「バロメーターは同級生」(後編) / 片岡亮太

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「バロメーターは同級生」(後編)
片岡亮太

たけし君に対する、K先生と僕との違い。

考えてみるとそれはすぐに見つかりました。

見出した答えは、「たけし君を馬鹿にしているかどうか」でした。

自分でも気づかないようにしていた僕の心の底にあった思いに、思わず目をそらしたくなりました。

K先生がたけし君と関わる際の言葉や雰囲気は、K先生が僕とかかわる際のそれと寸分たがえぬもの。

K先生の中で、僕とたけし君の間に、教え子として、何の差も優劣も存在していないことが、日々の様子から伝わってきました。

一方僕は、たけし君の存在を奇妙に感じ、なるべく近くに寄らないようにと考えてさえいました。

正直なことを書いてしまえば、あの頃の僕には、たけし君をはじめ、知的障害のある友人たちを、「同じ人間」と感じる心がなく、どこかで見下していたし、かわいそうだと思いながら関わっている気持がありました。

その感情は、奇しくも当時の僕自身が他人から向けられて、何より立腹し、嫌悪していた感情でした。

近隣の小学校の児童と、「学校間交流」という行事で時間を共にした際、「自分たちとは違う人のことを知ろう」というスタンスで接せられることに憤り、時には、誰かの冗談に僕が笑っている様子を見て、「あっ、普通に笑えるんだ」と、その子にとっては新鮮な発見であったであろう言葉が、教室の隅から聞こえてきたことに、「馬鹿にするな!」と、悔しく思っていた僕。

そんな自分が、毎日学校生活を共にしている同級生たちに対し、同じような心を持つどころか、もっとひどいものを向けていた。

そんなやつの名前なんて、誰も呼びたいはずはないではないか。

どうしようもなく自分を恥じました。

その翌朝のこと。

せめてこれからは友人として、心を込めて彼とかかわろう、朝の少しの時間であっても、これまでの彼に対する態度を詫びる気持ちを込めて、傍にいよう。

そんな思いを持ちながら届けた
「たけし君、おはよう」
に戻ってきたのは、
「片岡君、おはよう」
という、元気な声でした。

今思い出しても鳥肌が立つほどに、ドキッとしました。

きっとたけし君には、彼を含めた知的障害のある友人たちをどこかで見下す僕の心も、それを悔い改めようとしている内心の変化も、全てお見通しだったのでしょう。

「全部わかっていたんだね」と考えながら、初めて名前を呼ばれた喜びと、名前を呼んでもらえなかった間、僕が彼らに向けていた感情への申し訳なさで、涙があふれそうでした。

あの瞬間、僕たちは本当に「出会った」のだと思います。

以来、中学3年で母校を卒業するまでの間、僕にとってたけし君は、誰より心を許せる友人でした。

できる限り彼の傍にいて、朝の身支度はもちろん、学校生活の様々な場面で、僕がサポートできることはさせてもらっていました。

たとえそこに「会話」と呼べるほどの言葉のやり取りが介在していなくても、彼が「片岡君」と当たり前のように呼んでくれたり、掃除の時間に、僕が手を添えながら一緒に雑巾を絞ったりできる、それだけで十分でした。

たけし君が嫌っていた拍手の音や、ピンと張りつめた式典などの空気の中、泣き叫びたいのを我慢するために、力いっぱい僕の手を握ってくれたり、こらえ切れず泣き出してしまった時、僕の膝に突っ伏して涙や鼻水をたらしてくれる瞬間、確かにお互いを信頼できているという実感がありました。

それはいつでも胸を温かな熱で満たしてくれると同時に、僕の心にかつてのような、友人たちを嫌悪したり、見下す気持ちが存在していないことの何よりの証明であり、僕にとっての勲章でした。

そんなたけし君たちとの学校生活の中、校外学習や修学旅行などで、学校の外へ出かけてみると、移動中の電車の中や、コンサートホールなどで、周囲の人からたけし君たちに向けられる奇異なものを見るような視線や、「暴れないだろうか?」と無意識に警戒している感情を、何度となく一緒に受け止め、経験させてもらいました。

また、卒業後の進路について、どの学校を受験するか悩んでいた僕に対し、「施設に空きがない」等の理由から、「入所できる施設を捜す」ことを余儀なくされ、「進路を選ぶ」のではなく、「進路の側から選ばれる」かのような彼らの様子など、社会の中で知的障害のある彼らが、いかに自分とは比べ物にならないほど不公平な状況で生きねばならないのかを、間近で見せてもらえたことが、社会福祉を学びたいと考えるきっかけになりました。

表現者として、「伝える」道を選んだ時も、その気持ちの根底には、「福祉の現場からでは届かないところへ声を届けて、少しでも社会を変えていく一助になりたい。

そしてたけし君のような障害のある方たちも、安心して社会の中で暮らせる状況を生み出す一役を担いたい」という思いがありました。

現在こうやって、たけし君との日々を綴っていることも、僕が当時経験した気づきをお読みくださる方たちと共有することで、何かが伝わればと願っているからです。

卒業から20年以上が経ち、たけし君とは再会を果たすことができずに時間が流れていますが、今でも、知的障害のある方や、認知症の方はもちろん、どんな方とお会いするときにも、相手への敬意を忘れていないかと自問する僕の声は、たけし君のそれと重なります。

「片岡君、おはよう」

たけし君にそう呼んでもらえる自分でいられているかどうか、それは、僕にとって何より大切なバロメーターです。

プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。

同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。

第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

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