「物語と障害」~1
片岡亮太
10歳で失明して以来、テレビゲームやアニメ、映画など、視覚に訴える要素の強いコンテンツを、それまでのようには楽しめなくなった僕が、新たに見つけた趣味の一つはラジオでした。
ラジオは、音声のみで全てを表現するメディア。
それを聞いている間は、視覚障害のある僕も、あまたいる他のリスナーたちと同じ。
テレビのように、「今、音がしていないけど、画面では何が起きているんだろう?」と、「取り残された」感覚を味わうこともなく、常に全てを過不足なく味わえている実感がありました。
当時は、少し大げさかもしれませんが、「公平な立場にいる」。そんな安心感を抱いていたように記憶しています。
逆に言えば、そういうラジオに心の安らぎを得るくらい、あの頃の僕は、失明したことによる日々の生活の変化に疲弊していたのでしょう。
それが理由である人ばかりではないと思いますが、視覚障害のある人の中には、年代を問わず、ラジオ愛好家が多数います。
例えば、スポーツの試合の中継。
もちろんテレビでも試合の流れは十分にわかります。
でも、ラジオ中継のアナウンサーさんたちの場合、ゲーム展開とそこにかかわる選手たちの動きはもちろんのこと、監督の表情や控えの選手たちの様子、あるいは観客の状況までもを織り交ぜながら、会場で起きているあらゆることを多角的に言語化して伝えてくれるので、音声で伝わってくる情報の量と質、感じ取れる臨場感がテレビとは比較になりません。
そのため、視覚障害の人の場合、野球やバレー、サッカーなどの同じ試合をテレビとラジオ、両方で中継していたとしたら、ラジオ中継を選ぶ人がほとんどです。
それほどスポーツ好きではない僕も、オリンピックやワールドカップ、WBCなど、大きな大会があった時には、必ずラジオで試合を観戦しています。
僕が本格的に「ラジオリスナー」になったのは、盲学校(現 視覚特別支援学校)へ転校した小学5年の頃のこと。
先輩たちの影響もあって地元ラジオ局の深夜番組を聞くようになり、そこからは各地の様々な番組に興味を広げるようになりました。
ご記憶のある読者の方も多数おられると思いますが、一昔前のダイヤル式ラジオは、AMの場合、周波数の微妙な調整によって、遠くの地域のラジオ局が発信している電波をキャッチすることができます。
リスナー歴が長くなるにつれ、ダイヤルのコントロールに熟達していったり、ラジオ本体をどこに置けば電波が入りやすくなるかがわかるようになるのは、あの頃の「ラジオあるある」。
僕もご多分に漏れず、毎夜、静岡県にいながら、東京や大阪などの番組を聞くため、時折ポケットラジオの置き場所を変えながら、ミリ単位で指を動かしていたものです。。
翌日睡眠不足になることなんて気にせず、激しい雑音の向こう側にかすかに聞こえるパーソナリティの声に耳を澄ませ、夜中のベッドで笑いをこらえていたのは、よい思い出。
だからこそ、近年、ラジオ出演の機会をいただけると、未だにワクワクが止まりません。
そんな僕が高校時代、東京の盲学校で寄宿舎生活を送る中、それまで聞いていたどの番組よりも強烈なインパクトを与えられ、魅了されたのが、「ラジオの帝王」と呼ばれて久しい、伊集院光さんでした。
落語家としての修行が原点にある伊集院さんならではのテンポの良いトークと、ご本人もよく話している、「理屈っぽい」性格が生み出す、不器用なまでに生真面目な思考。
それらに心奪われ、気付けば20年以上の月日が流れました。
実は、「いつか伊集院光さんとお会いしたい!」というのが、僕のひそかな目標であるくらいに、伊集院さんのファンであるし、尊敬してもいます。
僕にとっての「スター」はだれかと問われたら、その一人は間違いなく伊集院さんでしょう。
ところで、伊集院光さんは番組の中で、折に触れて、三谷幸喜監督の「ラジオの時間」という映画を、どうしても楽しむことができないと語っています。
この映画は、ある架空のラジオ局が放送する、ラジオドラマの制作の裏側で生じるドタバタを、面白おかしく描いている作品。
1997年に公開され大ヒットしたからご存じの方も多いかと思いますが、ラジオパーソナリティとしての活動を「仕事」以上の「ライフワーク」と位置づけるほどにラジオを愛し続けている伊集院さんには、あの映画に描かれているものと現実とのギャップ、「こんなことありえないからっ!」という突っ込みどころばかりが気になってしまって、純粋に作品を見ることができないのだとか。
ちなみに僕は、あの映画が大好きです。
演技力の高い俳優陣が織りなす人間ドラマと、三谷幸喜作品らしい、笑いと感動のバランスが、絶妙な一作と思うからです。
(近年僕はこの映画を、以前も紹介した「シネマデイジー」という、映画の音声と、映像の説明をしている「音声解説」の音声とを合成した形式のコンテンツで何度も鑑賞しています)
とはいえ、確かに、内情を熟知している人からしたら、映画やドラマで描かれている世界が、「フィクション」と理解していながらも、現実との乖離が分かってしまうがゆえに、エンターテイメントとして受け止められないという心理状態が生じることは、多々あるのでしょう。
医療従事者や警察官、法曹界にいる人たちは、病院ものや事件もの、裁判もののストーリーを、一視聴者として享受することが難しいだろうとよく想像します。
身近なところでも、妻であるジャズホルン奏者・作曲家の山村優子は、音楽家や音大を取り上げていたり、アーティストがニューヨークやハリウッドで成功を収めるストーリーの物語は、どうしても受け入れられないとよく話しています。
コメディタッチが際立つ、「のだめカンタービレ」さえも、笑えないと話していて、僕は驚きました。
きっと、「現実はこんなに甘くない!」。そう語るに足る経験を踏んできているからこその拒否反応なのでしょう。
一方僕はと言えば、どんな映画やドラマ、小説であっても、比較的フラットに楽しめる性格なので、伊集院さんや妻の考え方に納得はいくものの、「自分にはそういう気質がない」。ずっとそう考えていました。
でもそんなことはありませんでした。
僕も長年「受け入れがたい」と思っていたジャンルがありました。
それは、「障害者」や「障害」を描いた作品です。
―つづく―
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。