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パパはつらいよ~子育て日記~【前編】 / わたしの

パパはつらいよ~子育て日記~【前編】
わたしの

「パパなんか知らない!バカだよ、外に出て!」

3歳半になる娘がしかめっ面をしてまた私に向かって叫んでいる。

2021年9月中旬。

最近、どうも「情緒不安定」で、保育園からの帰りも興奮状態のまま家になだれ込んでとりとめがない。

ずっとしゃべっているし、次から次へと興味が移り、動き回り、そのうち次第にイライラしてくるようでいつも怒っていた。

「怒るよ!」

「意地悪!」

「あっち行って!」

「そういうの嫌いだよ!」

朝もちょっとしたことでこじれて大泣きし、保育園に行かなければならない時間が過ぎても気持ちが切り替わらない。

保育園に向かう時間が近づいているということは、仕事に行く時間が近づいているということなのである。

仕事がなければ、保育園は遅刻しても構わないのだからいくらでも時間を使って向き合ってもいいのだけれど、娘を保育園に預けなければ仕事にも行けない。

後の予定があると思うと焦ってしまう。

保育園へは自転車で5分。

しかし自転車に乗ってしまえばたった5分だが、家を出ることに気を向かわせるまでに時間がかかる。

もっと言えば食事に向かうまで、着替えをするまで、起きてくるまでにも時間がかかる。

ゆっくりとではあるが順調に進めばまだよいのだが、着替えを急かすあまり、手伝ったことで気分が崩れ、もう少しで全部着替えられていた洋服をすべて脱いで泣きながら床に投げつけて怒ることもある。

『シーシュポスの神話』のようにあっけなくゼロに戻るのである。

また、気に食わないことがあるとテーブルの上のものを全部落としたり、靴のまま玄関から部屋まで戻って行ったりと、停滞したり、行きつ戻りつを繰り返してどうにか自転車に乗るところまでたどり着くのである。

私はくたくたになっていた。家と仕事の合間に自転車で風を切ってはしっているときだけが唯一ほっとできるときだった。

娘は最近特に感情の表し方の激しさが増した。いつも怒っている。

この「情緒不安定」はどこからくるのだろう?

理由はいくつか考えられる。

一つには数週間後に開催される「運動会」。

娘にとってのはじめての「運動会」。先生たちが話題にしはじめ、踊りの練習などがはじまっているが一体どんな行事だろう。何をするのだろう。

はじめてなのでイメージが湧かない。

楽しそうだけど、ちょっと不安。そのワクワクや緊張が原因の一つとしてあるだろう。

もう一つは、同じクラスの友だちふたりが転園してしまうらしく、その寂しさがあるのかもしれない。

寂しさもあるし、友だちがクラスからいなくなってしまうという現実があるんだということを知って(うまく処理できていない)、もしかしたら自分もここからいなくなることがあると考えたのではないか。

どうしたら、何をしたらいなくなってしまうのか。気になる。

私たちは5月に引っ越しをし、娘は7月から保育園に通うようになったのだけれど、いつだったか「また引っ越すの?」と何度か聞いてきたことがあった。

また、ちょっと前に「違う保育園に行く」と言い出したこともあった。

「ちがう保育園に行ったら、〇〇組の友だちともさよならだよ」と言うと、

「友だちも一緒に連れて行く!」と言っていた。

そのときは単なる微笑ましいエピソードにしか感じなかったが、今思えば「転園」とか「引っ越し」とか「友だちとさよなら」ということについて気になり、本人なりに理解しようとしていたのかもしれない。

そんな複雑な気持ちの整理がつかず、言葉にもならず、少し毛羽だった文句を叫んだり、周囲が望んでいることと逆のことをわざとやってみせることで表現している可能性もある。

ただ、その二つの理由だけではない気がしていた。

思い返すと、娘が荒れた時期はこれがはじめてではない。

あれは確か2020年の5月。一番最初の「緊急事態宣言」のときのことだった。

2歳2ヶ月の頃。

あの頃も娘はすごく荒れた。

寝かしつけるときに特に大きく荒れて、叫んで転がりまわっていた。

それまでももちろん寝かしつけは簡単ではなかった。

しかし繰り返される寝かしつけの場面で試行錯誤し、開発してきた技術※をフル導入すれば眠ってくれたのである。

(※技術とは、例えば手を蛇の形にして布団から出し入れする「蛇さん遊び」や、鬼が来ると脅かす「鬼脅かし」、絵本を読みながらあるところで絵本の後ろに顔を隠して、そのまま布団で体も隠していつの間にか目の前からいなくなる「絵本フェードアウトの術」などなど)

大荒れした時期はそのような技術をもってしても駄目だった。

あのとき、これは直感なのだが、娘が何かを訴えていると思えた。

何かを伝えようとしていると思えた。

「見直してよ!」

そう言っている気がした。

私は娘が何を見直してほしいのか、考えた。

なんとなくそれは「関係のあり方」ではないだろうかと思った。

「関わり方」とか「まなざし」とか「距離感」とかについて言っている気がしたのである。

それまでの私は、娘に対して赤ちゃんの延長線上で接していた。

そのような接し方を改め、一人前の(とまではいかないまでも)人間として認めて接することを心掛けるようにした。

例えば、先の寝かしつけに関しても、小手先の技術に頼って昼寝の時間に赤ちゃんを寝かしつけようと思うのではなく、

寝ないなら寝ないでいいか…いつかはきっと寝るし。

くらいに構えていられるようにしたし、散歩でも食事でもこちらがコントロールできる部分を少し手放して、今は娘の中から湧き出す主体性と意欲を尊重する時期なんだなと思えるようになった。

すると、娘の大荒れがしだいに穏やかになってきた。

あまり昼寝はしなくなったが、無理矢理寝かしつけなくても、いつの間にかすっと寝ていることもたまにはあった。

落ち着いた娘の様子を見て、やっぱり「あり方を見直す」ってことだったんだなと改めて実感したのだった。

振り返ってみると、あのときの大荒れは、娘が赤ちゃんから子どもになろうとしているその大事な時期だったんだということに気づいた。

あれから娘は一人の主体として生きはじめた。

関わり方を変えたこっちも何から何まで目を光らせるということを少しだけやわらげることができて、お互いに楽になったのであった。

そんな経験があったから、今回の大荒れももしかしたら3歳半の娘が何かを訴えているのかもしれない、と思えるのである。

【後編】へつづく

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