「初舞台がくれたもの」(後編)
片岡亮太
2007年のゴールデンウィーク。
地元の観光スポット「伊豆洋らんパーク」で数日間行わせていただいた、僕のプロとしてのデビュー戦。
あの時のことを今振り返った時、経営者ご夫妻に心から感謝していることがもう一つあります。
それは、僕のプロフィールをお客様に事前に一切告知しないでくださっていたこと。
園内放送で、「本日、和太鼓奏者片岡亮太さんによる演奏を行っています」と随時ご紹介いただいてはいたものの、そこには「全盲の」とか、「社会福祉士の資格も持つ」など、周辺情報が一切含まれていませんでした。
実際、僕の障害に気づいたのは、演奏していたスペースの傍らに置いていた、略歴を掲載したチラシを手にしたり、演奏後、手探りで楽器を片付けている姿を見た方だけ。
音楽に興味を抱いてくださった方からは、エスニックな服を着て、サングラスをかけた出で立ちと、一風変わった演奏をしている様子から、日本人ではないと思われ、「日本語はわかりますか?」と声をかけられることはあっても、全盲であることを切り口に話しかけられることは一度もありませんでした。
だからこそ、誰一人足を止めてくださらなかった瞬間も、徐々に聞いてくださる方が増えていった時にも、「音楽の内容で勝負できている」という確かな実感がありました。
もしも、僕の障害のことや、プロとして初の舞台であること、社会福祉士としての視点を生かして、言葉での発信も考えていることなどをアナウンスしてもらっていたら、来園されている方たちの反応は違っていたのかもしれません。
後に実感することですが、地元のお祭りなどへ演奏に行った際、イベント司会の方が、あらかじめプロフィールを紹介してくださると、それだけで演奏会場には多くの人が集まり、「どんな演奏をするのだろう?」という、期待に満ちた雰囲気が出来上がっていました。
「何を演奏するか」以上に、「どんな人が演奏するのか」には、それだけのインパクトがあるということなのでしょう。
これは障害に限ったことではありません。
近年、ミュージシャンや芸人、アイドルやアスリートの方々に対し、それぞれのメインフィールドにおけるパフォーマンスと同等に、人柄や生い立ち、今日に至るまでの道のりに関心が高まることが多いように、種々のエンターテイメントを巡る風潮として、「コンテンツ(中身)よりもコンテクスト(文脈)が重要視されている」と評されることが増えています。
振り返ってみると、伊豆洋らんパークでのステージは、そういったコンテクストを全て取り払い、音楽だけでどこまで戦えるのかを試させていただいた機会でした。
僕が何者であるかを知っていただくには、まず大前提として、聞いてくださる方に興味を持ってもらえるだけのレベルで演奏できなければいけない。
その難しさをプロとしての活動の一番最初に味わえたからこそ、何年経っても「今の演奏は、コンテクスト(文脈)なしで楽しんでもらえるものだっただろうか?」と自問することが僕の当たり前になりました。
今でも、地元の歩行者天国のように、野外で一定時間自由に演奏させていただける機会をいただいた際には、なるべく事前の自己紹介はせず、演奏だけでどれだけの人が足を止めてくださるか、力試しをするようにしています。
余談になりますが、在米していた時には、こういったことを考える必要はありませんでした。
ニューヨークでは、演者側にも聴衆側にも、コンテクスト(文脈)とコンテンツ(中身)を分離させる意識が共有されていたからです。
レストランやライブハウス等でジャズの演奏に参加していた時、白杖(はくじょう)を持って歩いている姿を見て、「ステージまで案内しようか」と申し出てくれるお客様はたくさんいましたが、ライブが始まった途端、僕はただのミュージシャン。
日ごろからあちこちで一流の演奏を体感することのできるニューヨーカーたちを満足させられるほどの演奏ができるかどうか。
彼らの興味はその一点だけ。
当時は僕のパーカッションの独奏に拍手をもらうことすらままならず、初めて店中の人から拍手をもらうまでに半年近くかかりました。
そういった経験も持っているからこそ、この15年間、僕は常に「コンテンツで戦う」という意識を大切にしてきました。
ところが、今回この文章を書くにあたり、改めて僕にとっての「コンテクスト(文脈)とコンテンツ(中身)の関係」について思いを巡らせた時、視点が変わってきていることを感じました。
僕は今まで、コンテクストとコンテンツを切り離すことや、コンテンツでコンテクストの印象を上回ることばかりを考えてきました。
けれど最近は、障害を巡る様々な言説のように、全盲の僕を目の前にした途端、多くの人が自然と想起するであろう文脈を正面から受け止め、背負ったうえで、それらを超えられるようなパフォーマンスをしていきたいと考えています。
和太鼓奏者として「目が見えない僕には限界がある」と考え、避けて通っていた、大小さまざまな太鼓を並べ、素早く打ち分けながら演奏することや、ダイナミックな身体の動きを取り入れて一台の大太鼓を打ち込むことなど、音だけでなく視覚にも訴える奏法を会得し、習熟させるために、感覚を研ぎ澄ませながら、全身の動きを観察したり、筋肉を鍛えていると、徐々にできることが増えていく喜びがあふれると同時に、自分の中に存在していた「無理だ」という固定観念の壁が崩れていくことを実感します。
そういった、長い時間をかけて生じた僕の内面の変化を、数十分の舞台の中に集約できたなら、今よりももっと力強いメッセージが僕の表現に宿るのではないか。
そのように考えています。
伊豆洋らんパークで、自己紹介をせず、コンテクストを伏せ、コンテンツで勝負するところから始まった僕の歩み。
今度はコンテクストをオープンにし、社会の中で無意識のうちに共有され、僕の中にも根付いているたくさんの偏見や思い込みを、言語化したりわかりやすく表現したうえで、それらを上回り、新たな視点や価値観を提示できるコンテンツを、音楽と言葉で届けられる存在になりたい。
それが奏者としてのみならず、社会福祉士としても抱く僕の新たな目標です。
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。