「白杖とプライド」(後編) / 片岡亮太

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「白杖とプライド」(後編)
片岡亮太

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白杖とプライド(中編) / 片岡亮太 | 重度訪問介護のホームケア土屋

ニューヨークにいた時、ジャズのパーカッションを指導してくれていた、ブラジル人のドラマーで全盲のヴァンダレイ・ペレイラ氏は、自宅でのレッスンが終わると、よく近くのバス停まで僕を見送ってくれました。

そういう時、多くの視覚障害者は、道を熟知した方が先に立ち、肩に触れさせるなどして、お互いが全盲であっても、「誘導する」形をとります。

けれどヴァンダレイは、いつも白杖をアスファルトに音高く打ち鳴らしては、「亮太、カモ~ン!」と大声で呼びながら歩き、その音と声で僕を先導しました。

騒がしいニューヨークのざわめきの中に響き渡る白杖の音とヴァンダレイの声。

爽快なその姿が、僕は大好きでした。

彼のバンドのライブを聞きに行った際には、ニューヨークの老舗ジャズバーで、最高に心地よい演奏を披露した後、興奮するオーディエンスの中を、大きく白杖を振りながら歩き、その手でお客さんの飲み物をこぼしてしまっても、「あっ、ごめん!違うものを用意させるから!!」と、一言笑顔で伝えたかと思うと、白杖の振り方を変えることなく立ち去るヴァンダレイ。

そんな様子を周囲の人やバンドメンバーが、「仕方ない奴だなあ」と苦笑しつつ、朗らかに眺めている。

また、彼が、誰かと挨拶しながら握手やハグをすれば、手に触れた洋服の生地から察して、「いい服じゃないか、どこのだい?」と聞き、相手もそれに応えて、にこやかに話が進む。

そんな場面を何度も目の当たりにしました。

そういう振る舞いは、当時50代半ばで、「ブラジル系の音楽ならヴァンダレイ・ペレイラだ」とニューヨーカーたちに言わしめるほどベテランの演奏家だったにもかかわらず、話す言葉や音楽家としてのプレイに10代、20代の若者のような茶目っ気が溢れていた彼の雰囲気そのもの。

今でもヴァンダレイは僕にとってニューヨークの象徴の一つです。

それは、どこを歩いていても気軽にサポートを申し出てくれる人がたくさんいて、通りがかる人に躊躇なく助けを求められることが当たり前だったために、障害があるからといって気負ったり、緊張することなく、気楽に過ごせていたニューヨークの空気と、ヴァンダレイののびのびした言動が、僕の中でぴたりと重なるから。

無理やり見えているように装い、それを格好いいと思っていた中学、高校時代の気持ちの残滓を心の片隅に残していた僕にとって、ヴァンダレイの存在は新鮮で、眩しいものでした。

20代半ばで彼と巡り合えたことも十分幸せでしたが、

「こんな人と中・高生の頃に出会っていたかった」

そう思ったことも度々。

僕に彼のような豪快さやパワフルな行動は似合わないかもしれませんが、実は近年、僕は僕なりのやり方で、障害をさらけ出す挑戦を続けています。

この10年余り、僕は、「見せる」ことを意識しながら、全身を駆使し、ダイナミックに身体を動かす和太鼓の奏法に積極的に着手し、取り入れてきました。

その取り組みは、一奏者として「和太鼓らしい」技術を習得したいという思いから始めたこと。

けれどいざやってみると、目で師匠や諸先輩方の動きを学ぶことのできない自分にとっては、難しいことが多く、また、身体の動きを制御し、熟練させていく際、視覚的に自分を客観視できないため、自室で稽古していても「これで正しいのだろうか?」と不安になることもよくあります。

そのため、師匠のもとへ伺いご指導いただく際には、動きや構えの不自然さや無駄を指摘していただき、修正点を認識しています。

そのようにして、日々模索し、奏法を磨いている時、大事にしていることの一つは、そういった行為を「見えているように見せる」ことに繋げないこと。

いわゆる美しい姿勢や動きと呼ばれる奏法は、単に見た目上の意味を持つだけでなく、そこから発せられる音も美しくなります。

また、僕が取り組んでいる、舞台音楽としての現代的な和太鼓には、所作としての構え方の美の追及や、撥(ばち)と腕の上げ下げのスピード感や切れの良さ、演奏に連動する身体の動きの要素もまた、表現の手段の一つ。

だからこそ、動きに着目している今のアプローチには、和太鼓奏者として必然性があります。

そこに僕だからこそ必要な動き、例えば、目を閉じ、音に集中しながら演奏したり、曲を打ち始める前や、演奏中、太鼓に触れることでその位置を確認することなど、全盲の奏者として必然性のある動きをも、隠すことなく、堂々とお客様の前で見せ、溶け込ませる。

その全てを僕の表現にしていくことを目指しています。

20代前半の頃までの僕は、全身を使用した技術の習得をしても、見えている人にはかなわないだろうと考え、あえてそういう要素は取り払い、衣装や構え方、楽曲の内容に至るまで、ひたすら「いかに和太鼓らしくないか」を追求することで、オリジナリティを出そうとしていました。

あと数年で40歳となる今、あの頃の僕の思考と、「見せる」ことを意識している今の僕とを融合させられたら、また新たな面白いものが生まれるのではと予感しています。

和太鼓の奏者として、和太鼓だからこその奏法は学び続けていくし、その中で研ぎ澄まされて行く身体の感覚や肉体の動きを、見えていないなりにこれからも追及し、表現し続ける。

けれど、それと同時に、全盲であるがゆえに、音を優先できるからこそ生み出せる自由な音楽の在り方も模索し、そのうえで、見えている人とはどうしても異なるであろう身体の動きもさらけ出していきたい。

そういう気持ちの表明として、ずっとかけていたサングラスを最近の演奏の時には外しています。

正解もなければ、間違いもない、全盲の奏者としての僕の葛藤。

それを丸ごと舞台に上げていき、そのうえで「格好いい」表現を目指すこと。

それは、障害を見せることを嫌い、見えているような振る舞いを求めていた思春期の頃の自分との戦いでもあるのかもしれない。

ふとそんな気がしました。

プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。

同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。

第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

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