「バロメーターは同級生」(後書き)
片岡亮太
今回改めてたけし君との思い出を執筆しようと思い、当時のことを振り返ってみると、今までは気づいていなかった、彼との出会いがもたらした意味に気づくことができました。
それは、僕の視覚障害も含め、「障害」と呼ばれる心身の特徴の捉え方を、根本的に変えるきっかけになったということです。
その変化を言語化してみたところ、思いがけず、英語における「障害」の呼称の仕方の変遷と深くリンクしており驚きました。
突然の失明によって全盲になったことの影響で、僕にとっての視力障害とは当初、「与えられたもの」という意識。
それは英語の「handicap(ハンディキャップ)」という言葉が持つ、「ハンディ(強者と弱者の差異)」という「キャップ(帽子)」を期せずしてかぶることになったというイメージと似ています。
その単語のネガティブな印象への批判があったことから、欧米を中心とした英語圏では、障害のことを、心身が有する疾病を意味する「impairment(インペアメント)」と、日常生活や社会の中で生きる上で生じる困難や不自由など「できない」ことを「disability(ディスアビリティ)」という言葉で称し、区別するようになっていきます。
大雑把にまとめると、「ハンディキャップ」という言葉が、医学的に見た「インペアメント」と社会的な視点からの「ディスアビリティ」という言葉に変換され、さらには、「ハンディキャップド・ピープル」とか、「ディスエイブルド・ピープル」のように、「障害」を先に説明する語順だったものが、まず最初に人ありきで語るべきだという主張から、「ピープル・ウィズ・ディスアビリティ」となっていくなど、障害者を表する言葉は時代とともに移り変わってきています。
たけし君をはじめとする知的障害のある友人たちと出会った頃、僕は自分も含めた障害者とは、「間違って」、「不運にも」そういう身体で生まれてしまった、そんな感覚がありました。
けれど、たけし君たちとのかかわりが深まる中で実感として理解できたことは、そもそも「知的障害」と呼ばれる状態にある人たちと自分との差異なんて、脳の中の微細な個所の動き方が多少異なっている程度に過ぎないということ。
そこに優劣や「かわいそう」等の意味を付与しているのは、かつての僕がそうであったように、たけし君たちのような方たちのことを知らなかったり、心を開いて彼らとかかわったことのない人たちが、勝手に作り出した価値観なのではないか。
確かに、彼らの脳機能のシステムは、多くの人のそれとは違うし、それ故にできないこと、支援を要することはたくさんあります。
けれど、そういったことも含め、僕が間近で知ることになった、たけし君たちを巡る不公平な社会構造や差別、偏見など、彼らの生活に著しい影響を及ぼす問題とは、たけし君たちの脳機能そのものではなく、「知的障害」を受け止めきれる社会になっていないことが原因で生じているものが多いのではないだろうか。
あの頃、ここまで明確に思考していた記憶はありませんが、漠然とこう言ったことを感じていました。
その気づきを通じて、弱視で生まれて10歳で全盲になった僕自身についても、「この状態が僕のあるべき姿なんだ」
そんな意識が芽生えていったように思います。
こういった僕の「障害観」の移り変わりを、日本語だけを用いて説明するならば、「障害を持っている」ではなくて、「障害がある」のように、障害と共にある状況を捉えられるようになったと表現することもできるかもしれません。
でも、どうにもしっくりきません。
英語圏で発生した障害を巡る言葉の変遷の多くは、それを求める人たちによる社会運動に端を発しています。
日本でも、視覚障害のある人を示す言葉は、「めしい」とか「めくら」と呼んでいた時代から、「盲人」、そして「視覚障害者」へと変化してきました。
そこには、個々の言葉に内在化した差別意識を打破すべく戦ってきた人たちの歴史や、法制度の改正等の影響が反映されています。
ですが、英語における「ハンディキャップ」や「インペアメント」、「ディスアビリティ」の使い分けや、「ピープル・ウィズ」の言葉に代表される思想を感じさせる言葉の改革を、僕は日本語から見つけることができませんでした。
障害の「がい」をどう表記するか、「障害を持つ」ではなく、「障害がある」と表現することなど、もちろん議論されるべきテーマであることは間違いありません。
けれど、もっと根本の部分で、意識を開拓できるような、その語句を口にし、書き、見聞きすることで、いつの間にか多様で、公平な人間像を抱けるような、そんな言葉を僕たちは今新たに生み出すべき段階に立っているのかもしれない。
「名前を呼んでもらう」というミッションを通じて様々なことを教えてくれたたけし君から、またしても大きな課題を受け取った気分です。
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。