クライアントインタビュー
立崎 淳さん(ホームケア土屋札幌)
このシリーズは、障害・難病を持つ方の、暮らし・その人生にスポットを当てて、「障害者」「難病患者」である前に、皆「一個人」として存在するという豊かな事実と、その存在感をできるだけお伝えしたいと考えています。
また、制度の運用状況の実例としても貴重な資料と言えますし、実際に今、難病や障害をお持ちで、どんなサービスをどれだけ使っていいのか困っておられる方に、何かヒントになればと願っております。
では、北の大地のビッグダディ。立崎淳さんの、「男気」のある日々、ごらんください
■プロフィール
- 氏名:立崎 淳(タツザキ ジュン)
- 生年:1962年(昭和37年)
- 出身:北海道札幌市
- 病名:筋萎縮性側索硬化症(ALS)
- 在宅:独居
■発症以前の話。私の歩んできた道は
立崎さんのご出身は?
生まれも育ちもずっと札幌です。札幌は雪が多いんでね、スキー学習も盛んでしたから、学生時代はスキーばかりして遊んでいましたね。近くに山がありまして、親に連れて行ってもらったりして、スキーにはよく行っていましたよ。
夢は何でしたか?
高校生の頃は、夢は特になかったなあ。でも車が好きだったんです。だからそういう意味で、夢というか、車の運転をしたいなと。
卒業後は札幌の企業に就職して、スチール家具や事務機器を配送を担当していましたね。トラックに乗って、北海道のあちこちを配達してたんですよね。函館、釧路…北海道はほぼ行きました。31歳からはずっと八百屋さんに勤めてました。
記憶に残る風景は?
僕が好きなのは、函館の赤松並木。国道5号線です。景色が良くてね、真っすぐな道をずっと走る。
明日は何食べようかなとか、そういうこと考えて走っていましたね。地方に行ったら美味しい食べ物とかありますからね。寿司が好きでね。
お仕事はどのような感じでしたか?
ほとんど1日走ってて、トラックの中で寝て、次の日の夜に帰ってくる感じ。札幌から車を走らせて、夜に配送先に着いて、車で仮眠して、荷物を下ろして、夜中に帰ったりね。
20歳で1人目の子どもが生まれて、そこから子どもが5人になってと、大家族だったんでね、馬車馬のように働いていましたよ。家では奥さんが子どもの面倒を見て、僕は子どもと一緒にキャッチボールをしたり。よく家族でスキーに行っていましたね。
■病との出会い。ALSを発症して
ALSの診断を受けた経緯を教えて下さい。
50代でALSを発症したんですが、なんだか手が動かしづらくなってきて、形成外科に行って診てもらったら、その時はALSとは違う診断を受けたんですよ。手術したら簡単に治る感じだったんですよ、最初はね。
で、手術する予定でしたけど、だんだん何か違うと。何かおかしいということで、「神経内科に行ってください」と紹介されたんですよ。そこに行ったら、病名は言わなかったんだけど、「これはちょっと、うちでは対応できないんで、大学病院を紹介するんで、そこ行ってください」と言われて、その時に自分でも「あまりいい病気じゃないな」と思っていたら、案の定、こういう病気だった。それが分かった時は、すごくショックでしたね。
その頃、子どもはもう大きくて、一番大きい子で39歳。一番小さい子で25歳くらい。大学病院で診察を受けたんですが、「この病気は進行するから、家では絶対一人で生活できないから在宅生活は無理です」という話だった。
病院の先生は、知っているようであまり知らないんですね、こういうことは。それに、「病院から出たら施設に行って大変な生活が待ってる」とも言われてたんですよ。
だから考えたら、かなり嫌だなって思って、絶望的だったんですけどね。その後、北海道医療センターでセカンドオピニオンで受診して、ケアマネージャーから「こういう制度があるんですよ」と重度訪問介護サービスを教えてもらって、初めて制度の存在を知りました。
それまでは、在宅で暮らせる仕組みは全然知らなかったんですよ。それで、「その方向で行ってみたい。その制度を使って在宅で生活しよう」と思って、ケアマネージャーにお願いして、在宅生活を始める準備をしてもらったんですよね。
なので、診断を受けてから1か月くらい入院して、その後、割と早く在宅生活が始まりました。最初に支援に来てくれたのが土屋さんです。
■在宅生活。これからも「私」が生きていくために
在宅生活を始めていかがでしたか?
在宅生活を始めた当初は、時間数が足りなくて不安がありましたね。最初は希望の時間数を言っても、それは貰えないんですよ。だからその頃は300時間あったかないかで、1日12時間もなかった。足りない部分は一人で過ごさなきゃならないんで、怖いなと思ってね。
何かあると訪問看護さんに電話して来てもらうこともあるんですけど、誰もいない時に転んで、次のヘルパーさんが来るまでずっと床に寝ころんだままの時もありました。危険な場合もありましたよ。
そういう状態が続いて、初めてお医者さんから話を通してもらって、時間数が増えていったんですよね。実際にそういう危ない目に合わないと、時間数は貰えない。自分でも「なんでかな」って思ってましたけどね、そういうものなんですよね。
そこから徐々に時間数は増えていったけど、1日20時間になるまで時間はかかりましたよ。2年間くらいかかったかな。そこからようやく落ち着いて、訪問看護さんとか医師の先生、相談員さんから、何かあったらよく連絡も来るようになってますし、今では3つの事業所に入ってもらって、24時間、みなさんに付いてもらっている関係で、安心して生活できています。
心の面ではいかがですか?
症状は徐々に進行していってるんで、その中で病気を受け入れながら生活してきました。前向きに生活しないと、やってられませんから。これでだいたい症状が止まってくれて、こういう状態が続いてくれればなと思うけど、だんだん進行していくからね。そうなると、この先どうなっちゃうのかなと、考えることはいっぱいありますよ。
でも、相談などはあまりしたことないですね。それは自分と。
■現在の生活。一日一日を、「私」として
お声もはっきりされていますが、お身体の状態や生活状況はどうですか?
気管切開をして呼吸器を付けています。痰の吸引もあります。喋れているのは、これね、裏技。
食事は1日1食。昼にいっぱい食べますよ。だいぶん顎が弱ってきて、あまり固いものとかは食べられないけど、寿司とか刺身とか、特にマグロが好きなんでね、口から食べてますよ。
あとは水と飴。でも、ビールは飲みますよ。寝覚めと共に。いつも飲んでますよ(笑)
お風呂は訪問入浴で、週に2回。もうちょっと入りたいと思うけど、こればっかりはどうにもならないですよね。
毎日どういう風に過ごされていますか?
今は日々、Amazonプライムでね、韓流映画やドラマばっかり見てますよ。24時に寝るんですが、朝から夜までびっしり見てます。野球やサッカーもよく見ますよ。
最近、車椅子を自分仕様にカスタマイズしました。2か月くらい前からは、ようやく外出もできるようになって、ショッピングモールに買い物に行ったり、スナックにも行ってきました。
外出はヘルパーさんと?
ヘルパーさん2人と一緒に行きます。やっぱり、なんかあると怖いんで、必ずヘルパー2人体制です。
けれど、予定組むのにね、時間がかかるんで、頻繁に行けたらいいけど難しいね。1か月前くらいに「来月の何日、何曜日に」って事業所に打診して予定を組んでもらってます。でも以前は全く外に出られなくて、ずっと家に居たんで、外出は楽しいよ。来年は映画館とかビアガーデンを考えてます。目標がそれ。
独居ということですが、ご家族の方とはよく会いますか?
僕はバツ2で今は独り身。子どもとはたまに。最近はあまり来てないな。小さい子がいるんで。孫が2人いて、来年1人生まれるから3人。子どもが遊びに来たり、そういうときは楽しいね。
■クライアントとアテンダントという、「人」と「人」
ヘルパーとの関係性についてお聞かせください。
ヘルパーさんにはね、言いたいことを我慢しないで言わせてもらっています。何をやってもらいたいか、何を言ってるのかを理解してもらって。人間と人間なんで、伝わるまで時間がかかるけども、そこはお互いにやっぱり思いやりだと思うんですよね。時間を掛けて、信頼関係を徐々に築いていって。そうすると、なんでも分かってきますね。
最初の頃は女性のヘルパーさんが多かったですが、今は男性のヘルパーさんが多くて、一緒に寝るまでテレビを見て「彼女、かわいいね」とか、そんな世間話をしています。
相性は大事ですか?
もちろん一人ひとりそれぞれ違うし、相性もあると思いますよ。やっぱり考え方が似ている人は相性がいい。価値観が似てないと、合わないんじゃないかなと思いますけどね。
ヘルパーはご自身にとってどんな存在ですか?
自分の体の一部ですよね。命を支えてもらっている。もう自分ですよね。土屋さんで言うと、最初から見てもらってる事業所なんで、満足はしてます。ただ、やっぱり人の入れ変わりが早いところもあるんで、そういう面で一人一人の人に長く来てもらえればありがたいなと。
■立崎さんが、今思うこと
立崎さんの思う、自分らしく生きるとは?
家でやっぱりね、今までの時間と変わりないように、ビールを飲んだり、美味しいものを食べたり、テレビを見たり、そういうのが自分らしく生きることかな。
同じように、ご病気を持つ方に伝えたいこと
僕もそうだったけど、在宅で生活できる制度を知らない人が多いんですよ。やっぱり同じ病気の人、ご家族がいっぱいいるわけですから、こうした制度を知って欲しいなと思いますね。
「こういう道があるんですよ」
「こういう風にすればね、人生もこうやって、やりたいことや自分らしい生活ができますよ」
「実際にこうやってますよ」と、そういうことを、励みになれるようにね、教えてあげたい。分かってもらいたいなというのがありますよね。
僕はまだね、恵まれてる方なんで、それこそ最近そう思いますね。
支援者側から見た立崎さんのエピソード
今回、立崎さんの取材にご協力いただいたホームケア土屋の北海道・東北ブロックマネージャー・澤田由香、北海道エリアマネージャー・三浦耕太、北海道コーディネーター・相馬聡に、立崎さんの印象やエピソードをお聞きしました。立崎さんのコメントも掲載します。
また、こうした機会だからこそ聞いてみたい、立崎さんとのQ&Aも記載します。
澤田由香が語る、立崎さんのエピソード
私服がダンディなんです。ハットも「こういうのかぶって出かけるんだよ」と見せてもらったりしたんですけど、ご病気される前の立崎さんのお人柄がすごく想像できました。
立崎さんから昔の話を聴いたり、今はこうやってご病気されて、ご自身の病気と向き合って、一生懸命頑張っているんだなというのがすごく伝わって、支援に入らせていただいた回数は少ないんですけど、とても素敵な方だなというのが印象です。
相馬聡が語る、立崎さんのエピソード
その時、印象に残っている立崎さんの言葉が、「介助には一つ一つ必ず意味があるんだよ」というものです。
例えば、立崎さんの身体を動かしたり、ケアをしたりするとき、あとお食事の時とかも、一つ一つの介助に「なんでこうやらないといけないのか」という意味が必ずあるんだよと、教えてもらったんですね。
そこから介助の意味を考えたりと、立崎さんから介護職員としていろいろ学ばせていただいて、すごく感謝してるんですね、僕は。
当初は週5で支援に入っていて、厳しいところもあったんですけど、立崎さんの気持ちがすごく伝わるくらい、一生懸命僕に話しかけてくださって、コミュニケーションを取ってくれたことが、すごく嬉しかったですし、だからこそ一生懸命介助できたかなと思いますね。
今はコーディネーターとして、夜勤の支援に入らせてもらっています。21時から支援に入り、一緒にドラマやスポーツを見たりしていますね。たわいもない会話も気軽に話せて…、あとはたまに僕の奥さんの悪口を、立崎さんに勝手にぶつけてます(笑)
もう3年近く支援に入らせていただいていますが、立崎さんはやっぱりポジティブなので、僕らヘルパーも前向きな気持ちで仕事できるのもありがたいし、学ばせてもらっている所でもあります。
三浦耕太が語る、立崎さんのエピソード
「え?!」と、びっくりしたんですけど、立崎さんも「え?!」ってなってて。でも、そこが立崎さんのすごいところで、全然変わりなく受け入れてくれたんですね。
もしかしたら不安があったのかもしれないですけど、全然嫌な顔をせず、そこから2人でずーっとやりとりしながら支援を覚えました。私も夜勤にも入っていましたが、ものすごく心遣いをして頂いて、本来寝てはいけないんですけど、休んでいいんだよとか、常にそういった声をかけていただいていました。
それに、立崎さんの人を見る力、見抜く力って速いんですよ。1日で「この人、こういう人だよね」みたいな。そういう感性がすごいなと、とても勉強になりましたし、いろいろ学ばせていただきました。
今は支援に直接入ることはないんですけど、そうした支援を通して立崎さんの人間性を色々感じて、だからこそ、立崎さんがスナックに行けたというのがすごく嬉しくて。私が支援に入っていた頃から「外出はしたい」って伺ってはいたんですね。当時は車椅子のサイズが合わないとか、いろんな理由があって行けていなかったんですけど、今は2人体制で外出できているということがすごく嬉しいです。映画館やビアガーデンへの外出もぜひ叶えていただきたいです。
あと、立崎さんのお話しにあった、ヘルパーが定着しないという部分に関しては、やはり、なかなか立崎さんの思いがヘルパーに伝わらないというところの相違が一番大きかったのかなと。
立崎さんは言動が強いときも確かにあったんですけど、もちろん悪気はないですし、立崎さんのいいところは引きずらないこと。その場で終わるんですよね。そして、そのまますぐ、そのヘルパーはだめだよ、ということはせず、しばらく様子を見て下さる。その上で何回も話し合いを重ねながらヘルパーが育つという所でずっと来ています。
その後、コーディネーターが相馬さんに変わって、男性スタッフがメインとなって、以前よりも少しヘルパーが安定してきています。
結論として、立崎さんはぐちぐちせず、あとくされなく、男気のある方です。
~こうした機会に聞いてみたい!
立崎さんへのご質問~
- Q:好きなタイプ、人間性は?
-
A:タイプね。やっぱり優しい人が好きだし、思いやりのある人。そういう人が好きですね。
- Q:ずばり、3度目の結婚はありますか?
-
A:貰ってくれる人がいれば、貰われたいです。
- Q:この先何かやりたいこと、挑戦してみたいことはありますか?
-
A:飛行機に乗って、どこか旅行に行きたいですね。羽があったら。なかなか難しいですけど。
- Q:気持ちの強さをどう培ってきたんですか?
-
A:なんだろね。大家族だったから、常にね、僕が引っ張っていかないとね、成り立たないんで、後ろ向きではあんまりないというか、前向きに、とにかく引っ張ってきたんです。奥さんとかには一生懸命稼いで来いと言われて、いっぱい尻、叩かれてたしね(笑)
再婚して、連れ子もいたから8人家族。大変です。だから、そんなめそめそしてられないですよ。大変だ。
編集後記
病への潜在的な恐怖感から、介護のこと、福祉のことを考えない、世間にはそんな傾向もあるようです。しかし、ぼんやりとした不安はぼんやりとしていれば猶更に、不可解≒恐怖の対象になっていくのだろうと思います。
立崎さんの、「一日一日を自分らしく過ごそう」とされる姿は、ぼんやりとした不安や恐怖を切り分けていく「ジェントルな刀」のように感じられます。