「物語と障害」~4 / 片岡亮太

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「物語と障害」~4
片岡亮太

福山雅治さん主演でこの春放送された『ラストマン―全盲の捜査官―』。

あのドラマが見事だったのは、様々な意味において「バランスがよかった」点ではないかと思っています。

まずは、主人公である皆実広見(福山雅治さん)の視覚障害を、「ケアの対象」とか、「社会の無理解」の象徴のように、啓発的な意味合いを含んだ方向に偏らせて描かなかったこと。

そのおかげで僕は、いつもフラットな気持ちで視聴することができました。

(実は執筆現在、まだ最終回を迎えていないので、お願いだから、最後の最後で障害を理由にした「ハートウォーミングな着地」をしないでくれと願っています)

そして、やや古い例えになりますが、まるで『座頭市』のように、超人的な能力を持った全盲の捜査官を、現代日本の風景や、実在する支援技術とマッチさせていたことに、僕は新鮮な驚きを感じていました。

少し話がそれますが、「超人」と書きつつも、僕はこれまでに、音の方向と響き方を利用して、多くのサッカー好きの人がするような、壁に向けての「シュート練習」を当たり前のようにやっている人、バットで打たれたハンドボールを「風を切る音がするから」と言って、バウンドもしていないのに空中でキャッチしている人、電車やエレベーターなどの駆動音を一瞬聞いただけで、その車種や製造会社がどこかを聞き分けられる人など、「常人離れ」としか言いようのない能力を持った全盲の人に多数出会ってきました。

だから、「彼らなら、皆実のような行動がとれるかも?」と想像しながら視聴する瞬間があったこともまた事実です。

近年、障害のある人物が登場するドラマを作成する際には、「所作指導」などの名目で、当事者団体の人たちが撮影現場に出向き、キャストの方々の動きをチェックしたり、役作りや脚本を手掛けるために、出演俳優さんや製作スタッフの方々が、一定期間、当事者の人たちと関わって勉強するなどの取り組みが行われています。

多くの人が視聴するテレビドラマですから、「誤解」や「偏見」を生まぬよう、現実に即して描かれることは大切なことだと思います。

ただ、それが行き過ぎると、リアリティだけが先行した「面白くない」キャラクターばかりが生まれてしまわないかと、どこかで心配していたのですが、それは杞憂だったと、『ラストマン―全盲の捜査官―』は僕に教えてくれました。

思えば、日本のテレビドラマの中で描かれる障害は、長年、悲しみや希望などのシンボルだった一方で、アニメや漫画などにおいては、「盲目の達人」が多く出現していたように思います。

僕が子供の頃に見ていた作品で言えば、『シティーハンター』の海坊主(シリーズの途中から盲目になります)、『幽☆遊☆白書』の黄泉、『るろうに検診』の魚沼宇水等々、視力を使わずに、戦い続けるキャラクターは枚挙にいとまがありません。

また、主人公が一時的に視力を奪われながらも、「気の流れ」を感じながら戦う、そんなシーンもよくある設定です。

「失明」が扱われる物語を嫌っていた子どもの頃の僕ですが、「目が見えないがゆえに開花した超能力」とか、「達人は視力を要さない」というような文脈での描かれ方は、視力がないことに「障害」という意味付けがなされておらず、さらに、悲劇的な仕掛けや、ハートウォーミングな展開、または社会への啓発的な役割等から離れた、単純に「格好いい」存在としての登場だったためか、違和感なく受け入れていました。

とはいえ、舞台に立ち、多くの人に演奏をお聞きいただく活動を続けている現在、僕自身が、あの達人たちと同じような感覚を持って和太鼓の演奏をしているのではと想像してくださる方も時折おられるので、キャラクターを神格化するために、障害と呼びえる身体の特徴を付与することでもたらされる、ある種の「偏見」もあるのでしょう。

その「誤解」を解くことに苦労したことは一度や二度ではありません(苦笑)。

彼らのような研ぎ澄まされた感性を有していない僕は、細々と稽古を重ねることでしか、技を磨く術を持っていません。

総じて、世間の大多数の人とは異なる心身の特徴を持っている存在というのは、物語においては、「突出した」人物として描かれがち、それがこれまでの日本だったように思います。

そういうキャラクターたちは、社会で暮らす、「普通の」障害者たちの実像からは多くの場合乖離していました。

ところが、時代が進むにつれ、ぐっと現実に即した描かれ方が増え、この度、『ラストマン―全盲の捜査官―』では、まるで、これまでのテレビドラマと、アニメの真ん中に位置しているかのような立ち位置の障害のある主人公が現れた。

時としてファンタジックな能力を発揮しながらも、それだけでなく、ごく当たり前の社会人、あるいは一人の成人男性としての側面が垣間見える。言うなれば、「現実と想像の狭間」のようなキャラクター皆実広見。

それは紛れもなく、「障害」と「一般社会」との距離が、少しずつ近づいたからこそ生まれ得た人物像なのでしょう。

実在する障害のある人のリアルな姿を思い描くことのできる人が増えたからこそ、キャラクターの想定の幅が広がった、僕はそういうことなのだと思っています。

ドラマも映画も小説も大好きな僕としては、もっと自由に、もっと面白く、「マイノリティ」の存在が描かれることが許容される社会に向かっていくためにも、多種多様な情報を世の中に増やすべく、今後もでき得る限り最大限の発信を続けたいと思っています。

そういう取り組みの先で紡がれる物語はどんなものなのか、想像するだけでワクワクします。

―完―

プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。

同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。

第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

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