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『さらば、わたしの』 / わたしの

『さらば、わたしの』
わたしの

2016年7月に起きた「津久井やまゆり園」の事件のあと、私が所属していた社会福祉法人(高齢者-知的障害―児童の事業を展開)でも、事件に対するアクションを起こすべきだということになり、その企画と実行を私が命じられました。

そこで、はじめに考えたのは「わたしの声明」という企画でした。

当時「東京都手をつなぐ育成会」などの知的障害者支援に関係する団体のいくつかが事件に対する声明を出していました。

それならば知的障害のある「当事者」が声明を出すことが必要ではないかと考え、当事者が訴えたいことをパネルにして発表しようということになりました。

パネルを展示する場所はParcoを想定(結局難航)しましたが、駄目でも市内のデパートにすることに。

私はパネル展に向けて当事者の写真と言葉を集めはじめました。

せっかくやるなら美しいパネルを作りたいという思いがあり、専門的な知識と技術を持っている人を探しているときに出会ったのが、当時美術大学の学生をしていたUさんでした。

(彼はのちにバンド「わたしの」のエレキギターとデザイン担当として「わたしの」に関わってくれることになります)。

パネル展の説明をするために仕事を終えた私は夕方と言うよりはすでに夜になった美術大学の校舎を訪れました。

Uさんをはじめ数名の学生が門のところで私を出迎えてくれました。

会議室に案内され一時間近く企画の趣旨を熱く語り、福祉とは関係のない学生が興味を持ってそれに応えてくれたことは今でも忘れられない思い出です。

それ以降も何回か学生とディスカッションを重ねていきました。

結局パネル展は開催することができませんでした。

それはなぜかというと、言葉でうまく伝えきれるか分かりませんが、その展示を企画しようとしている「私」、実行しようとしている「私」はいったい何者なのか?という疑問が途中で浮き彫りになってきたからです。

(「自分探し」という意味では決してありません)。

この「私」と、パネルで展示されようとしている「当事者」の距離感、違いを表現しようとしているだけなのではないかということが意識され、それはつまり「健常(だと思っている自分)」と「障害」の差を際立たせることにならないだろうか、明確に区分することにはならないだろうかと、企画を詰めていけば詰めていくほどそのような問題意識が浮かび、果ては「分離」しようとするならばそれは「犯人が行ったことと一緒ではないのか」という考えにまでなり、自分で自分を追い詰めるような結果となっていきました。

私はもう一度学生とも話し合い、振出しに戻ることにしました。

まずは「私」が何者なのか、この事件に対して「私」はどうするのか、それを表明する必要があります。

表明すると言っても明確に何かを打ち出せるような状態ではなかったですし、答えが見つからないようなところもあって、考え続けていくという動きを維持することが必要だと感じました。

私たちがまず行ったのは、2017年9月、駅前の広場で行われたマルシェ(地域のお祭り)の一角でSNSで募集した「わたしの大切なものの写真」をスクリーンで上映することでした。

これは誰もが参加することが可能であり、とにかく自分の愛着のあるものや好きなもの、思い出の景色の写真などを教えてほしいと呼びかけました。

その動きと同時に、私は作詞をはじめました。

『名前のない幽霊たちのブルース』でも紹介した随一のメロディーメーカー萌さん(バンド「わたしの」のギター&ボーカル)に歌詞に曲を付けてもらい『わたしの』という曲が完成しました。

その曲も2017年の9月の上映会でお披露目させていただきました。

私は「考え続けていく動きの実践」として音楽活動を行うことを決めました。

ベーシストとしてHさんが参加してくれて、最初はスリーピースバンドという形式でスタートしました。

バンド名は「わたしの」。

「わたしの声明」の「声明」がとれた名前でもあり、「わたしの声明」の企画の中で浮かび上がってきた問いである「私」というものを追及するという意味でもあり、「私のもの」という愛着を示す言葉でもあり、ただ単にひらがなの音のかわいさ、やわらかさが好きだったということもあり、敬愛する浜田寿美男さんの『私とは何か』からインスピレーション得て名付けたとも言われています。

名前の由来は諸説あり。どれが理由か忘れました。

私は楽器を何もできない状態だったので、カホンという南米の打楽器を選び、教えてくれる先生を探して3カ月間練習しました。

3人で仕事帰りに夜の公園で練習したり、(私はドキドキしながら)人通りの少なくなった商店街で路上演奏をし、「完全に青春をこじらせてる」と言って笑い合っていました。

そして2017年11月末の地域のイベントで生まれてはじめて人前で演奏する体験をしました。私が37歳のことです。

そのときの様子は『名前のない幽霊たちのブルース LIVE前夜編』『名前のない幽霊たちのブルース LIVE当日編』に詳しく書いていますので、そちらもぜひ読んでいただければ幸いです。

兎にも角にも、こうしてバンド「わたしの」の活動がスタートしたのです。

ーつづくー

プロフィール
わたしの╱watashino

1979年、山梨県生まれ。

バンド「わたしの」
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