〇〇線△▽駅徒歩10分、中庭のある支援 / 牧之瀬雄亮

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〇〇線△▽駅徒歩10分、中庭のある支援
牧之瀬雄亮

あるお宅で、三交代の、どの時間帯にも支援にお邪魔していた時期があった。

そのお宅は、当時住んでいた町から自転車で離れ、川沿いの裏通りを自転車で20分ほど流すと、あった。

私の好きな、陰りのある、少し「詫びた」日本家屋だった。

窓が多く、温度調整には工夫が必要だったが、明け方や暮れ方の中庭を切り取る窓は、どこにもない時間軸がもう一つあるかのようで、窓の桟の色は、顕示的でない厳かさで、そこにずっといるような庭木の葉や幹の姿に、ふと手の空いた時に目をやると、まるで、ずっと昔から自分がここにいたような安堵感と、親近感を覚えたものだった。

そんなお宅だった。

電動リクライニングのベッドのリモコンのライトや、フィリップスの呼吸器のアラート音でさえ、この家のもつどこかあっけらかんとした、しんとした中では角が取れたように穏やかに調和しており、吸引カテーテルなどの医療的ケアの消費材が、ガラス瓶のような飴色の木肌の水屋(木製の棚)に仕舞ってある、そんなお宅だった。

お邪魔し始めたころは、重度訪問介護を始めて二件目のお宅ということもあり、自覚も薄く、働き方になじんでおらず、私自身も「金の為」「生活の為」と思っていたところが多分にあり、「結構苦手なお宅」であったのだが、私が「担当を抜けます」という頃にはすっかりお互いに心を開いてしまっていて、しばしの別れの際は、努めてさわやかにふるまおうとするご本人の気丈さがありありと伝わり、辛かった。

重度訪問を専業で始めたばかりのころでもあり、自分自身も暇があれば酒を飲んでしまうような時期であったため、ごくつぶしやってるよりはと、なんだかんだあって、そのお宅によく通った。

そのお宅で皿を洗うのが割と好きだった。

はじめのころは「注意されない時間」でもあり、ご本人にとっても、しぶしぶ受け入れてやった人間の面を、眺めていないでいい時間でもあり、お互いのことは気にしつつも、つかの間、お互いにとっての「休み時間」だった。

皿を洗うのは何も、逃避的意味合いでだけ好きだったわけでもなく、何をするにも趣味のこもったそのお宅のこと、ご本人が主にお使いになる器は、往時、陶芸教室の先生をやっておられたご主人が、奥さんの為に「使い易いように」と「味わいを持たせて」お創りになったものなのだと、先輩ヘルパーに「こっそり」教わった。

「誰かのために何かを作る」というのは、いいものである。

商売心というより、出し抜きや虚飾、逃げ切り、営業トーク的「盛った」価値づけではなく、こと、このご夫婦にあっては、長年連れ添って、お互いのいいところも悪いところもずるさも格好良さも見て知って感情を動かし終わった後で、こう、「渡される」というのは、逃げも媚びもなく、「よかれ」が形になって三次元に表れ出でたような、そんな出来事ではないか。

その「よかれ」の現世に表れた姿を触っているとなぜか、ご本人が母であり、妻であることを感じ、備え付けられていた福祉施設で作られたという石鹸の心地よさも相まって、いつも必要以上に洗っていたものだった。

「家事援助」である皿洗いを繰り返していくたびに、あのお宅での支援の在り方、ご本人に対する気持ちが、醸成されていったのかもしれない。

そういえば洗い場を振り返って、玄関のわきにあった書棚には、私の大好きな「ガロ時代」の作家の漫画が収められており、

「あのう、ガロ、読んでらしたんすか。書棚、拝見したんすけど…」

「あ、知ってますか?あれは私の家宝です」

なんて話になり、私が持っている本をお貸ししたり、中学校の国語の教員をされていたこともあり、大学の頃ぐらいしかしなかったようなレベルの、込み入った文学の話をしたりして、

「さあ、牧之瀬さんは話に夢中になると何か忘れるから、とりあえずやることやっちゃいましょうか」

なんて、たしなめられながら、語弊を恐れるも何も、正しく私が「構ってもらっていた」のであって、「支援」の要素は、「生活に付帯するもの」として、朝「おはよう」と挨拶するぐらいの重さで行われるものとして、為されていたように思うのだ。

私は紛れもなく、ちょっと油断をすれば底をつく、自分の財布や口座を満たすために重度訪問介護を始めたのだった。

ところが、そのお宅で「支援」に入ったことで、私のささくれていた心は解かれ、母親と似た年齢の女性に何か注意をされるということを、どこか感情的に拒否していた私の認知不協和をほぐし、感情でなく事実として受け入れるという「認知行動療法的ブレイクスルー」まで、結果として起こしていただいた。

「情けは人の為ならず」とはよく言ったものである。

夜、「いざ寝ましょう」という際に、呼吸器のマスクを付け替えるのが常だった。

そのとき、「ハァ」と、息が漏れるのだが、呼吸器の影響のない、紛れもない「ご本人の声」が聴けるのは、私が知る中で、その瞬間、その一声のみだった。

この声がきっと、家族を起こし、ご主人に嫌味を言ったり、二人で冗談を言ったり、子供のけがを慰めたりしていたのだ。

ご本人、ご主人には丁寧なご指導を頂いた。

私のみならず、そこで育ったヘルパーも何人もいた。私だけが育てたのではなく、「場」があったのだ。

私に教える力はそうあるものではなかった。

私はそのお宅から引いて、もう何年にもなる。

気管切開をされたと友人から聞いた。

わたしは、あなたの声を、今でもはっきり覚えています。

あ、そうそう。八代亜紀、やっぱり、いいですよ

プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)

1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。

思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

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