見えにくい中での妊娠・出産・子育て⑭
水島恵
次男の養護学校高等部への通学は、ヘルパーさん確保にやはり苦労しました。
登下校ともに、自宅とスクールバスの停留所の間を同行してくれるヘルパーさんが必要でしたが、受けいれてくれる事業所がなかなかみつかりませんでしたので、ボランティアさんも視野に入れて探しました。
しかし、入学式翌日までの短期間で探すことになったので整わず、とりあえず下校を担当していただける事業所だけでスタートしました。
そのあと、登校は個人タクシーの方にお願いすることになりました。
非課税世帯だったのでヘルパーさんの事業所への個人負担はありませんでしたが、タクシー料金は身体障害者割引と岡山市から発行されたタクシー券を利用してもかなりの出費になったのは家計に響きました。
そんなことはありましたが、次男は元気に通学できていました。
3ヶ月以上過ぎ、親子・学校・支援者みんなが馴れてきたころ、登校を担当してくださっていた個人タクシーの方が、ご両親の介護の都合で登校時間に仕事が不可能となり、担当していただけなくなってしまいました。
そこで、大手のタクシー会社の女性運転士グループのサービスと契約して担当して頂きました。
そうして登校も再び落ち着いていきました。
ところが、次は下校を担当していただいていたヘルパー事業所が人材不足と、体力のある次男の対応にヘルパーさんが限界を感じての理由から、継続不可となりました。
この時は、取り急ぎ登校担当のタクシー会社にお願いすることになり、登下校で3~4人のシフトで担当していただくことで下校もなんとか解決し、登下校問題は落ち着きました。
タクシー会社がなくならないことや、担当ドライバーの人数確保について確信していて安心でしたが、通学費が倍増することになってしまいました。
そんな理由も含め定期的にヘルパー事業所を探しましたが、対応してもらえる事業所はなく諦めました。
次男は保育園から中学卒業するまで2度の入院や、月1の理学療法士のリハビリと盲学校への訓練以外で病欠が数年に1度あったくらいで、元気に登園登校してきました。
養護学校も同様に登校できるだろうと疑うこともありませんでした。
ところが2年生になるころから登校拒否が始まりました。
担任の先生やタクシードライバーとの関係、授業の内容や方法など色々考えてみましたが、これといった原因が判らずズルズル登校しない日が増え、長期にわたって登校しない中、たまに行事がある時に登校するくらいでした。
3年生の修学旅行も行けませんでした。
東京方面の計画でしたが、東日本大震災の影響で沖縄に変更になった時、沖縄の名所や名産の話題で盛り上げたのですが、出発当日父親が岡山空港まで連れて行ったのですがタクシーから降りず、時間切れで先生方も残念な思いで旅立たれ、2人はタクシーで帰宅したのでした。
卒業式も欠席したのでクラスメイトとのお別れもできずじまいでした。
卒業証書は後ほどいただきにいくつもりでいたところ、「直接本人に渡したい」との校長先生の立っての希望で、自宅で証書を受け取ることになり、校長・教頭・学年主任と担任の先生方合わせて7人我が家にぞろぞろ来訪されました。
先生方は式後でフォーマルスーツですが、本人と私たち両親は普段着のままで、部屋も片付いておらず悲惨な気分でした。
でも校長先生は定年退職目前で児童・生徒としっかり交わりたかったとのことで気持ちは有り難かったです。
このような高等部生活だったため、校外実習や就職活動など全くできず卒業してしまいました。
その後は、週1ペースでヘルパーさんと「ひとりカラオケ」に行ったり、デイサービスに行ったりして、あとの日は自宅でラジオ番組や音楽CDを聞いて過ごしています。
次号⑮では私のPTA活動などについて話したいと思います。
◆プロフィール
水島恵
水島 恵(59歳)
岡山市在住
視覚障害(先天性緑内障)
岡山県UD推進アンバサダー
指圧・あん摩・マッサージ師
着付け1級(認定)
趣味は編み物、料理(特にスイーツ)、カラオケ、旅行、和装、講演・講座巡り






