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重度訪問介護説明会を振り返って~一人でも家族でも助けられるように~ / 渡部有真

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約6分

重度訪問介護説明会を振り返って~一人でも家族でも助けられるように~
渡部有真

私は、2023年5月25日、生まれ育った故郷で、地域に寄り添うケアマネージャーさんを対象に、重度訪問介護(以下「重訪」という。)説明会を行いました。

きっかけ、それは地方での重訪の需要を知るべく、生まれ故郷の市役所に調査へ行った日のことでした。

探し求める小さな声に1つでも多く「重訪」をお伝えしたい。もう既に重訪の認知がある地域よりも、まだまだ重訪が発展途上の地域に発信していきたい。

そんな思いから、まずは現地の重訪の利用状況を確認すべく、ホームケア土屋秋田管理者・小松右京さんとともに、私の生まれ故郷である秋田県県南地域の1エリアに足を運びました。

私の生まれ故郷は、他人に対して、すごく世話好きな方が多い一方で、なぜかこう内向的な側面もあったりする、いわゆる「田舎」の風土漂う性格というのが、私の思う「市民像」でした。

そんな性格ですので、制度としてはまだまだ日の浅い重訪は知らない、または使いたくても使えないから諦めている等という実態があるのではないか、確認させていただきました。

そうすると、やはり重訪という制度があるということは分かっていても、それに踏み込んだ利用実績はごくわずか…加えて、その利用というのも「生活のほんの一部、わずかな支援のみ」といったものでした。さらには、重訪を支援として行っていただける社会的資源が枯渇していることも、その要因の一つだと分かりました。

勇気をもって踏み込まんとする小さな声。それが半ば「諦め」から制度利用が途絶えてしまっているのもうなずけました。そこで、こちらからアクションをかけてみました。

「重訪をたくさんの方々に知っていただきたい」

これを快く迎え入れてくれた市役所様、本当にありがとうございました。

そんなことがきっかけで、重訪説明会を開催することができたのです。

「探し求める小さな声に、手を差し伸べるには?」

キーマンとなるのは、紛れもなく小さな声をキャッチするケアマネージャーさん。ということで今回は、秋田県県南地域に寄り添うケアマネージャーを対象に、ともに重訪について勉強説明させていただきました。

・重訪に関する制度の再確認

・介護保険に基づく訪問介護、または居宅介護と重訪の違い

・支援開始に至るまでの具体的な流れ

・利用者が、行政から重訪支援に必要な認定を受けるまで(認定調査について)

・秋田県内・ホームケア土屋の事例

などなど、「対応可能な事業所があれば重訪でこんな支援ができますよ」ということも発信させていただきました。

このような経験を経て私が伝えたいこと、

それは、当社が、営利のために、重訪について知る機会を設けたのではないということです。

数多ある重度訪問介護の指定を受けて支援ができる事業所全てが、重訪を必要とする当事者へ支援の提供をできる環境が構築されればこんなに嬉しいことはないのです。もちろん、良き支援を提供するためには、それなりに発生するコストもあります。しかしその前に、同じ志を持つ事業者が、皆、重訪支援の提供ができることを一人でも多くの方に知ってもらうことが先決。まだまだ重訪を知らない、重訪にたどり着かない地域はたくさんあります。そんな地域を目指して、これからも発信し続けていく気持ちを忘れません。

プロフィール
渡部有真

秋田県湯沢市にて、昭和60年8月24日、渡部家の長男として生誕。
実家は武道具店を経営しつつ、父は剣道場の初代館長として、母は武道具店の販売や修理等を担当して生計を立てている。家族はもう一人、歳が5つ離れた姉がいる。

▼父
見栄っ張りで頑固な面もあるが、性根はやさしく他者を思いやる心もある。元警察官。剣道の世界では秋田県内では、名の知れた剣士であり指導者である。

▼母
泣き虫で心配性。我慢強さもある一方ではおっちょこちょい。愛情深く、姉弟ともに、母からたくさんの愛を注いでもらっている。

▼姉
私が幼少時代の頃の印象は、負けん気の強さ人一倍、歌がうまく運動神経が抜群。秋田県では高校時代まで、名の知れた女子剣士であった。現在は、母の遺伝子を引き継いでいて、泣き虫で心配性。自身のことより他者のことを考えるやさしい姉。

裕福とまでは言えなかったものの、何不自由なく人並みの生活ができたことには心から感謝している。

▼渡部 有真 昭和60年8月24日生まれ(現在36歳)
長短所:私は他者から「細かい」と言われます。すべての物事には、それなりの道理や理由があると思っています。その性格も相まって、探求心が強く、「なぜ?」や「どうして?」を放っておかない、いや、放っておけない性分だと自負しています。ストレートに話すタイプだと思います。とは言いながら他人に対しても自身に対しても、甘さがたくさんあることもまた自負しています。楽しいことが大好きです。もっとも、自分の楽しさより他者が楽しんでいるかどうかを気にしてしまいます。他者からどう見られているかを気にしています。嫌われることを嫌います。とは言いながら、問題に直面した時には振返らずに真っ向勝負をしていることもあります。負けず嫌いです。

▼家族と生い立ち
父の影響、生まれ育った環境のせい?(おかげ?)もあり、3歳から剣道を始める。
小学校では、実家での稽古があるため帰宅部。小学校には、陸上部と相撲部がなかったため、シーズンになると校内から選抜された者が代表で大会に出場するという学校の風習があった。動けるちびデブで運動神経もそこそこあった私は、陸上部兼相撲部に選抜され、その時ばかりは剣士ではない道に尽力した。中学校になると剣道部に所属して、寸暇を惜しまず剣道の稽古・遠征・大会に明け暮れた。中学時代に残せた戦績も加味され、県内では名門で進学校である「秋田南高等学校普通科」に進学し、またまた、「起きては剣道」を繰り返す毎日であった。
そのおかげも(多少なりとも功績を残すことができたことも)相まって「早稲田大学スポーツ科学部スポーツ文化学科」に入学。大学では、キャンパスライフというよりか、社会勉強が9割で、またしても剣の道に明け暮れる毎日。剣豪が集う関東で、大学3年時には、自身の無力さに挫折し、約2カ月間の逃亡を経て、再び大学体育会剣道部に舞い戻り、大学4年時にはなんとか戦績を残すことができた。
その後、就職活動には大苦戦はしたものの、地元秋田に戻り、新卒にて法務省管轄の仕事に入職。国家公務員として勤務していたが、人々の笑顔が感じられる仕事を求める気持ちが日に日に強くなり、一念発起で介護業界へ。前会社への入社・退職を経て、「株式会社土屋」の常勤アテンダントとして重度訪問介護の支援に没頭する中、介護感を養うため「実務者研修」の資格を取得。
2021年7月1日付けで、ホームケア土屋秋田の管理者兼任サービス提供責任者に就任
2021年8月1日付けで、コーディネーターに昇格
2022年3月1日付けでオフィスマネージャーに昇格し、現在に至る。

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