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「バロメーターは同級生」(前編) / 片岡亮太

「バロメーターは同級生」(前編) / 片岡亮太

「バロメーターは同級生」(前編)
片岡亮太

地元の盲学校の授業で、初めて和太鼓の演奏を経験し、その魅力に取りつかれた小学6年生の春、僕はもう一つの大切な「出会い」を経験しました。

それは、同級生の一人、たけし君(仮名)との出会いです。

当時の母校には、僕のように視覚のみに障害がある児童、生徒だけでなく、軽度から重度まで、様々な知的障害を有する子供が多く在籍していました。

一般の小学校で過ごしていた弱視の頃にも、現在で言う「特別支援教室」で学ぶ、知的障害のある児童を見かけたことはあったものの、今思えばダウン症だったのではないかと思われる独特の顔つきに、「自分とは違う」という意識をぬぐい切れなかったうえに、校内全体に漂っていた、彼らを「異質な存在」として扱う雰囲気に同調していた僕は、無関心を貫いていました。

そんな僕にとって、知的障害と視覚障害を重複している児童、生徒が全体の半分以上を占めていた母校の状況は大きな衝撃。

失明を機に5年への進級のタイミングで盲学校へ転校した当初は、麻痺のためにうまく動かない口からよだれをたらしつつ、判別しがたい言葉を発し続けていたり、奇声を上げながら泣いたり、暴れたりする、新たな「友達」を目の当たりにして、異世界へ迷い込んだような感覚を抱いていました。

しかし、幼児期から「末っ子気質」があり(事実、二人兄弟の末っ子です)、さらに視覚にも障害があったことで、近所の同世代の子供たちの間では、庇護の対象にされることが多かった反動からか、幼い子供に保護欲をくすぐられやすくて、目の治療のための短期入院の際など、気づけば保育士のように、年下の子供たちに取り囲まれながら遊んでいることが多かった僕。

その性格が幸いし、知的障害のある友人たちに対しても、(語弊がある表現になりますが)「かわいらしい」とか、「お世話する相手」のような感覚を持つことで、徐々に積極的にかかわりたいと感じるようになっていきました。

ただ、その一方で、どうしてもそばにいることを躊躇してしまっていた友人が同級生の「たけし君」です。

当時在籍していた重度の知的障害のある児童、生徒は、未熟児で生まれたり、喉の奇形、脳性麻痺などの影響があったのでしょうが、小柄で、舌足らずなしゃべり方になったり、ややかん高い声を発していることが多く、それがあの頃の僕にとって「幼児性」に近いものを想起させ、彼らとの距離を縮めるきっかけになっていたと思うのですが、たけし君にはそういった要素が全くない。

体格は僕とほぼ同じ、声も太く、はっきりと発語もできる。

身体的には自分との差異をあまり感じないたけし君が、一方通行の言葉を発したり、誰かの言葉をひたすらオウム返ししていて、会話らしいキャッチボールにはなっておらず、いつもうなり声のような声を上げながら目の前で手をひらひらと振っていたり、軽く誰かの肩や手がぶつかっただけで、派手に「いたーい!」と叫ぶ様が、どうしても奇妙に思えて、そんな彼のことは、転校から1年が経っても、違和感の塊のようにしか思えず、極力そばに近づかないように意識していました。

ところが、そのような関係が6年生の4月に変わることになります。

きっかけは、たけし君を含む、重度の知的障害のある同級生たちの担任をしていたK先生からの、「これから、たけし君の朝の身支度を手伝って」という突然の申し出。

声さえかけてくれれば着替えもカバンの片付けも自分でできるから、何をしたらよいか、伝えてほしいとのこと。

はっきり言って嫌でした。

理由は簡単。

一緒にいる間に泣かれたり、「痛いー!」なんて叫ばれたら、先生たちから誤解されるのではないかと怖かったからです。

けれど、先生からのお願いを断る勇気もなかった僕は、次の日から、僕より少し後に登校してくるたけし君のもとを渋々訪れては、自分の席の前で立っている彼に向かって、

「たけし君、おはよう」
「たけし君、カバンおろして」
「たけし君、着替えて」

と機械的に声をかける日々をスタートさせました。

K先生の言葉通り、たけし君は、僕の支持が聞こえるとてきぱきと身支度を整えていきました。

ただ、そこには、

「たけし君、おはよう」
「たけし君、カバンおろして」
「たけし君、着替えて」

と、自分の名前も含めて必ずオウム返しするというおまけ付き。

僕はそれでも一向にかまいませんでした。

僕に任されたのは身支度の手伝いだけ。

彼にはオウム返しすることしかできないのだから仕方がない。

そう考え、必要な言葉以外、特に何も伝えることなく、着替えなどが終わるのを音や、軽く体に触れることで確認したら、すぐに自分の教室へ帰る、それが朝のルーティーンとなりました。

そんな関係が一か月ほど続いたころでしょうか、授業を受けている僕の耳にこんなやり取りが聞こえてきました。

「たけし君、おはよう」
「K先生、おはようございます!」

たけし君がオウム返しをしていない!?

驚きました。

どういうことだろうと思ってよく聞いていると、K先生は、たけし君がオウム返ししてしまうと、「そうじゃないでしょ」と言った後に、先生自身の名前の頭文字を伝えることできっかけを作り、「K先生、おはようございます」という言葉を引き出しているようでした。

なるほどと納得し、あくる朝に早速、僕の挨拶を、いつも通り繰り返すたけし君に向けて、「片岡」の頭の文字を伝えるべく、「そうじゃないでしょ?か!?」と、勢いよく言ったところ、戻ってきたのは、「そうじゃないでしょ?か!?」…。

その後の数日間、何度やってもダメでした。

一方、K先生との間では、頭文字さえ伝えれば確実に名前を呼び、日によってはそれすら伝える必要もなく、自然な挨拶が交わされていることもありました。

もちろん僕が、「片岡君、おはよう」と言えば、たけし君は、「片岡君、おはよう」と言うことはできたでしょう。

でもそうじゃない。

K先生と交わしているような、普通のやり取りが、どうして僕とはできないのか。

その答えを見つけるには、K先生と僕との間で、たけし君に対する言葉がけの仕方だけではない、関わり方そのものの違いがないかを探す必要があるのかもしれない。

そんな予感がありました。

プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。

同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。

第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

Blog: http://ameblo.jp/funky-ryota-groove/
youtube: https://www.youtube.com/user/Ajarria

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