当たり前について考える~ひとりひとりの人生が形作った普通・または常識~
仮屋泉
ホームケア土屋鹿児島で管理者を務めております。仮屋と申します。
早いもので、縁あって私が土屋でのお仕事をさせていただくようになり、丸3年という月日が経ちました。
そして、管理者という役割をいただいてからは、気付けば約1年半も経っており、月日の経つ早さをしみじみと感じています。
さて、私がアテンダントとして支援に入らせていただいていた時に、よく考えていたことがあります。
それは、「重度障害や難病をお持ちの方々にとって、それぞれの“当たり前”とは」というものです。
私がそう考え始めたのは入職後、数か月程経った頃にきっかけがありました。
ある日、クライアントからとある外出支援の依頼があったのですが、私たちが介護職員として対応出来る範囲にはどうしても限度があり、お受けすることが出来ませんでした。
ご本人が個人のプライベートな時間として出かける事に対しては、もちろん誰にも止める権利はありません。
ただ、ご本人の力だけでは叶わない事実がそこにはありました。
その事実に対し
「なんで障害があるってだけで気軽に遊びに行ったり出来ないんだ。普通の人達だって当たり前に(例えば)お酒を飲みに行ったりとかして遊んでるじゃないか。」
と、その方は淡々とした口調で言われました。
それを言われた時、私は考え込んでしまい言葉を返すことが出来ませんでした。
それからというもの、私たちが何気なく日々を過ごす中で感じている「当たり前」と、クライアントにとっての「当たり前」、そしてクライアントの中に「これを自分の生活の中での当たり前にしたい」という思いがあるという事について考えはじめました。
当たり前=「わかりきった、言うまでもないこと」とあります。
日常生活の中で様々な形の「当たり前」と直面することは多く、中には個人的な価値観の下で繰り広げられるものもありますので、個人の価値観まで含めてしまうと、十人十色で、全てを理解するのは不可能ですし、思いが強すぎると時には衝突も生まれてしまう事でしょう。
この件も、当然当事者ではない私がいくら考えたところで明確な答えなど出ませんでした。
ただ、これをきっかけに少しでも「クライアントの方々が考える当たり前な日常」が送れる世の中になればいいなとシンプルに思うようになりました。
重度障害や難病をお持ちの方には、私たちが「当たり前」として出来ることが何かしらの理由で叶わない方が多くいらっしゃいます。
少しでもその方々の生活をその人らしい暮らしに出来るよう、職務を通じてお手伝いさせていただけるようこれからも尽力していきたいと思います。
そしてこれからも「重度障害や難病をお持ちの方々にとって、それぞれの当たり前とは」を考え続けていこうと思います。
◆プロフィール
仮屋泉 ホームケア土屋 鹿児島
オフィスマネージャー
2021年に無資格、未経験で入職
出身地:鹿児島市
趣味:音楽鑑賞、楽器演奏