生と死について~「死にたい」という気持ちをどう見守るのか~
上原侑子
始めに、今回私が書く内容は賛否両論あるかも知れません。
こちらをお読みいただき不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。
ただ私は私なりに真剣に考えておりますので、こういう思想の人間もいるんだと受け止めていただけるとありがたいです。
私は未経験でこの会社に入り、早3年半が経ちました。
まだまだ未熟ですが多少の経験を積んできた中でよく考える事は、「尊厳とは何か」ということです。
この業界に限らずですが、「人間としての尊厳を~」とか「尊厳ある生き方」等といった言葉は割と耳にする機会があるかと思います。
しかし”尊厳ある死”を声を大にして語る場面はあまり見かけません。
私は昔から、この業界に入る前から安楽死制度に賛成の意見を持っていました。
ふとした時に、どうして生きる権利はあるのに「死ぬ権利」という言葉は聞かないのだろう、生と死は表裏一体なのに”生”のみを神聖視しすぎじゃないのか等と悶々と考えることがあるものの、そういった話はなんだかタブーのような空気感で、あまり人と話す機会はありませんでした。
しかしこの重度訪問介護という仕事を始めて、改めて生と死に触れ考える事が多くなりました。
どんな病気になってもどんな障害があっても前向きに生きようとする方、延命治療を望まない方、生きたい気持ちと死にたい気持ちがせめぎ合っている方、色々な方と接してきました。
そして私は、「それらの気持ち全てを肯定できれば」と思うようになりました。
その方の望む生き方があるなら勿論私たちが出来る最大限の支援をするし、逆にその方が望む死があるのなら、そのお手伝いは出来ませんが、せめてその気持ちを否定せず、安易に「そんなこと言わないで、生きていたら良い事あるよ、家族も悲しむよ」等といった言葉は「かけたくない」と思うようになりました。
ただ単純に死にたい人は死ねばいいと思っている訳ではなく、どのように死にたいかを考える事はどのように生きたいかを考える事にも繋がると、結局は視点が違うだけで、自分の生きたいように生きる事、自分の死にたいように死ぬ事、つまり「尊厳ある生と尊厳ある死は同じ所に行きつくのでは」と感じています。
私はそんなクライアントの日々の尊厳に寄り添い重度訪問介護というお仕事に邁進していけたらと考えております。