「大学/友達/恩返し」~4 / 片岡亮太

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「大学/友達/恩返し」~4
片岡亮太

大学時代というのは、学業以外にも情熱を注ぐもの。

僕自身、今の活動の主軸である和太鼓はもちろん、現在も継続している、趣味のバンド活動や、愛してやまないお酒など、たくさん「遊び」もしました。

でもどれだけ遊ぼうにも、「授業に響かないように」という意識は常に持っていました。

全盲の僕の場合、そうしないと対応が利かなかったからです。

けれど、他の学生の様子を見てみれば、ほぼ毎回授業をさぼり、配布資料だけは誰かからもらって、最終的に単位を取得したり、部活やバイト、恋人とのデートなど、いろいろな理由で遅刻しては、こっそり入室して出席を果たし、資料にざっと目を通して授業に追いつける人も多数。

そんな中、毎回出席し、さらには、白杖(はくじょう)や、点字でメモを取る機械などにより、否が応でも目立つ立場ゆえ、遅刻もままならない僕が、資料や教科書において、こんなにも苦労し、それでも対処仕切れなくて、単位を落としたり、順調に学べたとしても、多数の手間を要する。

その差が、どうにも苦しく、悔しくなったのは2年生の頃のこと。

僕は学生として、学ぶことに情熱を燃やし、努力を重ねたいのに、この状態は、「学ぶために」努力を強いられている…。

それでは本末転倒ではないか?

そう思えたことがきっかけで、社会福祉学科の教授に相談へ行ったところ、「教科書や資料のことでそんなに苦労しているとは知らなかった!それは大学で支援すべき。」と驚き、共感してくださり、すぐに学科会議に挙げてくださいました。

そして間もなくして話は、大学の事務へ。

「何かしら大学側も手段を考えてくれるはずだから、もうちょっと待ってて」と、くだんの教授から言われてほどなく、大学の事務の方から、種々の点字訳に従事されている日本点字図書館と連携し、大学が窓口となって、必要な本や書類を点字にするシステムを構築してくださったとの知らせがあった時には、その対応の素早さに頭が下がると共に、嬉しくて涙が出たことをよく覚えています。

以来、勉強におけるストレスは激減。

授業中、「間に合ったよ!」と、事務の方が走って教室まで点字化された資料をお持ちくださったこともよくありました。

その後も、4年の時に卒論執筆にあたり、専門書を読みたくても、点字やデータになっている本がほとんどなかったあの頃、「後輩の勉強にもなるから」と、教授が中心となって学生ボランティアを集めてくださり、本を音声化するサポート体制を作ってくださるなど、在学中に学科の先生方や大学の事務の方々にご尽力いただいたことは、何度もありました。

やはり4年生の時に行った、社会福祉の現場に出て実践を学ぶ「実習」についても、他大学の事例も含め、全盲の学生が、いわゆる実習らしい内容を実施できていた形跡が見つからなかったために、2年生の段階から実習先を見つける作業を学科全体で支援していただき、紆余曲折を経て、実に思い出深く、そして深い学びを得られた実習を行えたことは、大学時代の大きな思い出の一つです。

入学に当たり、おおむね必要な支援体制の目途が立った際、言っていただいた、「他にもいろいろなことが必要になるだろうから、それはその都度相談し合いましょう」という言葉を実行してくれた上智大学には、どれだけ感謝してもし足りません。

あえて書くのもおこがましいのですが、「首席」という成績と共に卒業できたのは、こういった多くのサポートがあったからであり、また、そういった支援をありがたく思い、恩返ししたいという気持ちが力になったからこその結果だと考えています。

一方で、入学当初から、資料や教科書、専門書を読むための種々の支援を大学が引き受けてくれて、僕自身が「学ぶための努力」を行う必要がなく、さらに、何車線もある新宿通りを、毎日のように車のエンジン音と歩行者の足音に耳を澄ませ、万が一にも惹かれることがないようにと時折ひやひやしながら横断したり、「近くまで行けば誰かに会えるだろう」と、教室移動の度に、ある種の賭けをすることもない環境があった場合、僕の大学生活はどんなだっただろうか?と想像することもあります。

障害のない他の学生たちと比べて、公平で平等な環境下で学び、生活できていたとしたら…。

もしかしたら、それほど成績は振るわなかったかもしれません。

でも、当時は味わえなかった自由さや、のびのびした日々があったかもしれない。

いくら想像したところで、過去を取り戻すことはできません。

そして、十分なサポートは受けられていなかったかもしれないけれど、僕が過ごせた大学時代も、僕にとっては誇らしく、大切なもの。

けれど、これから大学で学ぶ視覚障害のある後輩たち、とりわけ、和太鼓の指導等で関わる視覚障害のある子供たちには、せめて、少しでも「学ぶための努力」に時間と労力を割く必要がないよう、どのような状況が公平であるのか、学生は学ぶことを努力する立場であって、学ぶために努力することは本来しなくてもいいはずであることなど、僕が気づけたことをできうる限り伝え、必要な支援を、自らの権利であるという確信を持って要求できるようになるための、意識の礎を作る、一助になれたらと思っています。

そして、大学を含めた社会に対しては、障害によって、本来ならば不要な手間がかかることは、「不自由」とか「不便」ではなく、「不公平」で「不平等」なことなのだという、アメリカへ行けたことで気づかせてもらえた視点をもっともっと深く、広く、共有していけるよう、尽力したいと思います。

そうやって未来に貢献することこそが、大学時代を支えてくれた全てに対する、本当の意味での「恩返し」になるはず。

大学を卒業して16回目の春、また新たな気持ちで活動に邁進いたします。

プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。

同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。

第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

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