「問題行動」で笑いあっていた、彼と私の日々/牧之瀬雄亮

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「問題行動」で笑いあっていた、彼と私の日々
牧之瀬雄亮

私もしばらく障害者支援の仕事をしていることもあり、「思い出の人」と呼びたくなる方が、いっぱいいます。それはもう、いっぱい。

はじめて福祉の仕事をしたのは、知的障害者向け生活介護通所施設で、私よりもだいたい15~20ぐらい年上の方がメイン層の通所施設でした。

はじめの二年は「重症心身障害」を持っていると言われる方々と、気切部位からの喀痰吸引や、てんかんの強直痙攣発作などを見守りながら、基本ゆったり過ごすというスタイルで日々を過ごしていました。

三年目を迎える頃、配置転換がありました。

自閉症や、今で言う「強度行動障害」のある人達が「よいしょ」っと集められたグループに、移ることになりました。

毎日散歩に行ったり、ポスティング業務やアルミ缶回収などを請け負って、施設の工賃の約九割を稼ぎ出す……つまりエネルギーがすごい人たちのグループです。

陸上とかハンドボールをしゃかりきにやっていた反動なのか、私は基本生粋のインドア男。そしてこの仕事の第一印象を「利用者支援者ともにゆったりとした雰囲気の中、利用者の機微をじっくりとみつめ、楽しめるもの、好きなものを固定観念を外しながら見つけてゆく、そう、静かな旅のような...」とか思っていた私は、彼らの怒涛の働きぶりを横目で見ながら「あそこだけは無理だな~」と思っていたものです...

というのも、ポツポツと目にする他害行為や、「時折投げられる排泄物を避けなければならない」「外出時一瞬目を離したら消える」「太ももにフォークぶっ刺された(女性スタッフ)」などというエピソードをそこのグループに居る同僚が笑って話している横で「アハハ(やべ~じゃん)」などと思っていたわけです。

異動になって、このグループに所属する人たちと、廊下ですれ違うときに「オッス」なんていう関わり方と違って、一緒に目的の作業なり行為をやってみるということに、苦労しました。

重症心身障害の方々に対して、「生きてるだけですごい。素敵だ。」と思っていたのですが、新しいグループでは、なにかしなければならない。

別に「生きてるだけですごい。素敵だ。」という考えを変える必要もないはずなのですが、グループに居る先輩方とは一緒に作業してくれる方も、私とは一切作業することがなかったり、私といると全く落ち着かない方、小用も緊張を与えてしまうためできないことが多く、全く予定通りの「活動」はできませんでした。

しかし同僚は皆、「同じ道を通るから気にすんな」というスタンスで、グループのご意見番は「みんな(支援者も)障害者なんだから、いいんだよ」というようなことをなんの衒いもなく言い、そしてそれに誰もが言葉ヅラだけでなく体感実感を伴って納得している様子で、非常に居心地のいい、現代のニュアンスで言えば「神職場」でした。

「便を投げる人」とはよく散歩に行きました。食事もほとんど一緒でした、休み時間も一緒でした。発語はなく、背骨にも障害のある彼は、ソファーにどっかりと座るとき以外は、上半身を横に90度曲げたまま、時計で言えば2時半の針といえばわかりますか?そんな姿勢で毎日を過ごしていました。

さて、休憩時、二人でソファーにゆっくり座っていると、馴染みの薄い私が隣りに座っていても、あまり緊張はないようで、「手を握ってほしい」という様子に応えて「ハイハイ」と手をつなぎ、二人でボーっとしていました。

時折彼が突っ伏すと、背もたれに寄りかかっている私からは背中が見えます。ほっそりしているので骨の並びが見えます。骨盤から数えて2つ目の骨がやや左斜めを向いてそこから上に行くに従って、鏡文字に「つ」の曲がりを少し広げたような形に、彼の背骨は並んでいました。

「痒いから掻いて」と私の手を背中に誘導することもありました。筋肉の付き方も左右で大きく差があって、自分の背中とは、なにか「部品は同じはずなのに、明らかに違う気配があるな」と、触れた手を通して感じました。

彼はあくびをしながら座り直し、なにか思い出し笑いをしていました。

その後、遠出したり、旅行で同じ部屋に泊まったり、一緒多くの時間を過ごしました。

私が異動して二年目を迎える頃、小柄な親御さんでは、彼と一緒に暮らせなくなり、近隣では受け入れられず、都外の施設に移っていきました。

今この文章を書いていて思い出したのですが、そういえば彼に便をぶつけられた記憶がないのです。

ギリギリで避けたことはあったかもしれませんが(笑)

投げたあと、だいたい彼は笑っていて、「これまで便投げていっぱい怒られただろうから、そこで同じリアクション返してもしょうがないよね」という職場の雰囲気も相まって、一つの「イベント」みたいな感じで接していたと思います。事実、私達はある種のスリルとして、「便を投げる」という、いわゆる「問題行動」を受け止めていたように記憶しています。

私達が「どこ行った!!?どこ投げたっけ!!?」と探しているのを、ケラケラ笑って見守り、見つけて処理し終わると「どうだった?」と言わんばかりに、私の肩にドシンと頭突きをして、普段目を合わせないくせにこちらの目を見てリアクションを確かめるあの顔、大好きだったな。

今どうしてるんだろうな。今日も便を投げて、笑っているのだろうか。大目に見てほしいな。笑っててほしいな。

プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)

1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。

思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

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