『食べる人たち』(三)
金代哀
18:00、朝食と同じ食堂に僕はいた。
朝食の時とちがうのは食堂に入る前に体重計に乗らされたこと、友寄の姿がいつの間にか見えなくなっていることだった。
友寄のかわりには霜田(しもた)という体の大きい男が立っていた。
食堂に入ってからは座席も同じだったし、配膳ワゴンが登場したのも同じだった。
しかし配膳する三人の人間は朝とも昼ともちがう人間だった。その中の一人はとても若く、細く、肌が白くて目を惹かれた。名札には『里見(さとみ)』と書かれていた。
僕は配膳をする里見をずっと目で追ってしまった。
マスクをしていて顔は半分隠れているが白目が特に美しかった。
BMI低リスクです!よかったわね、里見が隅の方に座る男に言っていた。霜田が離れた所から笑顔で拍手していた。
里見が華奢な腕でトレーを僕の前に置いてくれた。
「測定結果、あなたは中リスクからのスタートよ。がんばってね」里見に言われた。
ご飯、鱈の西京焼き、ひじきの白和え、かぶの漬物、すまし汁、プリン
―――うまい、けど…もう、お腹がいっぱいであんまり食べられない。さっそく食傷気味になってしまった。
バスに乗っているだけで運動していないので昼ごはんが消化されていない。下手したら朝ごはんも残っているかもしれない。
「食べることが仕事なのよ」というあの短髪女の言葉が蘇ってきた。
食べようとするがこれ以上入らない。半分食べたところで手を止めた。
すると里見が近づいて来てトレーの様子を伺っている。
「残さないでくださいね」細い声で言った。
「ごめんなさい、朝からおいしいご飯をたくさんいただいたので、申し訳ないけど夕食は残します」僕は弱々しく笑いながら言った。
「だめです。全量食べてください」毅然とした態度で里見に言われた。
一瞬で僕の顔からだらしない表情が消え去った。
「でも、もう入んないんですよ」
何を言っても里見は「残さないでくださいね」としか返答しなかった。
僕はもう箸を持つこともできなかった。何を言われようとも食べられないものは食べられない。
僕は里見を睨みつけた。すると里見は霜田のところに言って何かを伝えている。
霜田はちらちら僕を見てから、食堂のバックヤードに消えていった。次にあらわれたときには霜田の後ろに友寄がいた。
友寄は笑みを浮かべながら僕の横にやってきた。
「今日がはじめてだからしょうがないよね。慣れてないもんね」優しい声色で声をかけてくれた。
「そうなんです。もうお腹がいっぱいで…」友寄なら理解してくれるだろう。ほっとした。
「そうだよね、そうだよね、お腹いっぱいだね」と友寄は言った。「わかるよ、お腹いっぱいだね」
「そうなんです、もう満腹で………」
「でもね、残しちゃいけないんだよ。がんばって食べよう。だんだん慣れてくるからさ。お腹いっぱいだって認識しているのは脳だから、実はね胃袋にはまだまだ入るの。だから脳を無視して食べれば大丈夫だよ」友寄が僕の背中をさすりながら言う。
「………もう食べたくないんです」
「ごめんね、それはできないの。ちゃんとこちらはあなたたちが必要としている栄養価を計算して献立を作っているの。量も全て計算しているのよ。だからこれがあなたにとっての適正量なので、残さないで食べてね。朝も言ったでしょ?私たちは食事に力を入れているの。食べることを大事にしてます。だからがんばって全部食べよう。みんな応援しているから!」
「でも………」
「わかってる、応援してるからね!」と友寄が言った。
………何を言ってもだめだということがわかった。終わらせるには食べきるしかない。
ひと口ひと口無理矢理口に詰め込んだ。
友寄の言う通り、満腹を認識しているのは脳であり脳からの信号を無視して、自分がただ食事を胃袋に運んでいく機械であると刷り込んでいけばなんとか食べきることができた。
「すごいじゃない!全部きれいに食べれたー!やればできる!」そう言いながら友寄は両手で僕の肩を後ろから撫でた。胃から食物があがってきて吐きそうだった。
「そうそう、残さず食べると健康になれるからね。明日からもがんばろう!」
「………………」
テーブルに突っ伏しながら顔だけをなんとかあげると、バックヤードに消えていく友寄を里見が追いかけていくのが見えた。
里見は何度も頭を下げていた。
「彼のために食べてもらうのよ」そのとき聞こえてきた友寄の言葉に僕は耳を疑った。
「里見さん、それがサポーターの仕事でしょ?一回でも残すのを許しちゃうと次の日からも彼らは残し続ける。
『食べる人たち』を甘やかしちゃいけない。それは彼らのためなの。今は苦しいかもしれない、でも彼らの将来のためなの。わかった?」
里見は頷きながら友寄の言葉を小さなノートにメモしていた。
こんだけ苦しい思いをして食べるのは、誰かのためではなく、自分自身のため?僕の将来のため?何を言っているんだろう?
僕たちは「食べる人たち」………「食べることが仕事」「食べることが労働」…そして友寄や里見は「食べさせる人」「食べる人たちサポーター」。
どんな仕組みかはわからないが、短髪の女の話だと僕たちが食べることでお金が生まれる。
だからそのために友寄も里見も僕たちに食べさせ続けているのにちがいない。
きっと残したら不利になるのだろう。僕たちが食べなければお金が生まれない。
しかし、あいつらの言い分だと「『食べる人たち』の将来のために食べさせている」という。
何を言ってるんだ!自分たちのためではないのか?
ふと見ると里見が肩を震わせていた。里見は泣いているのか?なぜ泣く?
「私たちの仕事は感情労働だよね……」友寄が里見を慰めている。
こちらに声が届いていることにまったく気づいていないようだ。
「でも誇りを持ってね。私たちの仕事は尊い仕事なの。『食べる人たち』の命を守っているのよ!」
里見がきらきらした目で友寄を見上げていた。透明だが強靭な何かで二人が結ばれた瞬間だった。
「私たちは『食べる人たち』の命を守っている」
胸を張って友寄は言ったが、その言葉にはどこか「怒り」のニュアンスが含まれているように感じた。
何に対しての「怒り」だろうか?何かから自分を守っているような「怒り」だ。その「怒り」を共有することで二人は強く結束された。
友寄と里見がこちらを見ている。
「ねっ、明日からも頑張ろう!」
そのとき僕は気づいた。二人は会話が僕に聞こえていることを知らなかったのではなかった。
聞こえていてもいなくてもどうでもよかったのだ。聞こえたってかまわない。
聞こえたところで僕に何かができるわけではないということを知っているのだ。なぜなら僕には選択肢はない。
「食べる人たち」には食べないという道はない。抵抗もできない。
「食べる人たちサポーター」に逆らうことはできない、そのことをよくわかっているのだ。
悔しい。悔しい。悔しすぎる!
むかつく。ちくしょう。もう辞める、僕は心に決めた。この仕事は終わりだ!
※ ※ ※
次の日、マンションなのかホテルなのかよくわからないあの宿泊施設にマイクロバスが迎えに来た。
僕は追い立てられるようにして乗り込んだ。
昨日と同じ食堂で朝ごはんを食べた。食べ終わるとバスに乗ってお茶休憩をした。
また移動して林の中の洋館で昼ご飯を食べた。移動してお茶とおやつ休憩をした。
さらに移動して夕ご飯を食べた。そしてまた宿泊施設に帰って眠る。
また次の日が来たらバスに乗って食堂に移動し、朝ごはんを食べた。
そしてお茶休憩をした。次に昼ご飯を食べた。またバスに乗ってお茶とおやつ休憩をした。
夕ご飯を食べた。眠った。次の日も朝ごはんを食べた。お茶休憩をした。昼ご飯を食べた。
お茶とおやつ休憩をした。夕ご飯を食べた、眠った………その繰り返しだった。
「食べる人たち」の食べる仕事は休みなく、365日続いた。
「この仕事を辞めたい」と言ったが無駄だった。
「そうだよね、つらいよねー」といった友寄のいつもの共感攻撃が来る。
「でも健康になりたいでしょ?健康と不健康どっちがいい?不健康になりたい人間なんているの?いないよね」
僕は我慢ができず抵抗するときもあったが、しばらくしてすべてが無駄だとあきらめた。食べたくないときもあったが、もう何も考えず食物を胃袋に運ぶ機械となった。
マシーンに徹してさえいれば、物事は平穏に進む。友寄や里見などのサポーターたちが取り乱さなければダメージは少なくて済む。だから穏便にやり過ごすしかない。
「もう帰りたい」と僕は何度も言った。「終わりにしたい」
健康は健康かもしれない、でもこれなら終わりにしたい。しかし、終わりにしてはくれなかった。
「あなたの人生を豊かなものにするために、私たちサポーターはいるのよ」と友寄は言った。
「健康的なごはんを残さずいっぱい食べて、元気になって、長生きしてね」
ついに仲間の気がふれて大声を出してわめき散らした夜、彼は友寄と複数の男に取り押さえられた。
そのときも「あなたのためなのよ、私たちは『食べる人たち』の将来の健康を守っているんです」と友寄は言った。
「私たちは命を守っているんです!」
僕はあきらめて食べ続けるしかなかった。
「食べる人たち」の仕事を続けていくしかなかった。
了






