不安を喜びに変え、そして悲しみを乗り越える
寺田孝介
ホームケア土屋関東で、コーディネーターを務めております、寺田孝介です。
私は2021年4月にご縁があって土屋に入社いたしました。
ホテルマンを2年、印刷業界で23年、IT営業を2年務め、この度介護未経験ながらこの仕事を選びました。
日々街中を歩いていて、白杖をついて歩いている方、車いすで移動されている方を見ると、ついつい手を差し伸べている自分がいました。
元来、困っている人がいると「助けてあげたい」「何か出来ることがないか」と衝動に駆られます。
私は恥ずかしがり屋の目立ちたがりな性格です。(どっちなんだ?)
手を差し伸べて『あの人いい人ね』と周りから見られたいと、邪まな思いもあるかもしれません。本心は単純に、助けた方に『ありがとう』と言ってもらった時の「喜び」を感じることです。
この様な思いをもって、「仕事として」やっていく決意をしました。
正直な話、一旦は介護の仕事に就こうと決心したとき、一番不安だったことは『排泄介助』でした。色々と考えた末、『大丈夫だ。息子のオムツを交換してきたじゃないか。』と、自分にいい聞かせたときに一歩踏み込めました。
入社してから、諸先輩方からお話や指導をいただき、いよいよ実際の現場支援。
初めてのクライアントは全盲で言葉を発せられない、ご高齢の女性。
期待と不安の中、ご挨拶したことを覚えています。
同行してくれた先輩にも恵まれ、先輩とクライアント、クライアントご家族の間には良い信頼関係がありました。しかし実際の現場は支援内容もいろいろあり、長時間の中、緊張感がありました。
実際『排泄介助』を見せていただき、「次は私にやらせて下さい」と、クライアントと先輩にお願いして、目の前で指導を仰ぎながら、必死に介助できたときの達成感は今も忘れていません。
もう一つの難題はコミュニケーションでした。言葉を発するのにご苦労のある方でしたので、口パクで読み取ります。
私は野球が好きで、現役時代は、相手ベンチの監督の唇の動きを読み取る力が人よりはあると自負していましたので、少し自信がありました。
しかしその自信は見事に破られ、なかなか読み取ることが出来ず、『もういい』とそっぽを向かれることが多かったです。
接していくうちに、クライアントの性格や今までの生活環境、ご家族のことが分かってきて、スラスラと会話が出来るようになった時は、自分も少しは成長できたかなと思い、自分の喜びにも変わっていきました。
私をそのように育ててくださったクライアントでしたが、やがて体調を崩され、急遽私もご家族と一緒に病院にも付き添いました。その後、入退院を繰り返すようになり、主治医の先生から、いよいよ終末期ですと伝えられました。
その日はご家族が朝から勢揃いをされている中での支援。察しました。
夕方までの支援でしたが、退出時には『ありがとうございました。』と心の底からの言葉でお別れしました。もうお会いできないのではないかと。
その数時間後、ドクターから連絡がありました。
クライアントは優しい方でしたので、私の支援中は頑張って頂いていたのだと勝手に解釈しています。
この仕事をしていれば、必ず遭遇するだろう経験。
初めて担当したクライアント、思い入れも強かったので虚無感は計り知れませんでした。
この経験を胸に、今後も様々なクライアントと接し、不安を喜びに変え成長していきます。