「主役になれる場所」(後編)
片岡亮太
前編はこちら↓
【 主役になれる場所(前編) / 片岡亮太 | 重度訪問介護のホームケア土屋 】
2007年から続けているこれまでの様々な活動の中、講演や執筆を通じて、僕は自分自身の障害に関係するたくさんのエピソードを取り上げては、その中で得られた気付きや学びについてお伝えしてきました。
その中には、ポジティブなことばかりでなく、失明した時のショックや、全盲になったことで感じた苦しさのように、思い出すと痛みを伴う経験も含まれています。
ですが振り返ってみると、小学1年生から4年生までの、弱視の頃の学校生活のことを深く言及したことはほとんどありません。
それは、幼かったがゆえに記憶が定かではないことも理由の一つですが、当時の学校生活を思い起こすと、現在でも嫌な冷や汗と共に、劣等感が心を支配してしまうからです。
理解のある先生や友人たちに囲まれた比較的恵まれた環境にいたとは思うものの、様々なコンプレックスを抱く要素も多かった学校生活。
突然の失明というハプニングによって転校を余儀なくされ、尻切れトンボでその日々に終わりを迎えてしまったことも、僕の中にしこりを残しているのかもしれません。
おそらく、あの4年間があったからこそ、盲学校転向後に経験した、「目立てる経験」がことのほか嬉しくて、今日の舞台に立つ者としての土台が生まれたのではないかと最近よく考えるのですが、一方で、幼少期に刷り込んでしまった、「自分は周りより劣っている」という意識に今でも苦しむことがあることも事実です。
先ごろ国連の障害者権利委員会が、日本における障害児教育において、通常の学校での教育から分離され、特別支援学校で学ぶ子供たちが多くいることに対し懸念を表明し、障害の有無に関係なく共に学べる「インクルーシブ教育(統合教育)」を進めるように勧告したことが広く報道されました。
幼稚園や保育園などで、近隣の子供たちと一緒に過ごしていた障害のある子が、小学校に上がるに際し、地域の学校ではその子の障害状況に適した十分な環境がないため、自宅から遠く離れた特別支援学校(以前の盲、ろう、養護学校)に入学し、寮生活になったり、電車通学になり、地元の子供たちと疎遠になっていく。
かつてはこういうことが、よくありました。
僕自身も隣の市にあった弱視に配慮できる公立の小学校に、校区外から通っていたので、似たような状況だったと言えます。
また、僕のように、一般の学校で学んでいる途中で障害を負ったり、障害が重度化するなどして、転校を選択せざるを得ないこともあります。
近年は、一般の学校で障害のある児童、生徒も学べる「統合教育」が推進されたことで、障害のある子供たちも地元の学校に入学することが増えているようですが、やはり上述の理由から、進級や進学のタイミングに合わせ、よりよい環境を求めて特別支援学校を選択する家庭も少なくない様子。
日本の中に多様性の概念が根付きづらかったり、ユニバーサルデザインの拡充と、障害者への偏見や差別の軽減が進みづらい背景には、障害のある人と出会うことをはじめ、同じ社会に生きる、多様な他者の存在を認識する機会が欧米諸国と比べると圧倒的に少ないという環境的な問題があるのではないかとよく言われます。
事実、いわゆる特別支援学校を廃止し、インクルーシブな学校で障害のある子もない子も学ぶことがスタンダードになっている諸外国では、障害者の社会参加がスムーズな印象があります。
だから、今回の勧告が後押しになって、今後、障害の有無を問わず、住み慣れた地域で、近所の子供たちと一緒に学び、遊び、成長できることが当たり前の世の中になり、学校生活を通じて、様々な特徴を持った友人を持つチャンスが増えたなら、日ごろの友人関係を通じて、他者と自分の違いを認識し、その差を埋めながら一緒に生活する術を学び取ることが日常になるはずです。
希望的観測に過ぎないかもしれませんが、その繰り返しの中で、障害のことを身近な出来事に捉え、考え、行動する人は、おのずと増えていくように思います。
と同時に、そういう教育の場を生み出すために、学校の設備や、通学路をバリアフリー化することも進んでいくことでしょう。
また、僕が和太鼓の指導の中で関わる子供たちの中には、ずっと視覚特別支援学校で過ごしているために、将来的に大学や職場などで、障害のない人たちと同じ環境で学び、働くことになった際、どうやって関わっていったらよいか、ごく普通の友達関係を作れるのか、不安を抱えている子もたくさんいます。
インクルーシブ教育の定着とは、障害のある子供たちの中にある、こういった未来への心配も小さくしていくことに繋がると思います。
さらに、遠方にある特別支援学校に通う子供たちの通学をサポートする保護者の方たちの負担が軽減されることで、障害のある子供たちの家族の生活に良い影響も起こり得るかもしれません。
けれど、そういったたくさんのプラスの可能性を秘めたインクルーシブ教育の強化に社会全体が舵を切るであろう今だからこそ、僕は一度立ち止まって、「分離教育が持っている良さ」にも目を向けたいと思っています。
その代表的なものの一つが、前編で語ったような「主役になれる喜び」を知り得ることではないかと考えています。
かつて僕がそうであったように、自分が中心人物足り得ることを小、中、高生の頃に知れることは、自尊心の形成や後の人生の選択を大きく左右するように思います。
障害のある子もない子も、同じ空間で生活する。
そういった場面設定のみを見つめるのではなく、今多くの学校で実践されている統合教育と、これから進められていくインクルーシブな教育が、誰にとっても「主役になれる場所」であれるのか、あるいは主役になる経験を知った上で、あえてわき役を選択したり、目立つことを選ばずに歩くことができる場所であれるのか。
それが重要なのではないかと感じます。
形としてはインクルーシブと呼びえる環境下で過ごした公立の小学校時代には、様々なことに自信を持てなかった僕が、盲学校という分離教育の中で障害と共に生きるすべを知り、
和太鼓をはじめ、情熱を注ぐ対象を見つけ、社会福祉の道を進もうと志した上で、大学進学を通じて再びインクルーシブな環境に飛び込んだ際には、望む学びを得るため、自ら行動し、失敗も成功もたくさん経験しながら、多くの友人を持ち、将来を切り開くことができた。
そういう自分自身の歩みを思う時、障害のある子供たちを巡る教育において求められることは、「障害のない子供たちと一緒の空間にいる」ということだけではないように思えてなりません。
今後の日本のインクルーシブ教育の行く末、僕なりの視点から見つめ、思いを発信し続けたいと思います。
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。