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介護と育児と仕事のマッチング ~「時には深く組み合わせること」 / 佐藤 志津子

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介護と育児と仕事のマッチング ~「時には深く組み合わせること」
佐藤 志津子

はじめまして。ホームケア土屋山形の管理者を務めております佐藤志津子です。

私は工業高校を卒業し、地元の建設会社で建築士として現場監督として27年間毎日ヘルメットをかぶり仕事をしてきました。45才の時に「人生の折り返し地点からは物ではなく、人のために」と介護業界へ思い切って飛び込んだのでした。そのきっかけはおじいちゃんだったのかもしれません。

29才の時、男の子3人の母親でもある私が、母方のおじいちゃん(当時86才)が独居だったため、心配だということで家族全員(私・夫・子3人)で、おじいちゃんの家に引っ越しをしました。

同居した当初は元気にしておりましたが、徐々に認知症となり徘徊もするようになって、ヘルパーさんに毎日来てもらっていました。私はフルタイムで仕事をしていましたので、帰宅すると間もなく育児とおじいちゃんのお世話に明け暮れる毎日で、精神的にも育児がうまくいかなくなり、ボロボロの毎日でした。このままではいけないと在宅で建築図面を書いたりする仕事に切り替えて、介護と育児の両立をしようと決意しました。

三男を妊娠しているときに、毎日の祖父のおむつ交換で、切迫早産しそうになり、2カ月入院したこともありました。その時、「一人でじいちゃんの介護は絶対に無理だ」と思い、ケアマネにいつも相談していたのを覚えています。訪看さんやヘルパーさんの方々の支援はもちろん大変助かりました。ボロボロのままの生活を続けていたならば、事件が起きていたかもしれません。

そして何よりも一番ありがたかったのは家族の支えでした。小学生だった子供たちにおじいちゃんをみてもらい、買い物に行ったり仕事したりしていました。

おじいちゃんと同居した理由は、ただひとつ、子供たちに「人間の生き様と死に様をみてほしかった」からです。入退院を繰り返しながら97才で亡くなりました。子供たちと一緒に看取ることができたことは本当によかったと思っています。お葬式の時に、子供たちが誰よりも声を上げて泣いていたのは今でも忘れることはできません。

昔に比べると、おじいちゃんおばあちゃんと同居することが少なくなっているのが現状ですが、この高齢化社会でどれだけの高齢者が1人で苦しんでいるのだろうか...どれだけの家族が途方に暮れているのだろうか...と思うと胸が痛くなります。

近所をみても、老夫婦や独居の方ばかりです。自分に今できることはなんだろう。。。回覧板を届けるたびに声掛けしたり、雪かきしたり...ご近所付き合いはとても大切だということは東日本大震災の時に身に染みて感じました。

誰でも1人では生きられないということ。地域ぐるみで介護と育児が共存できるようなしくみがあってほしいと願うばかりです。

三男は中学生となり、「仕事と育児の両立」まさしく今の私です。育児というよりは自立という教育の段階ですが。毎日のように福島と山形を往復している私をみて子供たちはどう思っているのだろう...。

家に帰って来てもすぐにパソコン開いて仕事したり、夕食が遅くなったり、朝食を作らず仕事に出ることもたびたびあります。学校のお便りを確認するのを忘れたり。母親としては抜けているところだらけです(笑)

それでも私は、今の土屋での仕事が大好きでとてもやりがいを感じているので、自然と楽しくなり、子供たちにイライラしたりすることはほとんどありません。それどころか、もちろん守秘義務を守ったうえで、クライアントやアテンダントの相談をしたりして、子供たちや主人の意見を聞いたりしています。

理由は子供たちにも母親がどんな仕事をしているのか知ってほしいからです。

私がどこでどんな仕事をしているかを見せるために事業所で見学させたこともありました。

世の中にはこんなにつらい病気の人もいるけれども、手を差し伸べる人もいる。病気や障害を持っていても、こんなに明るく元気に生活している人もいる。それを、一人でも多くの子供たちに知ってほしいと思っています。プライベートと仕事は、分けて考える必要があるとは思いますが、時には、仕事に家族も巻き込んで一緒に考えたり、ヤングケアラーの問題を話し合ったりする機会があってもいいと思っています。

子供たちは母親の仕事を知ってからは、家事全般をしてくれるようになりました。食事の準備やゴミ出し、掃除や犬のお世話など、子供たちの自立にもつながり、「家族全員で仕事をしているという和」が生まれています。

不規則な仕事でもありますので大変かもしれませんが、「介護と育児と仕事」の両立は可能にしていかなければならないと感じています。うまくマッチングして楽しくいきいきとした生活を送ることができるように、一人でも多くのアテンダントの働きやすい職場環境をつくること、そしてクライアントの命を守る支援につなげることが私の使命です。

プロフィール
佐藤 志津子 ホームケア土屋山形

昭和48年5月27日福島県伊達市にて生まれる。
実家は自営で露天商や食堂など飲食業を営んでいる。
小中学校とやんちゃな女子だったと記憶している。

福島工業高等学校建築科卒業。地元の建設会社で現場監督としての一歩を踏み出す。
それから27年の間、現場監督、住宅設計、建築営業と建設業界にどっぷりつかっていた。

45才の時、物から人へと、介護業界へ。「重度訪問介護」と出会う。
私が想像していた介護とは違い、重度訪問介護にカルチャーショックを受ける。
そのときの目標は、50才で介護福祉士の資格を取得することである。

★好きなこと
大型犬が大好きで、保護犬の大型犬2匹と生活している。
ゴールデンレトリーバーのぶんたとゴールデンレトリーバーとバーニーズマウンテンドックのMIXあんこ

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