私の夢、夢をもったきっかけの話。~重度訪問介護で気づかせて頂いた事~
川畑梨里
私の夢、夢をもったきっかけの話です。
少し照れくさいですが誰かの勇気になれますように。
はじめまして。私は看護師として一般病棟で約5年間働いていました。
なぜ重度訪問介護に携わることになったかというと、知り合いが土屋で働いており、聞いたこともなかった重度訪問介護に興味を持った事がきっかけです。
病棟とは違い、「1対1での介護の提供なんて私には無理ーーーーー!」って、本当に思っていました。
ですが、病院勤務では縛りや決まりも多く、業務に追われる日々でしたし、おしゃれや遊びをもっとしたいお年頃だったのもあって、勢いで最初は非常勤として入社する運びになりました。その頃の鹿児島事業所はいろいろ大変だったような記憶が多いです。
看護師としての技術には自信がありましたが、「介護」の部分に関しては経験不足であると自覚していたので支援に1人で入ることがすごく不安でした。
初めて1人で支援に入った日に、クライアントをどうやっても移乗することが出来ず、悔しくて、悔しくて…
ボディメカニクスもこんなに理解しているのに、自分は今までどう看護師を続けてこれたのか、今まで何をしてきたのか、何を学んできたのか…
全ての自信を失い、泣きながら現場を後にしたことがありました。
もう辞める、自分には合わないんだと何回も思いました。
そんな中でクライアントやご家族から、「あなたなら大丈夫、きっとできるから」と何度も励ましの言葉を頂き、きっときつい時もあったはずなのに何度も自分の体をさし出し、移乗の練習をさせて頂きました。
個別性のある介護って1人で考えてするのではなく、両者が協力して初めて成り立つんだと、その時身を持って感じさせて頂いたのを鮮明に覚えています。
いろんな気づきや、悔しい思いを糧に、「自分ともう一度向き合いたい」と思いました。もう一度自分が何をしたいのかを考え、「重度訪問介護でたくさん学ばせて頂こう!」と決心することが出来ました。
非常勤から常勤へ、そして今はご縁もありコーディネーターを務めさせて頂いています。
重度訪問介護に携わる中でいろんな学びや気づきが出来ていると感じます。
まだまだ未熟な部分もたくさんあり、わがままな部分もあって迷惑をかけています。すみません。
ですが、病棟に勤めているときの自分よりは遥かに「今の自分のほうが好き」です。
病棟での仕事も嫌いだったわけではないですが、病棟にいるときは業務や時間に追われて、「ちょっと待ってくださいね。後で行きます。」が口癖のようでした。
傾聴が大事と知っていながら、個別性のある看護を謳っていながら、介護の基本である傾聴が出来ていたことがあるだろうか?と今では反省しています。
少し成長できた部分があるとするならば、今は目を見てゆっくりと、本人の思いを聞きながら一緒に悩み考えられるようになりました。
悩み過ぎてしまうことも多々あります。
土屋に勤めていなければ出会わなかったクライアントの人生に関わることができ、とてもやりがいを感じる事が出来ています。
これからも出会えた皆様、支援に携われる方の人生が少しでも華やかに明るい日々になるように努力していきます。
そして関りをもてる全てのアテンダントに対し「あなたは素敵だよ、ここにいてくれてありがとう。」と背中を押し、常に感謝を伝えたいです。
「みんなが自信を持って仕事ができる環境」を私は創っていきます。
これが私の夢です。叶えます!!!
最後まで読んで下さりありがとうございました。
◆プロフィール
川畑梨里 ホームケア土屋 鹿児島
ホームケア土屋鹿児島 コーディネーター
0型の中の0型
性格:あんまりなにも気にしないけどワサビとからしだけはNGです。