ぷくぷく姫のさえずり No.7 続2「視覚障がい者の前での行為」 / 水島恵

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ぷくぷく姫のさえずり No.7 続2「視覚障がい者の前での行為」
水島恵

前回の続きで、2つ目の実例からの話です。

これは、不愉快の何ものでもない話です。

札幌在住の友人が電車内で起きた経験を教えてくれました。

友人は重度弱視なので、目の前で確認できるものもありますが、周囲の人の動作などは確認できません。

友人は十代の長女と十代の長男3人で、小樽札幌間の列車に乗っていたそうです。

その時、友人はスマホを出して顔に引っ付けるようにして見ていたようです。

すると、近くに座っていた20代の男性グループの1人が、スマホを取り出し、友人の真似をしてグループ内でふざけ受け狙いさせて、さらにグループの別の男性も続けて同様真似をして、嗤っていたそうです。

こういう場合、私たち視覚障がい者は、わらい声が小さくても聞こえ、話題でのわらいなら理解できますが、景色や行為からのわらいは、解説が無いと理解不可能なことが多いです。

やはり友人はその場では知ることはできませんでした。

友人がこの事を知ることになったのは、娘さんが別の日に小樽線に乗車した後、思い出して元気がなくなったことで、その理由を話したことからです。

友人は、自分の真似をされた事やそれを知らなかった事にショックを受けたのは、もちろんですが、それよりも「親が障がい者であるが故に娘が傷つかなくてはいけなかった事が辛い」と言っていました。

「この実例のような事が無い世の中が何よりですが、まだまだこのような人が存在しているので、打たれ強くなるしかないので、子どもたちに強くなってほしい」とも言っていました。

この話を聞いて、私が感じていることや思い出したことを少し話します。

この20代の男性グループは大学生ではなく社会人のようだったらしいのですが、経験値や想像力が乏しいのでしょうね。

彼らにも良いところがきっとたくさん有るでしょうに、残念なことにこの1つの行為で人間性を疑いたくなります。

何を思ってこんな行為をしているのでしょう?

私はこの話を聞いた時、からかう行為をした彼らに対し、真似るなら今後あなた方がスマホを使う時には、どこでもいつでも誰の前でも友人の真似をした姿でしかスマホを使えないという義務を与えてやりたくなりました。

「安易に真似したい時だけやってないで、ずーっと真似し続けて、そこから学べ」と言ってやりたかったです。

友人の娘さんがショックだったのは、自分より年上で明らかに成人した者の行為だったからショックが大きかったようです。

そうです、幼児や小学生だったなら娘さんも年下だから言い聞かせて諭すこともできたかもしれないし、そうすることで気持ちも違ったのではないかと思いました。

我が家の長男は軽度の自閉症と知的障がいがあり、次男はそれぞれ重度の視覚・知的障がいと自閉症のトリプル障がいがありますが、地域の保育園に通園し、小・中学校の通常学級に通学しました。

その間、真似をされてからかわれたりするようなことは起きなかったと記憶しています。

もし起きていても先生方や保護者がその場で問題行動に対応してくださっていた確信があります。

保育園の担任の保育士は、私たち視覚障がいを理解するために、自宅で夕食をアイマスクをして食べることを試してみたと言われていたことがありました。

このように理解をするための行動なら不快にはならないのですが、列車の20代の男性たちは、ほんと何を目的にやった行為だったのかと腹立たしく感じます。

私の中・高の時の同級生が子育て中に言っていたことがあります。

同級生の子どもの学校で、脳の障がいで歩行に支障がある児童がいて、長女さんが歩き方を真似したことがあり、『「真似するな」とか「良くないことだ」と言うだけでは、その児童に対しての真似を止めさせるだけにしかならないからね、真似した本人が何を目的にその行為をしたのか確認してから考えさせないとね』と言ってたことがありました。

私も同様に思います。

指摘するだけでは根本的な意識は変えられないし、自分の行動に責任を持たせることもできませんよね。

同級生は、長女さんに「真似するんなら、自分の都合の良い時だけ真似して、しんどくなったら止めるみたいなことしないで、一日中やってみなさい。」と言ったそうです。それを思い出しました。

同級生の長女さんは、もちろん一日中真似しなくても想像力を働かせるだけで、そこで学ぶことができたようです。

小学生だって想像力を働かせて色々感じて学べるのに、小樽線の列車の成人男性たちは、どういうことなんでしょう!?

20年以上生きてきて障がい者を見たことも、障がい者について考えたり感じたりする機会がなかったんでしょうか?

このような実例を聞いたり、経験をするたび、インクルーシブ教育に思いが巡ります。

赤ちゃんや高齢者・障がい者など生活圏に居なくて、感じたり考えたりする機会がないことで理解できないということが起きるのは当たり前かもしれません。

「同じ釜の飯を食った仲」という言葉があるように、色んな個性の者が同じ教室で同じ給食を食べる中で、お互い不都合の悪さを感じたり問題解決に悩んだりしながら育つと少しは理解ある成人が当たり前に存在するのではと思います。

これについてはまたの機会に。

話を戻して、私の母は、私がジロジロ見られることに耐えられないから「何ジロジロ見とるんや!」と相手に言うのです。

子どもの頃は、世間にはそんな人がいることにショックも受けたし、母の辛さも感じていました。

自分ではジロジロ見られていることを知ることはできないし、自分で相手に発言する勇気がなかったから母が「何ジロジロ見とんや!」と言うことが勇ましく感じていたものでした。

私は成長とともに打たれ強くなっていきましたから、傷ついても心ない人へ腹を立てるということはなくなりました。

母は、障がい者の親を56年していても今だに打たれ強くなれず「何ジロジロ見とるんや!」と言っています。

私は母に「ジロジロ見たい人には見させときなさい」と「本来、傷つくだけとか、もうそんなことを言うのはとっくの昔に卒業してないとあかんやろ」と言うのですが。

ぷくぷく姫のさえずりNo.5No.6No.7と3回にわたって「視覚障がい者の前での行為」として話してきましたが、障がいのことではなくても個性的な動きや癖を真似されて不快な思いになったりする経験を持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、共感していただけましたでしょうか。

プロフィール
水島 恵(みずしま めぐみ)

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