「白杖とプライド」(中編)
片岡亮太
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【 白杖とプライド(前編) / 片岡亮太 | 重度訪問介護のホームケア土屋 】
先日、障害分野における、「マスキング」と「カモフラージュ」という言葉を知りました。
これは主に自閉症スペクトラム障害のある方々が、社会適応するため、周囲の人と行動を合わせることによって、その方が本来取りたい行動様式を隠したり、さも障害がないかのように振る舞うことを指す言葉なのだそうです。
このマスキングやカモフラージュは、「本来の自分の姿をわからなくしてしまう」という危険性をはらんでおり、一般社会に溶け込もうと努力するあまり、本当は支援が必要な状況にいるにもかかわらず、そのことにご本人が無自覚になっていたり、自分自身が自閉症であることに気づけなくなっていることがあるとのこと。
10代の頃の僕が、電車の中で白杖を隠したり、あえて白杖を持たずに外出していたこと、困っているのに困っていないように振る舞っていた行為なども、このマスキングやカモフラージュに似たところがあったように思います。
あのようなことをしていた気持ちの根幹には、自分の障害を周囲に知られず、周囲の風景に溶け込んでいたいという気持ちがありました。
もちろん、思春期独特の反発心や、「自分以外のものになりたい」という憧れ、障害がある自分や、それによって生じる様々な手間へのいら立ち、知らない人から、全盲であるという一点だけをさして興味を持たれたり、「可哀そう」と同情される瞬間などに感じていた、面倒だなあという思いなど、子供時代にはもてあまし、自分の中で消化することができなかった様々な感情を表出する一つの手段であった部分が大きかったとは思います。
けれど、そういった行為によって、自閉症の方々にとってのマスキングやカモフラージュ同様、本来ならば、全盲であることこそが僕にとって自然な状態であるにもかかわらず、そんな自分の身体を、「ださい」と否定し、全盲であることは「誤り」であり、見えていることこそが正解であるかのように感じていたあの頃の僕。
後の生活の中で、その考え方は変わっていきましたが、今思うと、とても危うい状態を生きていたと感じています。
もちろん、当時の鬱屈した思考があってこその現在なので、後悔はしていないものの、あの頃、変な見えを張ることなく、全盲の視覚障害者としての生活術をもっとまっすぐに利用し、それを熟達させたり、見えないことでわからないことを率直に言葉にして、助けを求められることこそを「格好いい」や「誇りある行動」と考えられていたなら、僕の心の在り様や生き方が、大きく変わっていたのかもしれない、そのように思うこともあります。
思春期の斜に構えたものの見方や、そもそもの自分の性格など、僕自身に起因する要因はさておき、「見えている」と「格好いい」を同一視していた当時の感覚の根拠とは一体どこにあったのだろうと考えてみると、10代の時、障害のある身体をそのままに「格好いい」と思えるだけのロールモデル、お手本のような存在がいなかったこと、またそう感じられる社会の風潮もなかったことの影響があったのではないかと感じました。
僕が小・中・高生だった1990年代後半から2000年代前半は、人気のテレビドラマの中で、手話が度々登場したことや、そのドラマがロマンティックなものだったことで、手話を勉強したいと思った人が増え、手話の認知度が飛躍的に上昇した時代でした。
あのブームは、聴覚障害のことや「手話は一つの言語である」という概念を、無意識の内に社会全体に浸透させることに、少なからず貢献したと思います。
そういった動きが、視覚障害者を巡る環境で起きていただろうかと考えてみましたが、特に思いつきませんでした。
日本には、スティーヴィー・ワンダーやレイ・チャールズのように、盲目であることが周知されているポップスターがいなかったし(実は弱視であったとか、本当はほとんど目が見えていませんと、後々になってカミングアウトするような方はおられたような気がしますが、まさにそういう方々も、見えているように振る舞っておられることが多かったように思います)、テレビで視覚障害が取り上げられる時、そこにはいつも啓発的な意味が見え隠れしたり、ドラマを劇的にするきっかけとしての「失明」のように、ネガティブな文脈を持つことがほとんど。
そのため、メディアに映し出される格好良さやおしゃれ、華やかさと自らを重ねた時、どうしても、視覚障害や白杖の存在が「余計なもの」として浮いてしまう。
そんな感覚がありました。
近年は、白杖もハイテク化し、障害物を認識し、振動で伝えてくれるセンサーが搭載されていたり、スマホと連動して道案内が可能なものなど、数十年前には想像もできなかったようなものが、実用間近な段階に至っています。
また、先ごろスポーツブランドのミズノが販売を開始した、使いやすさと見た目を重視して開発された白杖は、カーボン製でスマホと同程度の軽さなうえに、先に向かって細くなる「テーパー形状」にしたことで、長時間使用しても疲れず、さらには、杖に三角形を基調としたデザインが施されており、目を引く魅力を持っているとのこと。
こういった新製品が登場することで、今までとは異なる意味で、注目を集める白杖が現れていることを、一ユーザーとしても嬉しく思っています。
さらに、ドラマや映画、小説等において、様々な角度から種々の障害が取り上げられる機会も増えたし、パラリンピック出場選手たちを中心に、障害のある人たちがマスメディアに取り上げられる際、障害が「不幸」や「努力」の象徴ではなく、その人の中にある一つの要素として映し出されることも多くなってきているので、障害と呼ばれる特徴を有したそのままの心身を誇れる機運も高まっているように思います。
そのような変化の潮流は僕たち大人の視覚障害者の日々を生きやすく、豊かに、楽しくしてくれることはもちろんですが、過去の僕のように、障害がまるで格好悪いもののように思えてしまっている子どもたちの価値観に一石を投じ、心に波紋を生み出す力を持ち得ると思っています。
今こうやって過去の自分の葛藤を掘り起こし、言葉にし、自分なりに分析していることも、僕の思考の足跡が、誰かにとって障害を見る視点を好転させるきっかけになればと願うから。
華やかに、スマートに表現することは苦手ですが、迷いやつまづき、もがきながら得た気付きを、これからもできうる限り真っ直ぐに表現し、僕の思いや視点を、お読みくださる皆さんと共有できればと思っています。
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。