『〝気づく〟ことの力』入院を通して見えたサービスの盲点~支援する側される側の間にとどまるもの・声~
杉田宣惠
2025年春、手術を伴う入院をした。
仕事柄、病院や医療との関りは多くありますが、「患者として」入院の医療サービスを受けるのは17年ぶりのことでした。
手術は問題なく終わり、術後のトラブルもなく麻酔から覚めましたが、大変なのは術後の夜でした。
いくつもの管に繋がれ身動きもできずに、ずっと仰臥位のままの私の腰は、痛みに悲鳴をあげていました。
自力で側臥位になろうとするも、管に繋がれた手ではベッド柵も掴めず、除圧を試みるも、やっぱり管が邪魔をする。
ここは遠慮をせず、ナースコールを押して、腰の除圧と背中にクッション入れていただき、とても楽になりました。
看護師さんたちは本当に忙しそうに動き、声をかければすぐ来てくれる、ナースコールにも迅速に対応してくれる、医師の説明も丁寧で的確。
いわゆる「必要なこと」は、過不足なく提供されていたと思います。
それでも、どこかに感じてしまう〝物足りなさ〟のようなものがありました。
たとえば、ベッドの上で一人で過ごす時間が長いなか、「少し寒いな」「暑いな」「枕が勝手悪いな」「背中がちょっとかゆいけど手が届かない」といった小さな違和感。ナースコールを押すほどでもない、「ほんのちょっとしたこと」。
結局私は、そういった〝かゆいところ〟を伝えないまま退院の日を迎えました。
退院後、ふと思いました。
「あれ、これって、うちのクライアントも感じているのでは?」と。
訪問でも、基本的なケアは提供できています。安全や清潔も守られている。
でもクライアントの心の中には、「靴下が少しきついけど、忙しそうだから言いづらい」「今日はなぜか少し不安だけど、理由がはっきりしない」…そんな〝言葉にならない小さな声〟があるのかもしれません。
私は今回、自分が「利用される側」になって初めて、サービス提供者とし見えていなかった“すき間”のような部分に気づきました。
介護の現場でも、「何か気になることはありませんか?」と聞くのは大切です。
けれど、それだけでは届かない“気づいてほしい想い”がある。
その声に耳をすませるには、「気づこうとする姿勢」と「ゆとりのある関わり」が必要なんだと感じました。
私たちは、業務に追われる日々の中で、どうしても「効率」や「結果」を重視しがちです。
でも、クライアントの満足感や安心感は、「ちょっと気になったことに気づいてくれた」「何も言わなくても察してくれた」という体験の中にあるのだと思います。
「見えていないことに、気づこうとする」これは、介護という仕事を続ける上で、私がこれからも大切にしたい視点です。
これからも、クライアントの〝かゆいところ〟に少しでも手が届く介護を目指していきたいと思います。






