『食べる人たち』(二)
金代哀
車内のデジタル時計は11:30を示していた。
食堂を出るときに確認した壁掛け時計が8:30過ぎだったので出発してから約三時間が経過していることになる。
敷地の中を移動するだけかと思ったが、そうではなかった。
バスは住宅街を抜け畑の中の田舎道をはしり、大きな川を渡った。
10:00に一度トイレとお茶休憩があった。
そのあとまた一時間半ほど走り続け、林道のような場所を進んだ後、木に囲まれた洋館に到着した。
バスが完全に止まってから友寄が立ち上がると、それが合図であるかのように車内の男女約20名が一斉に立ち上がり、列を作ってぞろぞろと降りていった。そのまま列は館内に入っていった。
驚いたことにそこはランチ会場だった。
朝の食堂と同じような大きなテーブルが5台並んでいて、これもまた同じようにそれぞれがあらかじめ決められていたであろう席に座った。
僕の席もちゃんと用意されていた。
席に座ると朝と同様に配膳ワゴンがあらわれ、トレーに乗った昼食がみんなの前に配られはじめた。
配っているのは朝の3人とは別人だった。配られた順に食べはじめたことも朝と同じだった。
ご飯、デミグラスハンバーグ、トマトとコーンのサラダ、コンソメスープ、パインゼリー。
朝からただバスに揺られていただけなので、お腹はあまり空いていないがハンバーグを一口食べてみた。
………う、うまい。やっぱり、うまい。
ソースに化学調味料のえぐみがなく、優しく深い味だった。
ご飯はやはり押し麦入りだったが、パサパサ感をソースがやわらげてくれて逆に口の中に麦の旨味が広がり格別だった。
勢いがついてそのまま掻き込むように平らげた。
ズボンのボタンを外さなければならないくらいにお腹が膨らんでいた。大満足。
胃袋が重くややだるさも感じていた。ちょっと横になりたいぐらいだ。
どうしてこんなにおいしいんだろう?
3人の人間がテーブルの周囲を歩き回り、食事を終えた順にトレーを下げていった。
「トイレに行きたい人はいますか?」友寄が聞くと、半数ぐらいの人が手をあげた。
彼らは食堂の隅にあるトイレに入るために列を作った。
「トイレに行かなくても大丈夫な人は待っててください」
全員がトイレを終えるまでには時間がかかった。
最後の一人が戻るやいなや、「さぁ、いきましょう」と友寄を先頭にまた隊列を組んで一同は食堂を出た。
そしてまたバスに乗り込んだ。
一体どういうことだ?
またバスが走り出している。
今度はどこに向かっているんだろう?
考えてもわからない、一時は思考を放り投げたが、あまりにもバスが止まらないので僕は徐々に不安になった。
どうなってるんだろう?
走り出してから30分ほど経ったとき、さすがに我慢ができず隣の座席のボストンバッグをどかしてそこに移動した。
そして通路を挟んで座っている中年の男性に小声で話しかけた。
「どこまで行くんですか?」
「…………………」
白髪混じりの中年男性は困ったような表情を浮かべただけで何も答えなかった。
「どこへ向かってるんです?これからどんな仕事をするんですか?」
「…………………」
「教えてくれませんか?僕、今日がはじめてで何もわからないんです」
しつこく問い続けていると、男は怯えた目で運転席の横に座っている友寄の姿を気にしながら言った。
「あまりしゃべらない方がいいですよ」
「どうしてです?」
「もうすぐ到着しますから」
もう何も話しかけてくれるなという感じで男はうつむいて目を伏せた。
※ ※ ※
しばらくするとバスが停車し友寄が立ち上がった。
「みなさーん、お茶休憩ですよ」
………またお茶休憩か?
友寄の言葉を合図に車内の20名の男女がゆっくりと立ち上がりぞろぞろとバスを降りていった。
そこは高台にある公園だった。眼下には町が広がり、家屋の瓦屋根がきらきら光っているのが見えた。
公園の景色を眺めながらすでに用意されていたビスケット二枚とあたたかい麦茶で休憩していると、一人の女が僕の横に座って小さな声で言った。
「鎌田さんはトイレ誘導に行ってるし、友寄さんは急な連絡が入ってバスの向こうで電話してる」女は瘦せており、極端に短く髪を刈り上げていた。
老けているように見えたが、目にあどけなさが残っている。
もしかしたら僕と同じか、年下かもしれない。Tシャツの襟首がかなり伸びており、胸元があらわになっていた。
「鎌田さん?」そう言うと、女は口に指をあてて、
「声が大きい。小さな声で、こっちを向かないで前を見ながら話して」と言った。
息をのんで僕は頷いた。「鎌田さんって誰?」
「この場所にいる現地スタッフ。お茶とおやつを出してくれた人いるでしょ。見た目普通だけど、壊れてるから気を付けて」
「ありがとう、今日、はじめてなんです………この仕事は長いんですか?」
「会社ができたときからだからもう7年になるかな………」
「すごいベテランですね。あの…僕たちはこれからどこへ行くんですか?どんな仕事をするんですか?」
早朝からバスに乗ってすでに昼下がりの14:30になるが職場に全然たどり着かない。
言ってしまえば食べることしかしていない。
「ここは本当においしい食事を用意してくれますよね」
そう言うと女が鼻で笑ったように見えた。僕はちょっとムッとしながらも気にせず続けた。
「食べてばっかりで、仕事が手に着くかちょっと心配なんですよね」
「…………」
「これからどんな仕事がはじまるんですか?」
「ちがう」短髪の女はきっぱりと言った。「私たちはもうすでに仕事をしているのよ」
「………………?」
「これからが仕事じゃなくて、すでに仕事ははじまっているの。私たちはね、食べることが仕事なの」
「食べることが…仕事…?」何を言っているのかわからなかった。
「通称『食べる人たち』って呼ばれてる」女は言った。
どういうことだろう?まったくわからない。仕事内容を言われる前よりも疑問が増すことなんてあり得るだろうか。
「それが私たちの仕事なの。知らなかったの?」
「お知らせには何も書かれていませんでした」事前に届いたお知らせには集合日時、集合場所、持ち物、緊急連絡先だけが書かれていた。
その前にいくつか同意書があり、内容はよくわからなかったがサインと印鑑を押して返送した。
「人材確保のための福利厚生の食事じゃないんですか?」
「ちがう。これは、…労働よ」
「労働?食べることが?………あそこは社員食堂で、ご飯は社員割引きであとになって給料から引かれるとかそんなシステムなんでしょ?」
「ちがう。全部無料。………無料と言うか、消費じゃないの。私たち『食べる人たち』は食べることが仕事。食べることが労働なの。食べて生きているだけで月々のお金が入るの」
「どういうことですか?」
「もっと言うとね、私たちが食べることでお金が入るし、それで鎌田を、友寄を、他の『食べる人たちサポーター』を喰わせているの。わかる?」
わかるわけがないじゃないですか、と言いたかった。
食べることが仕事?『食べる人たち』?『食べる人たちサポーター』?僕たちが友寄を喰わせている?全てが理解不能だった。
「何を言ってるんですか?」僕は前を向いていられずに女の方を向いて詰め寄りたかった。
そのとき、友寄がバスの影からあらわれた。電話が終わったらしい。短髪の女は口を閉じた。
「ごめんなさーい、本部から連絡がありました。さて、次にいきましょう!」
それを合図に隣に座っていた女も含めてみんなが立ち上がり、列をなした。
それぞれ麦茶のコップをバスの入口に立っている友寄に返却し乗り込んでいった。僕も短髪女のあとに従った。
バスの通路で僕は女にささやくように聞いた。「もしかして次は…?」
「おやつの次は…夕食に決まってるでしょ」と女は後ろも振り返らず冷たく答えた。
つづく






