『無条件の愛情』【前編】 / わたしの
土橋:今日は、相談支援専門員の暢さんにお話を伺います。どうぞよろしくお願いいたします。
元々は児童の方面から仕事をはじめて、生活介護支援員も経験し、相談支援事業所に配属されたという経歴をお持ちですね。
暢:そうですね。
土橋:そしてプライベートでは三人の娘さんの母親で、家事に育児に大忙しかと思います。}
さっそく聞いてみたいのが、子どもの頃、どんな夢を持っていたんですか?
暢:私は動物と話したかったの。
ドリトル先生とかの本が好きで、動物と会話できたら楽しいな、とか。動物に関わる仕事がしたいな、とは思ってた。
犬が飼いたくてね、「クリスマスプレゼントに犬をください」ってサンタさんに手紙を書いて頼んだの。
そしたら犬のカレンダーが来たんだよね。
次の年のプレゼントは鳥だったの。
「鳥が上手に育てられたら犬も飼えるよ Byサンタ」
みたいな手紙が置いてあった(笑)。
土橋:(笑)。
暢:鳥をまず飼って、そのあと捨て犬をもらって飼った。
その犬がまた本当におバカちゃんで、言うこと聞かなくて。
捨て犬だから、なんかトラウマみたいなものがあったらしくて、ちょっと非行少女を育てているような感じだった。
土橋:人を信用してないような?
暢:そう。
土橋:何歳くらいのことですか?
暢:小学生のとき。犬のことばっかり考えてた。
土橋:動物が好きだったんですね。
暢:でも今は鳥が嫌い。すごい苦手。
土橋:なんで?
暢:怖いじゃん、飛んでくるから。
子どものころも飼ってた文鳥は、逃がしちゃったんだよね。
「なんかやっぱり自由がいいよ、鳥は」みたいな感じで。
犬もしょっちゅう逃がしてた。
散歩のときに、リードをつけている犬を見ると、何かおかしいんじゃないか?犬としてどうなの?自由になりたいよね、って思って放すと、どんどん走っていくのね。
それで車に轢かれそうになったりとかして。
自分がなにやってんだか…みたいな。
土橋:ずっと動物系の仕事をしたかったんですか?
暢:あの人にも憧れていたの。ムツゴロウさん。
でも、その夢は大人になるにつれてだんだん変わっていったよね。
動物の世話もしなくなっちゃって。かわいそうだった。
土橋:そういうのは誰しもあるのかな?
自分もハムスターを飼いたいと思って買ってもらったんだけど、世話をしなくなっちゃった。
後悔してます。かわいそうなことをしたなって思う。
◇
暢:動物の夢は自然消滅していき、そのあと中高生のときは自分の人生とかあんまり深く考えてなかったんだよね。
のほほんと生きてた。
土橋:どこかでこの仕事に就くようなきっかけがあったの?
暢:大学の受験で失敗して、浪人のとき、ちゃんと考えなきゃなと思ったの。
何かやりたいことを見つけて、そのために大学に行くようにしたかった。
それで、家にあった本を読んでいたら、うちの親が「命の電話」(電話でのカウンセリングのボランティア)をやっていて、それ系の本がたくさんあったの。
メンタル系とか非行少年とか拒食症とか…。
そのとき出会った本が、忘れもしない『荒廃のカルテ』という本で、その本は、ずっと虐待を受けていた子どもが、養護施設でも虐待を受けて、さらに虐待を受け続けて、その後、性犯罪を犯して人を殺して死刑か無期懲役になるっていう話のルポルタージュだった。
それを読んだときにすごい衝撃を受けて、やっぱり加害者だけど被害者じゃんって。
ちゃんとまともに育てられていない人がこんなに世の中にいるんだと思って、そこからいろんな本をたくさん読んだの。
それで福祉とか心理とか子どもに関わる仕事をしたくなって、福祉学科がある総合大学を目指して勉強をはじめたの。
土橋:大学時代はどう過ごしていたんですか?
暢:知的障害児の放課後等デイでボランティアしたり、児童相談所でメンタルフレンドなどのボランティアしたりしてた。
あと、フィリピンにも興味があってフィリピンの貧困地帯とか行ったりした。
そしたらフィリピンが大好きになっちゃって、もう適当な感じが好きではまっちゃったの。
すごいアクティブな時期だった。
土橋:大学を卒業してすぐに児童系の仕事に就いたんですか?
暢:養護施設で働きはじめたの。
土橋:そのころの思いというのは、虐待を受けた子どもとか貧困とかを助けたい、あるいは解決したいという気持ちなんですか?
暢:自分は経験していない世界に、まずは興味があったよね。
ゴミの中で生きている人たちってどんな人たちなんだろうとか、好奇心がすごい強くて…。
児童相談所に来ている人たちも壮絶な人生を歩んでいるわけで、そんな子どもたちってどんな感じなんだろう?って思ってた。
でも実際、興味だけでボランティアに行ってた大学のときって、好きなところしかいないし、見てないじゃん。
養護施設で仕事し始めたら、すごいたいへんだった。自分が甘かったんだよね。
それで一年半でやめちゃったんだ。
土橋:好奇心だけでは乗り越えられないものがあるってことですか?
暢:あとは、自分自身のキャパシティーがよくわかってなかったのもあった。
好奇心と使命感みたいなものが自分の中にあったんだけど、実際、仕事に就いてみて無力感のようなものを感じた。
本当に子どもが…かわいく感じられないというか…虐待の中で育てられてきた子どもは暴力の中でつながっているから、すごい憎たらしく感じることがあって、それがまたいじめを引き寄せたり、さらなる虐待を呼ぶような一面を持っているの。
向き合っている職員はそこにはまっちゃいけないと思っても、かっとなることもあるし、すごいたいへんな仕事だって感じたの。
そのあと、放課後等デイで働いて、結婚して、夫が海外に行くことになったんでパラオで暮らすことになった。
土橋:展開が目まぐるしいですね。
【後編】につづきます。