私が介護を始めた理由~私の歩みに力をくれる、重度訪問介護~
尾上悠太
私は幼い頃からおばあちゃん子で、週末になると必ずと言っていいほど祖母の家に遊びに行っていました。
何をするというわけではないのですが、祖母の家で過ごす時間が、友達と遊ぶ時間と同じくらい好きでした。また、祖母は料理上手で、特に肉そぼろが本当に美味しくて今でもその味が恋しくなることもあるほどです。たまに自分でも作ってみるのですが、到底あの味には及ばず、せめてレシピくらいは聞いておけばよかったなとしみじみ思います。
そんな祖母が糖尿病を患い、ある日自宅でインスリンを注射しているところを見かけました。
体中にできた注射痕によるアザを見て、なぜ今まで気づかなかったのかと思いはしたものの、どうしたら良いのか分からず、ただただ時間だけが過ぎていき、最後には祖母は亡くなりました。時間がたくさんあったはずなのに、あの時なぜ何もできなかったのか、何かしてあげられたのではないかと後悔しました。
こんな思いを他の人にしてほしくない、少なからず自分にできることがあるかもしれないというところから、介護福祉士に興味を持つようになりました。しかし、その事を相談した親には「そんなきれいごとを並べてやっていける仕事じゃない。それに仕事量に見合ったお金がもらえない、もう一度考え直しなさい」と反対されました。確かに私も介護に同じようなイメージを持っていたことから、自分なりに探し直し、理学療法士という職種にたどり着きました。
そして高校卒業後、その理学療法士を目指すため医療系専門学校に入学しました。
進級するにつれ、急性期・回復期病院や老健、特養といった様々な病院や施設で実習を重ねていきました。それでも、心のどこかで何か腑に落ちないと感じていました。そして卒業まであと半年となり、最終実習地となったデイケアで介護福祉士の方々の仕事を見て、私がやりたい仕事は「やっぱり介護福祉士なのだ」と、心の突っかかりがとれていくのを感じ、親や学校の反対を押し切り、専門学校を中退しました。
その後私はハローワークの職業訓練を利用して、実務者研修の資格を取得するため半年間学校に通いました。無事に資格取得した後、有料老人ホームに就職しました。そこでの仕事は本当に充実していたのですが、結婚し子供を授かった時に金銭面の壁にぶち当たりました。やりたい仕事とお金のジレンマに苛まれ、結局私は介護から離れました。(つくづく芯のない男だと恥ずかしくなります…)
それでも諦めきることはできず、医療で得た知識を少しでも活かせる介護の仕事はないか探していたところ、重度訪問介護に出逢い、詳しく調べていくうちに重度の障害を持った方々が地域で生活しているということを知りました。このような方々の力になりたいと思い、この業界に飛び込みもうすぐ5年が経ちますが、いまだに知らないことが多くあり日々勉強の毎日です。
そんな、知れば知るほど奥が深い重度訪問介護に、今後も携わっていきたいと思います。
タイトルとは少しずれた内容になってしまったかもしれませんが、最後までご高覧いただきありがとうございました。
◆プロフィール
尾上悠太 ホームケア土屋 長崎
長崎県出身。釣りが趣味。