当たり前って何だろう。感謝する気持ち。 / こもとゆみこ
昨日から、海外で猛威を振るい始めている新しいコロナの変異株、オミクロンが日本に入ってきたとニュースが流れています。(今日は12月1日)
もういいよ…来なくて。とため息をついていても仕方がないので、コロナ過での生活の中で最近考えていることを書いてみようと思います。
この2年近くのコロナ過で、非日常で不便な生活を送った代わりに、皆が色々と感じ、考え、適応し、当たり前は当たり前ではなかったと気が付いたり、新しい生活に僅かな利点を見出そうとしています。日本人は、過ぎてしまえばすぐに忘れるという国民性があるそうですが、この2年で経験した日々で学び、習慣化した手洗いと消毒とマスク着用を続けていくことの大切さを忘れてはいけませんよね。
また、日常に感謝する気持ちも忘れないでおこうと思っています。コロナ過に入って半年ほどの頃、「当り前じゃなかった素晴らしい日常」を気にもせずに過ごしてしまった過去の時間を思い、子供の頃に読んだ「モモ」という本の内容を深く理解していれば、もっと時間の使い方が上手な大人になっていただろうに・・・と後悔しました。
毎日、身の回りの沢山の感謝に気が付いて、今この時、家族で過ごせることに感謝、健康でいられることに感謝、欲しいものがお店に並んでいてちゃんと手に入ることに感謝、仕事ができることに感謝する日常を送りたいと、非日常が日常になってきて、今度こそはという思いがあります。
また、後悔だけしていても仕方がないので、訪問介護の仕事をしながら、HP作成、動画編集作成をしてYouTube投稿、ピアノのレッスン再開、心理カウンセリングの資格取得など、やりたいと思ったことを次々とトライしていた先に、夫の傍で何となく関わってきた土屋の入社へと繋がり、重度訪問介護のことを多くの方に知って貰うことの重要性や、アテンダントの仕事やクライアントの暮らしが良い方向に向かうよう考えられた、様々な土屋の取り組みに参加させていただけるようになりました。
中には新しい学びを受け入れず自分中心でしか物事を考えなくなった大人もいるでしょうが、私の周りの大人たちは歳を重ねれば重ねるだけ、学ぼうとする気持ちを持っている方が多いと感じています。
人は皆、成長する過程で色んな勉強をします。意識せずとも日常から自然と学ぶもの、何かしら夢を追って時間を忘れて没頭したことで身につくものもあります。私は沢山の本を読んで得たことが人生に役立ってきたと思っていて、学びに時間を使うのは自己肯定感も上がり、人生が豊かになりますので、これからも続けたいと思います。
そして、何を学ぶにしても、そこには教えてくれる先人が必ずいます。
先日、学校に役員として参加した会で、校長先生があいさつでおっしゃいました。
「夢を追うと時間を忘れ、夢を忘れると時間だけが過ぎ去ります。夢は儚いが、夢は生きる力です。過去は変えられないし現在は今しかなく未来は無限にある。どんな選択をするのかはあなた方次第ですので、それぞれ自分の可能性を信じましょう。」と、生徒に話したそうです。
娘は、年が明けて4月から受験生になります。校長先生の言葉を聞いて、娘は先生から大切な言葉をもらったな、ちゃんと覚えているかい?感謝しろよ?と思いました。真剣にこういうことを話してくれる親以外の大人は、人生の中で沢山はいません。もしかしたら先生の側は毎年言っているのかもしれませんが、聞ける機会はそう多くないと思います。
私自身は子供の頃、月曜日の朝の朝礼の校長先生の話が長くて全く頭に入ってきませんでしたし、担任の先生の話も同じでほぼ覚えていません。あの頃、大人が教えてくれることを真剣に聞いていたら・・・もっと「ちゃんとした大人」になれていたかもしれませんね。
昔は師の言葉を聴く気のなかった子供だった私も今52歳の大人として、ちょっとは考えるようになりました。この、娘の校長先生から教えていただいた言葉を忘れず、「いい塩梅に不利益な過去を忘れ、いろんなことに感謝しながら今を楽しみ、先が見えてきた未来(とはいえ、多分あと30年ちょっとぐらいはあると思う)に向かって、自分の可能性を信じて」生きたいです。
まぁ、不利益な過去だけでなく、意識しないと昨日のことですら、いえ、ついさっき手に持っていた物の居所すら忘却の彼方に消えていくような脳みそに、「コロナ過で得た益ある事柄を絶対忘れないぞ」と気合いを入れて、自分の人生を豊かなものにしていきたいと、グッと拳を握っています。