『食べる人たち』(一)/ 金代哀

『食べる人たち』(一)
金代哀

夜が明けたばかりだった。
待ち合わせの場所に立っていると朝もやの中から薄紫色のマイクロバスがやってきて僕の前で止まった。

運転席から降りてきた初老の男性は手元の資料と照らし合わせながら僕の顔と名前を確認した。

「すみません…今日仕事はじめてなんです」
「乗ってください」初老の男はそう言って乗降口を指さした。

「荷物はどうすればいいですか?」僕はリュックと小型のボストンバッグを持っていた。
あらかじめもらったお知らせに書かれていた通り、一週間分の着替えをボストンバッグには入れていた。

「車内に持ち込んでもらって大丈夫ですよ」と男は言った。
運転手から指示された後ろから三列目の席に座る。マイクロバスは走り出した。

40分ほど経過し、白い3階建ての建物の正面玄関に横付けする形でバスは停車した。
ここが新しい職場か。

一体どんな仕事内容なのだろう?建物から推測してみようと思ったが、そこは会社というより、どちらかと言うとマンションのように見えた。しかしマンションでもなさそうだった。

自転車置き場もない、ポストもない。生活の匂いがなかった。
ではホテルだろうか?いや、ガラス張りの自動ドア越しにロビーもフロントも見えない。ドアマンもいない。

僕が立ち上がろうとすると、運転手がマイクで「まだ座っていてください、ここでは降りませんよ」と言った。
「これからみんなが乗ってきますから、ちょっとお待ちください」
しばらくすると本当に中からぞろぞろと人が出てきた。男女が20名ほど。

僕より年上の三十代から上は六十代だろうか、みんな一様にうつむいていた。
彼らは名札をしている年配の女に促されて一列になってバスに乗り込んできた。

「おはようございます」と僕が挨拶しても頭を下げるだけで誰一人言葉を発さず、既に座席が決められているようで滞ることなく着席していく。

全員が乗り込み終えると名札をした女性―――友寄(ともより)という名前が書かれている―――が点呼をした。
僕と目が合うと「新人さんですね、おはようございます」と急に明るい声を出した。

「今日からよろしくお願いします」
僕は立ち上がり、車内を見回して「よろしくお願いします」と言った。

あいさつには無反応でうつむいている人が多かった。
びっくりしたような顔をしてこちらを見ている人も何人かいたが、一様に暗くどんよりしていて誰も声は出さなかった。

友寄だけが唯一明るかった。それでもバスが発車すると友寄も黙り、車内はとても静かだった。

※ ※ ※

バスが停車した。
音をたてて扉が開くと、乗り込むときと同じように友寄を先頭にしてみんなが一列になってバスを降りた。

これからどうなるのかまったくわからなかったので、僕は最後尾に並んだ。
列はコンクリートの打ちっぱなしの建物に入っていった。

すると奥の方からたまご焼きの甘い香りとみそ汁のだしの匂いが漂って来た。
「朝ごはんの香り!」急にお腹が空いてきた。もしかして朝ごはんなのか?期待が高まっていく。

でもまさか仕事がはじまる前に朝ごはんを食べさせてくれるなんてことがあるだろうか?もしそうだとしたら至れり尽くせりの会社だ。最近は福利厚生に力を入れないと離職率が高まるから企業はあらゆる手を使って人離れを防いでいると聞いたことがある。

もし朝ごはんだったら、それも人材確保の一環に違いない。
大手IT企業や健康器具や計測器の販売で有名な企業の社員食堂の様子をテレビで見たことがあるがうらやましい限りだった。

期待を胸に列について歩いていくと、案内されたのはやっぱり食堂だった。
………思ったとおりだ!

華やかさはなく部屋全体は抑えられたトーンで統一されていた。
大きな長いテーブルが5台、シンプルな丸椅子、壁に余計な装飾は一切無かった。

バスの座席と同じようにすでに席が決まっているようで、流れるようにみんなが着席していく。
僕は全員が着席したのを確認して、一席空いているところに腰をおろした。

「これから朝食が運ばれてくるからお待ちくださいね」と友寄が僕の傍に来て言った。
友寄と同じ名札を下げた人が3人、配膳ワゴンを押しながらあらわれた。

着席した我々の前にトレーに乗せられた朝食を配っていく。メニューは選ぶ方式ではなく、すでに決められているようだ。
トレーを配られた人は全員を待つということもなく、すぐに食べ始めた。食べながらも表情は変わらなかった。

ご飯、ベーコンエッグ、マカロニサラダ、キャベツのみそ汁、ヨーグルト。
僕もトレーを置かれたと同時に食べ始めた。

………うまい………かなりうまい!

まわりの表情が暗かったので味はそれほど期待していなかったが予想に反しておいしかった。とくにみそ汁がうまい。
さらにご飯には押し麦が入っており、その素朴な味わいが妙に懐かしくもあり新鮮でもあり食が進む。

あっという間に食べ終えると、
「ごめんなさいね、おかわりはないのよ。大丈夫?」と友寄が言った。

はじめてで緊張している僕に声を掛けてくれた気遣いがありがたかった。優しい女性だなと思った。

「僕は大丈夫です。朝はこのくらいがちょうどいいです。食べ過ぎちゃうと働けなくなっちゃう」
「…………………」
「それにしてもおいしい食事ですね」

友寄の顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう、そうでしょ!うちはね食事に力を入れているの。食べることを大事にしているのよ!」

僕はこの会社にしておいてよかったと思った。
何の仕事をするのかわからず心配だったが、不安がちょっとだけ軽減された気がした。

あとはご飯代がいくらくらいなのか、どんな支払方法なのか気になる。
社員割引きで食べられるはずだからそんなには負担しなくてよいのだろうが、もしあるていどの値段がかかるなら何回かに一回でもいいかもしれない。

それでもこんなにおいしい朝食が食べられるのは嬉しいことだ。あとで誰かに聞いてみようと思った。

みなが食べ終えた頃に、名札を下げた3人が今度は下膳ワゴンを押しながらやってきてトレーを回収していく。
「みなさん、それでは行きましょう」友寄の掛け声でみんなが立ち上がった。

ふたたび一列になって歩き始めた。最後尾の僕に友寄が微笑かけてくれた。
その微笑が初日の僕にはすごい安心になる。

「いよいよ仕事か…」どんなことをするんだろう?お腹も満たされ幸せな気分だったので、どんなことでもできそうな余裕が僕の中に生まれていた。

列が建物の外に出ていく。
「食堂とは別の建物なんだな…」
工場みたいなところかな?オフィスかな?それとも屋外の作業かな?

就職氷河期の真っただ中で、大学を卒業しても就職先が見つからず仕方なく派遣で働いていたころ、依頼される仕事は日によって職場も仕事内容も違っていた。

普及し始めたばかりの折り畳み式の携帯電話に前日の夜に派遣会社からショートメッセージが入り、大概は仕事内容が記載されていたが、案件によっては時間と集合場所しか書かれていないときがあった。

何をさせられるのかわからないまま電車で集合場所に向かったものだ。始発に乗って遠くの行ったこともない駅に向かった日のことをよく覚えている。

今となってはどんな仕事内容だったのかはまるで覚えていないが、道中の車窓から見た美しすぎる朝焼けだけは記憶に残っている。
そんな二度と戻りたくない時代を思い返していると、進んでいく列の先に乗ってきた薄紫色のマイクロバスがあらわれた。

「えっ?」軽い驚きの光景を見た。
友寄がマイクロバスのドアを開けると、隊列は吸い込まれるようにふたたび車内に入っていった。

「………また移動するの………?」どういうことかわからなかったが、まぁそういうこともあるかもしれないと自分を納得させようとしていた。

例えば空港で飛行機に乗るためにバスで移動するようなものなのだろうか?敷地があまりにも広いからなのかもしれない。
バスに乗り込むと先ほどと同じようにみんなが決められた座席に黙々と座っていき、点呼が終わるとバスは発車した。

相変わらず誰一人としてしゃべらず、バスのエンジン音だけが不気味に轟いていた。

つづく

◆プロフィール
金代哀

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