見えにくい中での妊娠・出産・子育て①
水島恵
私は学生の頃から、結婚して子どもも育てると信じて疑いませんでした。
視力がないから不安だなんてほとんど思っていませんでした。
先輩たちの苦労話を耳にしたことがなく、当たり前に恋愛→結婚→妊娠→子育てと人生を歩まれているのだから私も大丈夫、みたいに思っていました。
中学生の時にお付き合いした方と10年後には結婚という計画もしましたが、3年で破局。
それから数年後、夫と縁あって、今から35年前に結婚し、翌年に長男、それから3年後に次男を出産しました。
母子ともに問題なく自然分娩ができる状態ではありましたが、分娩中の力みで眼圧が上がる可能性もあり、医師が「目に関しては保証できない」と言ったこともあり、帝王切開することに決めました。
ちょっと残念な気持ちもありましたが、出産方法で子育てに影響を及ぼすものでもない筈だし、それより分娩中の力みにより眼圧が上がり、僅かな視力を落として子育てが不自由になることを避ける方が大切だと自分に言い聞かせました。
長男は晴眼ですが、軽度の知的障害と発達障害があり、次男は視覚障害と知的障害と発達障害があります。
当たり前ですが、各々育てる苦労は違いました。
長男のことから話す前に妊娠した時の話から始めます。
結婚した時は夫が治療院を開設したのですが、収入はほとんどない状況でした。
けれど、私の心中には早く産んで子育てを早く済ませたいと、それなりになんとかなると、密かに計画妊娠。
夫が現実を受け入れると確信していましたから。
でも両家の両親は喜んでくれないだろうと感じていました。
そして妊娠したであろうと産婦人科に夫も同行してもらいました。
ドラマの場面のように「おめでとうございます」と言われるものと思っていましたが、たんたんと「妊娠してますね、よく相談して」でした。
はぁ?!どういうこと??
露骨な言葉はなかったけれど、「育てられるのか?」とでも言いたかったのか?
次の診察の時の反応で、その産婦人科にするか決めるつもりで行きました。
「産むんですね」「はい!」とのやりとりで、先に書いた眼圧の話をして予定日に帝王切開することを決めました。
先輩からは聞こえませんでしたが、同世代や後輩から聞こえてきたのは初めて診察に行った病院や産婦人科で「育てられるんですか?」と露骨に言われたり、「うちでは責任持てません」と拒否されてくやしく不愉快な思いをして傷ついたという声でした。
それを聞いて、私の場合は単なる確認だったのかなとも感じました。
産後1ヶ月の診察まで医師や看護師の言動で不愉快な思いやくやしさなど傷つくことはありませんでした。
でも深く深く傷ついたのは両家の両親の言葉でした。
特に実母からの言葉ではショックでした。
次男の出産時にはさらに傷つく言葉がありました。
そんな話を含め長男の出産・育児から話していきます。
次号に続く。
◆プロフィール
水島恵
水島 恵(59歳)
岡山市在住
視覚障害(先天性緑内障)
岡山県UD推進アンバサダー
指圧・あん摩・マッサージ師
着付け1級(認定)
趣味は編み物、料理(特にスイーツ)、カラオケ、旅行、和装、講演・講座巡り






