「地震×障害×未来の減災」(前編)
片岡亮太
まず最初に、1月1日に北陸で発生した地震と津波によって被害にあわれた皆様に、心からのお見舞いを申し上げますと共に、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします。
2024年最初に公開される本記事では、ぜひ新年に当たっての抱負や、音楽家・社会福祉士である全盲の視覚障害者として、これまでの歩みを振り返りつつ、障害の有無を問わず「自分らしいキャリアデザイン」を積み重ねていくには何が大切であるのかについて考える、そんな文章を書いてみたいと思っていました。
ですが、何を考えようとしていても、ふとスマホをチェックすれば、そこには石川県を中心に多発する余震の情報や、被災地域の現状、救助活動についての速報などを告げるアプリの通知がたくさん…。
どうしてもこの度の震災へ心を向けずにはいられません。
そこで今回は、元日に僕が感じたことを含め、災害と障害について考えたことを書かせていただきます。
あの日、僕は前夜に飲んだアルコールが抜けきらぬまま、まさに「迎え酒」状態で、昼から自宅傍の実家で、両親、久しぶりに帰郷した兄、そして妻と5人でおせちを囲みながら、お酒を飲んでいました。(酒量はご想像にお任せします)
とはいえ、ぼ~っとお正月を過ごしすぎてしまうと、身体も気持ちもたるんで舞台に響くと思い、酒宴を早目に抜け出し、軽い稽古を開始。
程よく汗ばみ、これなら夜も飲める!と性懲りもないことを考えながらSNSをチェックしようとしたところ、「石川県で震度5強の揺れ」とのニュース。
新年早々、せっかくのお正月が台無しで、該当地域の方々は怖いだろうなと思った矢先、今度はiPhoneの緊急地震速報が大音量で鳴り始めました。
幼少の頃から、いつかは起こると言われ続けている「東海沖地震」や「南海トラフ地震」への警戒心や恐怖が、常に頭の片隅にある静岡県民としては、その音を聞いた瞬間、「いよいよ来たのか!?」という思いで頭がいっぱいに。
2011年の東日本大震災の時、震源から離れた関東や東海地区でも、しばらくの間、スマホのアラームが鳴りやまなかったと話には聞いているのですが、僕は当時渡米しており、ニューヨークにいたので、あの音への耐性がついておらず、余計に驚きが大きかったのでしょう。
完全にパニック状態で、「とにかく太鼓につぶされては大変!」と、稽古をしている実家2階の自室を急いで出たものの、どうしたらよいのかがわからない。
廊下にたたずんで、外に逃げやすくするためにも階段を降りるべきか?
でも、途中で揺れ出したら?
自室の隣の兄の部屋なら布団があるから頭は守れるか?
等々、数秒の間にあれこれ考えるものの、右往左往するばかりで、実際には何もできませんでした。
夫婦二人の私物と、愛犬に関する諸々しか存在していない我が家なら、全てどこに置いてあるかを把握しているし、妻は阪神淡路大震災の経験者であるため、「高い位置に物を置かない」ことを徹底しているので、どこにいたとしても、ひとまず頭を守れば大丈夫と言う認識があります。
でも、しょっちゅう行き来しているとはいえ、実家はどうなのか?どの場所が安全だ?
そんなことをあたふたと考えていると、子供の頃から過ごしていて熟知しているはずの実家にいてさえ、自分の周囲が暗黒に閉ざされていき、一歩動くことさえも怖いような気がしてしまいました。
さらに数秒して少し冷静になると、自分がいる場所は今は揺れていないこと、階下のリビングに家族皆が集まっていることが認識できたので、急いで合流。
テレビの音声が、北陸地方の大きな揺れについて伝えてはいたものの、まだiPhoneのアラームは鳴り続けていたし、ほどなく静岡県の三島でもぐらぐらとした横揺れを感じ出したので安心はできないと思い、揺れが大きくなったらすぐに頭に乗せようと、厚手の座布団を握りしめながら報道に耳を傾けていました。
おそらく時間にしたら5分にも満たない短い間だったでしょう。
けれど、その短時間の間に、ほろ酔い気分であっても、大小様々な打楽器と撥(ばち)で溢れた6畳の部屋で、どこに何が置いてあるかを把握しながら「自由に」稽古をしていた自分が、視覚障害によって身の安全の把握が困難になる存在であることを突きつけられ、とても怖く、そして心細かったです。
ひとまず三島は安全だろうと結論づけ、妻と一緒に帰宅。
続報を聞いているうちに、徐々に地震、津波の詳細が明らかになり、北陸に住む友人のことや、該当地域の方々のことは心配でしたが、静岡県への影響は(現状)発生しなさそうであることがわかってきたのに、「もしかして!?」と焦った時に感じた恐怖が数時間経っても消えず、胸を突き破りそうな心臓のドキドキが止まらない。
どうしようかと思いながら入浴していた時、以前、防災を専門とされている大学の先生から、「地震の不安が消えなくなったら熱い飲み物を飲むといい」と教えていただいたことを思い出しました。
体内を温めてほっとさせるのか?と思ったのですが、そうではないようで、今回の僕のように、不安や恐怖でドキドキしている瞬間、人の呼吸はかなり浅くなるそう。
だから、飲み物を冷まそうと息を吹きかけることで強制的に息をしっかり吐き、その分吸う必要がある状況を作ることによって呼吸を安定させるのだとか。
そこで、シャワーを浴びながら、イメージの中で熱いコーヒーを飲むべく、息をしっかり吐いてみました。
すると、ようやくざわついていた心が落ち着きを取り戻していく。
と同時に、「障害と災害」について様々な思いが湧き上がってきました。
(続く)
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。