、とどまらず、「障害福祉分野」のケアについての考え方や理論、制度論その他が、出題が多くなっている事に、驚かされました。

かなり昔の介護福祉士試験の過去問を、見返してみると、如実に前述のことが、形として見えてきます。このたび私は、「平成20年度、第21回」の介護福祉士試験の過去問から見直してみました。

すると、昔から、確かに障害分野についての出題は行われてはいるものの、その多くは「介護保険法」に関わる問題であったり、高齢者支援と障害者支援の両方に通ずる問題には当てられている一方で、「障害者支援」のみに関わる出題は必ず行われるものの「出題数は多いとはいえない」という状況でありました。

社会福祉そのものに関わる出題や医療に関する出題も必ず行われるため、「障害者支援そのものに関する出題を多くすることはできない」ということなのかもしれません。

あくまでも、個人的推測に過ぎませんが、「障害者支援に関する問題が多くはない」という過去問の事実は見て取れました。加えて、「障害者支援に関する問題」だとしても、「障害者概論」のような出題のやり方が、ほとんどでありました。

そのような中で、「平成24年度、第25回」の介護福祉士試験には、「相談支援専門員」の単語が出題され、「平成27年度、第28回」の試験には、「問題109」のところで「重度訪問介護」の単語が出題されました。平成24年の6月20日に「障害者総合支援法」が可決成立したことが、大きく影響したものと、私個人的には、感じるところでございます。

一般的に、法改正をした次年度あたりから改正点を中心に、法制度的な部分は、試験の種類に関わらず、資格試験の場合は出題される傾向が高いからです。

その上での、前年度の直近の介護福祉士試験です。事例問題も含めて、数多くの(難病分野や高齢者分野と重なる部分があったとしても)障害者分野の出題が出されていたのが、久しぶりに、介護福祉士国家試験を一見した私の偽らざる驚きの感想でした。 

この「基礎知識シリーズ」は、国家試験用に書いているわけではありません。
「テーマを掲げ、そのテーマを中心に期待しながらも、その当該テーマについて、関連する分野についての基礎知識」
について、強弱をつけながらも、ある意味網羅的に論じているところがあります。

「論じている」と、直前で書きましたが、「論じている」と言うことは、テーマについての考え方や知識についての「考え方、なぜそのようなことになるのか。」というような思考方法に基づいて、書くように気をつけてはいます。

とはいえ、筆者の力不足がゆえに、上手く書けていない部分が、数多くあると反省してばかりおります。

その反省を、振り返りながら考え、またこの論稿を書いているという繰り返しです。何度も考えて、何度も考え文章表現をして、何度も考え書いてみる。何度も考えトライする。この繰り返しこそが、大切だと思いながら、書いております。 

読者の皆様に、おかれましては、今更ながらではありますが、様々な観点から、この「基礎知識シリーズ」を読んで戴きつつ、自ら考えることで「深い理解と学び」に、変えていって欲しいと願っております。

「自らの頭で、考えてゆく。」
この言葉は、私の尊敬する社会学の先生の、常に仰られる言葉でございます。

どのような知識についても、事柄についても、「自分の頭で考える」の事の大切さを、いつも言っておられます。
私も常に、小さい頃から、様々な環境下の中で、そのように考える癖がついてしまっていますし、自ら調べ、自ら思考するように、なってしまっております。

そしてそれは、少なくとも、「有効なことである」ということは言えると思いますし、決して間違っている事でないと断言することもできます。

世の中には、様々な考え方があり、どのような考え方が、最優先に来るかなどということは、凡才の私には、分かりません。しかしながら、一つ一つの「様々な考え方」を、知識とともに考え、学んでいくことは、大切であると、考えております。   

そしてそれは、「支援の現場」での「ケアそのもの」にも言えるのではないかと存じます。
生まれてこの方、母親を中心に、医療機関、教育機関、知人友人、そして、公的介護制度を受けるようになってから凡そ20年間、支援を受ける中で、

「なぜ、そのような支援を必要とするのか」
ということを、考えながら、支援を行うことは、大切なのではないのかなと、不肖ながらも、「支援を受ける側」としての経験知の長さから、感じるときは、正直ございます。

当然のことながら、
「支援を受ける私自身についても、なぜ私自身が、支援をこのような形で受けるのか。受けたいのか。支援する方は、どのような思いで支援をしてくださるのか。相手の気持ちを考える」
このことの大切さ、教えてくれたのは母親ですが、いつもそのことを考えながら、支援を受けているのは、事実です。 

◇まとめ

肩肘を張らなくとも、ふと頭が真っ白になったとき、ぽかんと、時間が空いた時にでも、「なんでかなぁ。」と考えるだけでも、考えない事と比べれば、天と地との差が、出てくると思います。特に考えることが回数を重ねれば…。

今回は、もともと設定していたテーマの、最初の部分を記述する中で、このシリーズの記述するに当たってのスタンスを書きまとめていた時に、別立てで、掲載した方が良いと、加筆修正したものであります。

そのような考え方に基づきながら、今後も書き続けていきたいと思います。読者の皆様におかれましては、その趣旨を、ご理解戴きながら、様々な形で、「あれこれ考えながら」あるいは「なぜそのようになるんだろう」と、考えや思いを巡らしながら、読み進んでいって頂ければ、ありがたいです。

さて、本来であれば、今回執筆しようとしたテーマについては、改めて「第9回目」として、
「重度訪問介護(障害福祉制度)や介護保険制度の利用の始め方(仮)」
として、近々、掲載できるようにしたいと存じます。

現在進行で、鋭意作成中なので、またすぐに、皆様と会えると思います。
それでは、すぐ近くの、第9回目で!
長文、お読みくださって、ありがとうございました。

今後も宜しくお願い申し上げます。

なお、私が担当させて頂いている、「障害福祉サービスの基礎知識」のサイトは第1回目からのサイトは、ホームケア土屋のサイトの中にございます。以下の URL となります。

加えて、ホームケア土屋のサイトの中に「介護の知識」というサイトがあり、「重度訪問介護について」として、私とは違った視点での「重度訪問介護」についての解説が掲載されております。以下の URL です。

別の観点から、分かりやすく書いてあるので、こちらも読んで頂くと、理解が深まると存じます。重なる部分があったり、違った部分があったり、そのような差異について注意しながら、読み込んでみると、理解が進むと思います。

私自身も、拝読させて頂いておりますので、皆様も、ご一読を。

行政書士有資格者、社会福祉主事任用資格者
筆者プロフィール
1973年7月上山市生まれ。県立上山養護学校、県立ゆきわり養護学校を経て、肢体不自由者でありながら、県立山形中央高校に入学。同校卒業後、山形大学人文学部に進学し、法学を専攻し、在学中に行政書士の資格を取得。現在は、「一般社団法人 障害者・難病者自律支援研究会」代表。

当HP「土づくりレポート9月号」にて、齋藤直希さんをご紹介しております。

050-3733-3443