「エンタメのバリアフリー」~2
片岡亮太
小学4年、10歳の時の失明は、当時大好きだったアニメやゲームとの関係をも変えるものでした。
キャラクターの見た目に引かれていた『ドラゴンボール』をはじめとする格闘漫画を原作とした作品は、大まかな内容を追えていれば満足になっていき、かつてのように、文字通り前のめりになってテレビに向かう、そういう熱量を持って鑑賞する対象ではなくなっていきました。
代わりに、もう少し対象年齢が高く、物語を重視しているアニメの方が、言葉で表現される情報量が増えるので面白いことに気づき、それが後には、ラジオドラマ、そして様々なラジオ番組へと、その関心の矛先を変化させていくことになります。
特に、深夜帯のラジオにすっかり心奪われ、小学5、6年生の頃には、当時「電リク」と呼ばれていた、ラジオ番組への電話によるオンエア曲のリクエストやメッセージを毎週のように送るようになっていたので、精神的には比較的ませた子どもだったように思います。
一方、テレビゲームについては、機器の進化に伴い、深く、複雑な物語を描き出すことが可能になり出していた「RPG」については、全盲であるがゆえにプレイが困難になってしまったものの、やはりその頃、めきめきと人気を高め、僕も大好きだった『ストリートファイターシリーズ』に代表される「格闘ゲーム」と呼ばれるジャンルであれば、(目で見て遊ぶ方々にはご理解いただくことが難しいかもしれませんが)音だけでも十分に楽しめるため、もっぱらそういったソフトで、日々「戦い」に明け暮れていました。
ちょうど思春期に入り始めた年齢での失明だったので、視力を要するコンテンツを欲する気持ちを補うように、耳で楽しめるものを好むようになった僕の変化が、全盲になったことへの適応の一環だったのか、あるいは成長に伴う純粋な趣味嗜好の移り変わりに類するものだったのかはわかりませんが、いずれにしても、あの頃の数年間で、僕が日々心躍らせる対象は、弱視だった時代とはがらりと異なるものになりました。
ちなみに余談ですが、6、7歳頃の頃まで、レンタルビデオ屋でよくビデオを借りたり、ソフトビニル製のフィギュアなどで遊ぶことが大好きだった、昭和の頃の仮面ライダーやウルトラマンなどを、大人になってからテレビやインターネットで視聴したところ、アニメ以上に理解ができず驚きました。
特に際立っていたのはウルトラマン。
仮面ライダーならば、変身後のライダーはしゃべる。
敵側においても、「ショッカー」などの平の戦闘員たちは、「キー」としか声を発さないものの、ストーリーの中核をなす怪人であればたいてい普通に話してくれるので、音声だけでもそれなりに楽しめました。
ところがウルトラマンシリーズの場合、怪獣もウルトラマンも、ごくわずかな例外を除けば、ほぼしゃべらない。
ドタンバタン派手な音の中続けられる「ガオー」(怪獣)と「ダー」(ウルトラマン)の応酬は、耳だけで鑑賞している身にはなかなかにシュールでした。
きっと当時子どもだった視覚障害の人たちにとって、「特撮ヒーロー」の多くは、とても遠い存在だったのではないかと思います。
同世代の子どもたちが当たり前に味わい、心躍らせていたアニメやゲーム、ヒーロー。
僕はその見た目を知っているからこそ、それらに対する興味はあるのに手が届かない、そういうフラストレーションを抱えることになりました。
けれど、幼少期から全盲だった人にとっては、もしかすると、そもそも興味を抱き得るほどの情報が提供されていない、そんな状況こそが当たり前となっていたのかもしれません。
それを「差別」とまで断じてしまうのは、行き過ぎた視点だと思いますし、たとえ情報が制限されていたとしても、その人なりの楽しみ方を見出すことは大いにあり得るのですが、視覚障害者にとっての特撮ヒーロー、特定のジャンルのアニメやゲーム、聴覚障害者にとっての音楽などのように、世の中に溢れ、多くの人が当たり前に享受しているエンターテイメントの中にも、期せずしてその対象者を制限していたり、一部の人にとってはアクセスが不可能なものがあるのだと身を持って知れた経験は、僕にとって新たな視点を持つきっかけとなりました。
*さらに余談になりますが、僕が子どもの頃、ドラゴンボールと並んで人気だったアニメ『幽遊白書』は、ドラゴンボール同様、戦いを主としたアニメでしたが、全盲になってから再放送などを視聴した時、思いの外楽しめて驚きました。
それは、例えば戦闘シーンにおいて、たくさんの効果音と叫び声などの間に、「何っ!まさか」「戸愚呂(とぐろ)弟が」「腕一本で霊丸を受け止めた!?」「しかも傷一つ負っていない!」など、場面を説明するセリフがちりばめられていたからです。
(面白いことに、これは同一作者による『HUNTER×HUNTER』にも言えます。)
そこに今日でいう「音声解説」の意図があったかどうかはわかりません。
また、幽遊白書は、失明前に最終回を迎えていて、全話の映像を一度は見ており、音声からその記憶を想起できていたことの影響も大きかったのだとは思います。
でも全盲の僕にとっては、作品の作られ方が、「ドラゴンボールより幽遊白書の方がバリアフリー」。そんな実感を得ました。
皆さんも、お気に入りのアニメ作品やゲームがバリアフリーか否か、そういう視点から見直してみると、新しい発見があるかもしれません。
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。