「恋愛、障害、青春のやり残し」(後編) / 片岡亮太

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「恋愛、障害、青春のやり残し」(後編)
片岡亮太

ダスキン愛の輪基金で渡米したことで得られた、現妻、山村優子と過ごしたニューヨークでの日々は、僕に思いがけないギフトを与えてくれました。

それは、言うなれば「青春のやり直し」のような時間。

ここで書くのも何ですが、僕ははっきり言ってぜんぜんモテません。

妻と出会うまで、特定の女性の方と年単位でのお付き合いをした経験なんてありませんでした。(僕の恋愛対象は女性なので、その前提で書いています。)

したがって、妻以外の女性と前編に書いたようなデートをした経験もほぼありません。

大きな家族のような雰囲気だった地元の盲学校(現 視覚特別支援学校)を卒業し、都内の盲学校で過ごした高校時代や、上智大学の社会福祉学科で学んだ大学時代には、異性の友人がたくさんいたにもかかわらず、どの関係も恋愛に発展することはありませんでした。

もちろん、恋人がいないことイコール不幸とか可哀そうという偏った価値観を持っているわけではないし、ましてや、全盲の人が恋愛することが困難というわけでもありません。

男女を問わず、全盲で「モテる」人はいますし、カップルの内のどちらか、あるいは二人ともが全盲という人たちもたくさんいます。

僕にも、ごく短い期間ではありますが、ガールフレンドがいた時期はあるし、結婚し、家庭を持った今、僕が全盲であるがゆえに、異性との関係を構築できないというわけではないと実感を持って語ることもできます。

だから、多くの人にとって、恋愛が頭の中を占める大きなトピックとなる10代中盤から20代前半くらいまでの青春時代の大半、恋人とのデートの話を何気なくしている男友達全員に対し、ひたすらうらやましさと悔しさを募らせながら過ごさねばならなかった原因は、僕の内面にこそ存在していたのでしょう。

ですが、ここではあえてその問題はわきによけ、高校、大学時代の僕が、思うような恋愛経験を重ねられなかったことと、視覚障害とを結びつけて考えてみたいと思います。

というのも、その頃の僕は、理想のデートや、女性と付き合っている状況を想像した時、「男性が女性をエスコートしなければ!」という固定観念にとらわれていたため、自分が全盲の視覚障害者であるという現実が、心に重くのしかかり、異性に対して自信を持てずにいたからです。

盲学校時代、相手の女の子が弱視であるか全盲であるかを問わず、僕が道順等を理解したうえで遊園地や映画館、カラオケやショッピングなどに出かけたいと思うのに、中途失明で、白杖(はくじょう)を使っての一人での外出経験もまだ乏しく、さらには今のようにパソコンやスマホを用いていろいろ調べたり、便利なアプリを駆使して情報を得る手段もなかった当時、僕にはスムーズかつスマートにデートをする方法が見出せませんでした。

それは、周囲にいる友人が皆、目が見えていた大学時代も同じでした。

本当はスムーズでスマートである必要なんてなく、相手も全盲なら、迷いながらでも一緒に店を探したり、どちらかが詳しい場所に出かけたり、道々で人に助けを求めたりすることもできただろうし、弱視も含め、目が見える人と付き合っていたのなら、移動や買い物、ファッションに関することなど、視覚を要することについては、相手に力を借りる。

そういう、肩の力を抜いた考え方ができればよかったのでしょう。

実際、現在の妻との生活はそのようになっているし、そのことが、パートナーとしての僕の評価を下げることにはつながっていません。

また、全盲同士のカップルの話を聞いていると、様々な下調べをしたうえでデートに出かけ、道すがら生じる大小のトラブルは二人で協力して乗り越え、思いがけないハプニングも含めて二人での時間を楽しむ、そんなスタンスを感じます。

また、障害が邪魔をして女性との関係に積極的になれないという思いを吐露して、相談に乗ってもらってさえいれば、デートプランを練ってくれたり、ファッションのアドバイスをくれたり、場合によっては、ダブルデートなどに連れて行ってくれただろうと思う友人が、僕にはたくさんいました。

だから、あの頃の僕に、自分の障害に対するもっと異なる視点があったり、友人に気持ちを打ち明ける勇気があったなら、もしかしたら理想の青春時代に手が届いたのかもしれない。そんな夢想にふけりつつ、もっと弱みや不安を外に出せる度胸があればよかったと、今更ながらに思うこともしばしばです。

一方で、当時の日本に、全盲であっても気楽に外出し、買い物をし、食事をする。そういう、後に経験するニューヨークのような空気や環境があったなら、僕がかつて抱いていた異性に対する「気おくれ」は、そもそも存在しなかったのではないかとも感じます。

例えば、ディズニーランドやUSJのような大型の遊園地、あちこちに点在するカフェやレストラン、映画館や様々なショップなど、いわゆるデートスポットに、白杖を持ったり、盲導犬、車椅子を利用している10代、20代のまだ世慣れていない若者が、恋人と訪れたとして、その二人が大した勇気も覚悟も、知識も技術も要することなく、ごく当たり前のデートを楽しみ、二人の暖かな思い出を作り上げることができる。

いつかそんな社会になったらどれだけ素敵だろうと想像します。

ちなみに、現地で体験したことはないのですが、ディズニーランドやディズニーシーでは、点字ブロックや車いす用のエレベーターが、ファンタジックな空間と調和するよう、設置されているとのこと。

また、視覚障害の人が単独で訪れても鑑賞できるようにと、わかりやすい動線の整備やスマホのアプリを使ったガイドに力を入れ、触れる作品を多数集めている美術館なども近年は増加してきているようです。

さらに、今は「UDCast」や「Hello! Movie」というアプリを使うことで、あらかじめ作成された、映画の画面を説明している音声ガイドと映画の音声をリアルタイムで同期できるので、アプリをダウンロードしたスマホさえあれば、いつ映画館に行っても、現在上映されている映画を同行者に説明してもらう必要もなく、安心して楽しむことができます。

何かに困った時には、ボランティアとして登録している人とビデオ通話で繋ぎ、目で見てもらうことで、道案内を頼んだり、必要なものを読んでもらうことができるアプリも複数存在しています。

そういった種々の技術の進歩や、誰にとっても公平な環境の強化、そして人々の視点の変化によって、障害のある若者が気楽にデートできる社会は、確実に近づいてきています。

いわゆる日常生活や、学校での学び、仕事など、生きていくうえで不可欠な諸活動に関連する機会が障害の有無を問わず、平等に保証されていくことは、疑いの余地なく必要なことだし、これからもさらに拡充されていくべきです。

けれど、その先に、恋愛という、誰もが抱き、悩み、もがき、それ故に他のどんなことよりも心を成長させてくれたり、逆に大きく傷ついたりもする営みにおいて、障害が文字通りの「障害」となってしまい、気持ちを抑えなければいけなかったり、必要以上に自分を押し殺してしまうことのない社会。

そこに向かっていきたいと僕は強く思います。

僕があこがれ、でも手が届かなくて、遅ればせながら妻との出会いのおかげで取り戻せた、青春時代にやり残したあれこれが、これからの若者にとってはいつでも手が届くものになった時、日本の社会、そしてそこに暮らす我々の心は、今とは比べ物にならないほどインクルーシブで、多様な視点に溢れているのではないでしょうか。

と、あれこれ書いていたら、最近お互いに演奏や講演で慌ただしくしていて、まともに妻と二人でデートをしていないことに気づいたので、近々、久しぶりにどこかにゆっくり出かけてこようと思います。

全盲の僕と目が見える妻が遊びに行くのにお勧めな場所、お心当たりのある方はぜひ!ご一報ください。

プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。

同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。

第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

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