「我慢と僕」~4
片岡亮太
「我慢を自覚し続けることは、未来への期待の表れなのではないか?」
ともすれば愚痴を書いていると思われかねない「我慢」をテーマに連載をしてみようと思い立ったのは、そんな考えがふと頭をよぎったからでした。
例えば、約30年前、日本IBMの研究員として、ウェブページを音声で読み上げる世界初の音声ブラウザ『ホームページリーダー』を開発した、ご自身も全盲の浅川智恵子さん。
浅川さんは現在、日本科学未来館の館長を務めながら、『AIスーツケース』の研究と実用化のためのプロジェクトを進めています。
AIスーツケースとは、1泊か2泊の旅行に使うような小型のスーツケースに、障害物の検知に必要なカメラやセンサー、位置情報の取得のための機械などを搭載したもの。
それが自動で動き、目の前の人や柱などをよけつつ、視覚障害者を誘導する。
にわかには信じられないような技術なのですが、僕は以前、NHKラジオの取材のため、実際にこのAIスーツケースを、日本科学未来館で体験させていただいたことがあります。
AIスーツケースの横に立ち、片手でハンドルを掴んだ後、リモコンで、見に行きたい展示を指定すると、スーツケースが動き出す。
その速度は、実に自然な速さ。
わざと進路に立ちはだかるスタッフの人を見事に迂回し、目的の場所にたどり着いた時には、思わず、「すごい!」と声が漏れていました。
「いつか、白杖(はくじょう)を持たずに街中を自由に歩ける日が来るのかもしれない」
そんな思いが芽生えたことを今でもよく覚えています。
浅川さんは、ある時空港を利用した際、片手に持っているスーツケースが勝手に動いて自分を目的の場所に誘導してくれたら、「視覚障害者だと誰もわからず、風景に溶け込むように歩けるかもしれない」と考えたそう。
それが、AIスーツケースの発想の原点だったとのことです。
直接伺ったわけではないので想像することしかできませんが、きっとその浅川さんの思いの背景には、白杖を持ち、周囲より遅いペースで歩いていたり、誰かに誘導されながら歩いている日常に対する、ある種の不満や我慢があったのではないかと思います。
だからこそ、それらを打破する手段に思いをはせることができたのではないか、僕はそう考えます。
今では当たり前になっている、ウェブページを音声読み上げの機能で閲覧することも、『ホームページリーダー』を開発していた1990年代には、かなりの難題だったようです。
その壁に果敢に挑戦し続けたのは、ウェブページを自由に読めるようになることで、視覚障害者の情報摂取に革命を起こしたいという情熱があったのだろうし、
逆に言えば、それがないことで十分な情報を得られていないことに、渇きのような感覚を抱いていたのではないかと推察します。
もしも浅川さんが、「私は全盲なのだから、今ある状況を大切に、丁寧に味わって、それで満足していかなければ」と考える人だったら、彼女が起こしたイノベーションはあり得なかったでしょう。
同じような思いをもってチャレンジを続ける障害当事者はほかにもたくさんいます。
敬愛する友人であり、2011年に僕が渡米をさせていただいた「ダスキン愛の輪基金」の「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の同期でもある、織田友理子さんもその一人。
織田さんは、進行性の筋疾患である「遠位型ミオパチー」の患者。
世界中を飛び回り、障害者の「公平な社会参加」のために奔走している織田さんは、26歳の時に車いす生活となります。
当初は車いすで行ける場所がわからず、外出をためらっていたそう。
でも、車いすでも行くことのできるビーチの情報を知り、そこから世界が開かれていったと、ご自身の文章の中で語っていました。
そのような背景があり、織田さんが代表を務める「NPO法人ウィーログ」は、バリアフリー情報を皆で共有するために、『みんなでつくるバリアフリーマップ「WheeLog!(ウィーログ)」』というアプリを2017年に立ち上げ、現在多くの車いすユーザーの方たちに使用されています。
ウィーログが掲げるミッションは、「車いすでもあきらめない社会をつくる」というもの。
そこには、「情報」とは移動を、行動をあきらめないための大事な道しるべであると実感している織田さんが抱く、かつて我慢したり、ためらっていた時代のご自身への思い、今同じように感じている同胞たちへの呼びかけ、そして未来に対する希望がにじみ出ているように僕には思えます。
近年、様々な技術の進歩により、5年前、10年前には想像もしていなかったことが当たり前にできるようになることが加速度的に増加しています。
かつては数か月おきに家族に読み上げてもらい、一文字ずつデータとして入力するしかなかった、多くの方からいただく名刺の内容を、スマホのアプリで写真撮影するだけで、
あっという間に抽出できたり、印刷物はもちろん、一部手書きの文字さえもAIが検知し、捨ててよい書類なのか、残しておきたい資料なのかの判断ができたり、AIが画像解析をし生成した文章で、写真を楽しめたり…。
そういう最新技術に触れる度、僕は「人に頼るしかなかった」過去が、どれだけストレスだったかを痛感します。
と同時に、様々な壁にあきらめることなく立ち向かい、戦い続けた技術者たちの情熱に、感動とともに、頭が下がるような思いもするのです。
当初、「我慢」という言葉に思いを巡らせたとき、僕が真っ先に想起したのは、和太鼓の演奏中、曲のテンポを上げるタイミングをなるべく遅くし、じわじわと高揚感を増していくようにコントロールすることとか、
我が家のお財布事情を鑑みて新しい楽器の購入を控えるとか、肝臓をいたわって飲酒を控えることなど、視覚障害に結びつかないことばかりでした。
でも、前回までの記事からも明らかなように、僕は弱視で生まれて10歳で失明するという人生の中で、日常的に我慢をしている。
にもかかわらず、その事実を避けるようにして、全く異なる側面に関する「我慢」へ思いを向けていたのは、日常の中で、ここでも我慢、あそこでも我慢と、
あちこちで気持ちを抑圧していることを認識し、目を向けてしまったら苦しくて耐えられないし、そう感じている日々なんて楽しくないと考えてのことだったのではないかと思います。
「障害受容」と総称される心のありようと、そこに至るまでのプロセスの中には、「我慢すること」に仕方がないと折り合いをつけたり、(語弊のある言葉のチョイスかもしれませんが)我慢に対して、心を慣れさせたり、ある種の麻痺のような状態を作ることも一定量含んでいるのではないか、僕は時々そのように思います。
どんなにポジティブに物事を考えたとて、目が見えない/見えづらい、耳が聞こえない/聞こえづらい、身体の全体、あるいは一部を動かせない/動かしづらいなど、自らの進退が有する疾病から生じる社会生活上の障壁は、歴然と存在しているし、それによって道を阻まれることもよくあります。
けれど、浅川さんや織田さんがそうであるように、そんな現状を嘆いたり愚痴るのでも、またはまるでそんなことがないかのようにふるまうのでもなく、
我慢を求められる現実を真っすぐ受け止め、「もっとこういう世の中にしたい」と考えるための材料にできたなら、我慢の自覚とは、未来の光の種に変えられるのかもしれません。
今の僕が、直接新しい技術の開発者になることはできないでしょう。
でも、人に思いを伝えられる立場にいる身として、障害に関連した「我慢の先にある未来」を、長いトンネルの向こうに見える小さな光を探すような気持ちで見つめ、それを言葉にできた時、社会を、だれかを後押しすることならきっとできる。
新しい何かが生まれた瞬間に「我慢をしてた」事実に気づく、そういう受け身の立場から抜け出して、その新しい何かを生み出すための一助となり、次代に貢献する、そんな存在になりたい。
「我慢」を見つめていたら、思いがけない目標ができました。
◆プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。






