コラム, …「不確実な未来へ」(前編) / 片岡亮太「不確実な未来へ」(前編)片岡亮太 僕がプロの和太鼓奏者になると心に決めたのは、二十歳だった大学2年の時のこと。 当時親しくさせていただいていたプロの演奏団体の舞台を鑑賞していた際、突然、「同じフィールドで戦ってみたい」という思いが芽生え、...76
Read Moreコラム, …「一人旅と車椅子」 / 片岡亮太「一人旅と車椅子」片岡亮太 最近、ようやく舞台での活動が元の状態に戻り始めています。 コロナ禍によって日常生活が大きく変貌して早二年。 世界中の人がそうであったように、僕自身、それまでの当たり前の生活を手放さざるを得なくなった苦しさを何度と...622
Read Moreコラム, …「バロメーターは同級生」(後書き) / 片岡亮太「バロメーターは同級生」(後書き)片岡亮太 今回改めてたけし君との思い出を執筆しようと思い、当時のことを振り返ってみると、今までは気づいていなかった、彼との出会いがもたらした意味に気づくことができました。 それは、僕の視覚障害も含め、「障害...68
Read Moreコラム, …「バロメーターは同級生」(後編) / 片岡亮太「バロメーターは同級生」(後編)片岡亮太 たけし君に対する、K先生と僕との違い。 考えてみるとそれはすぐに見つかりました。 見出した答えは、「たけし君を馬鹿にしているかどうか」でした。 自分でも気づかないようにしていた僕の心の底にあった思い...525
Read Moreコラム, …「バロメーターは同級生」(前編) / 片岡亮太「バロメーターは同級生」(前編)片岡亮太 地元の盲学校の授業で、初めて和太鼓の演奏を経験し、その魅力に取りつかれた小学6年生の春、僕はもう一つの大切な「出会い」を経験しました。 それは、同級生の一人、たけし君(仮名)との出会いです。 当時の...511
Read Moreコラム, …「初舞台がくれたもの」(後編) / 片岡亮太「初舞台がくれたもの」(後編)片岡亮太 2007年のゴールデンウィーク。地元の観光スポット「伊豆洋らんパーク」で数日間行わせていただいた、僕のプロとしてのデビュー戦。 あの時のことを今振り返った時、経営者ご夫妻に心から感謝していることがもう...420
Read Moreクライアント, …「初舞台がくれたもの」(前編) / 片岡亮太「初舞台がくれたもの」(前編)片岡亮太 この4月で和太鼓と出会って26年、プロと名乗りだしてから15年が経ちます。その間に立たせていただいた多くの舞台には、それぞれに様々な思い出があります。 中でも「初めて」の経験が含まれていた演奏は、思い...46
Read Moreコラム, …「境界線を越えて」前編 / 片岡亮太「境界線を越えて」前編片岡亮太 2011年、障害のある若者が海外で研鑽を積むことをサポートしている「ダスキン愛の輪基金」の第30期研修生として単身渡米し、1年間ニューヨーク市で暮らしていた時、僕は数多くの「小さなアシスト」と遭遇しました。 ...32
Read Moreコラム, …手ごたえと実感【後編】 / 片岡亮太手ごたえと実感【後編】片岡亮太 26年前、撥(ばち)を通して感じた確かな手ごたえと、鼓膜を震わせた和太鼓の一音に自分の実存を実感できたことが、当時の僕には衝撃的な感動をもたらしたように、弱視、全盲を問わず、僕たち視覚障害者にとって、「実感を...22
Read Moreアテンダント, …手ごたえと実感【前編】 / 片岡亮太手ごたえと実感【前編】片岡亮太 皆さん、遅ればせながら、明けましておめでとうございます。 新年を迎えても、未だ新型コロナウイルス感染症の不安は続いていますが、それぞれが営む日常の中に、少しでも多くの笑顔や幸せが生まれる、そんな年になりますよ...119
Read Moreアテンダント, …「ぶつかる自由」 / 片岡亮太「ぶつかる自由」片岡亮太 先日、稽古部屋として使用している実家の自室で、鉄パイプ製の和太鼓の台に思い切り額をぶつけました。 六畳の室内に、大量の和太鼓や各種パーカッション、台や撥(ばち)、さらに電子ピアノや机も置いているので、練習内容によっ...1222