自己肯定『ここにいるだけで』【後編】
わたしの
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【 ここにいるだけで – 中編 / わたしの | 重度訪問介護のホームケア土屋 】
◇
父の日ってのはさ、何をあげたらいいの?
父親へのプレゼントほど頭を抱えるものもない。
これまでお酒や洋服をあげたことがあるが、反応が薄くて嬉しいのか嬉しくないのかさっぱり分からない。
洋服をあげたときに、とりあえずその場で着てみてくれるとあげた方も嬉しいのだが、父親はパッと広げてみて、いいね、とだけ言って畳んでしまう。
着たい着たくないではない。礼儀として身につけるくらいはしないか?
すぐに畳んでしまうと、気に入らなかったのではないかとがっかりしてしまうのだけれど、それは私自身の捉え方が問題なのだろうか?
私はずっと考える。一体何をあげたら喜んでくれるのだろうか?
難しく考えすぎて電動シェーバーをあげたこともあったし、もっと捻って珍しい野菜の砂糖漬けみたいなものをあげたこともあった。
さすがに野菜の砂糖漬けを見た父は一瞬固まっていた。そりゃあそうだろう。私だってもらったら困るよ。
じゃあ何あげたらいいん?
こっちだって追い詰められて追い詰められて、挙句の果ての果ての野菜の砂糖漬けだからね。
捻らずにやっぱりシンプルに考えればいいのだろうか?
そんな風にいつも迷って、結局あげないという選択をしたこともあった。
それなら本人に聞けばいいだろうと思う人もいるでしょう。
しかし聞くと「ほしいものはない」とか「適当に何でもいい」という答えが返ってくる。
対話しているとあげる気が失せてくるので、なるべくならNO対話でプレゼントしたいと思ってしまう…が…。
これまでの親不孝で、誕生日にも父の日にもプレゼントなんて渡したことがない。
だから慣れてないのだ。データがないのだ。
子どもの頃からこの問いに向き合っていたら、もう少し早めに解答が見つかっていたのかもしれないけど、これまでの親不孝を反省し、何か父親に物を贈りたいという考えに至ったのが自分が不惑40歳になってからというのだから、本当に恥ずかしい限りである。
プレゼントはお金ではない、心だ、という。ならばまず心がなかった。感謝の心がなかった。
次にお金もなかった。高価なものではなくても…というが、安価なものを買う余裕さえなかった。
かと言って、自分のためだけにしかお金をつかっていたわけではない。
一人で暮らしていた若い頃はとにかく貧乏だったが、生活が安定したら今度は別の事情で金銭を自由につかえなかった。
若い頃の貧乏体験が尾を引いていて、貧乏性が抜けないのももちろんある。
池袋で暮らしていたときは月の収入が12万円で、家賃が6万5千円。
残りの5万5千円で、水道光熱費、食費などを支払わなければならなかった。
それもこれも自分のだらしなさが招いた状況だったが、時代のせいにして責任逃れするならば2000年代初頭のロストジェネレーションのどん底を歩いていたわけである。
てやんでい。
………話が脱線して、暗い方に進んでしまった(根が暗いので油断しているとすぐに話題も雰囲気も暗くなっていく)。
父親へのプレゼントの話題に戻そう。
◇
紆余曲折を経て、結局はポロシャツを贈った。
父は昔からゴルフが好きだった。
質問⑤「これからやりたいことは?」
『コロナ禍でなければ奥さんと一緒に旅行をしてみたい。健康に気を付け、いつまでもゴルフができることを望みます。ゴルフのエージシュートを達成したい(歳と同じスコアを出したい)』
と答えていた。
ちょうど職場からの帰り道にゴルフウェアのお店があったので入ってみると、いろんな種類のゴルフウェアが並んでいた。
ポロシャツの中でもなるべくオジサン臭くないもの、かつ、若作りしているようにも見えないものを選んだ。
デザインを優先させて、金額はあまり考えなかった。並んでいるものの中でもかなり上等なものだった。
先にも説明した通り貧乏性が抜けない私は、自分自身の洋服には一切お金をかけない。
一枚500円の黒い無地のTシャツを好んで着ている私にとってはかなり高額なものだったけれど、父が着る分なら構わないだろうと思った。
人から贈られる以外では決して自分では購入しないだろう。
サイズがわからなかったので試着してみて、だいたい体つきも似てきたから同じくらいのサイズの、テロテロした黒地に水玉の刺繍が施されたポロシャツを購入した。
そのまま郵便局からゆうパックで実家に送りつけた。簡単なメッセージを添えて。
◇
翌々日、父親から電話がかかってきた。
なかなかいいね、と父は言った。相変わらず言葉少なだった。
「サイズはどう?」
「ぴったり」
「柄は大丈夫?」
「悪くない」
「なら、よかった」
「今度のゴルフのときに着るよ」
お互い照れ臭く、まあ反応はこんなものだろうなということを確かめて、いつもと変わらず早々に会話は終了しそうだった。電話を切ろうとすると、
「晴明、ちょっと待て」と、父が止めた。
「おまえはさ、娘から何をもらったことが嬉しかったか覚えてるか?」
「一番最初にパパを書いてくれた絵が嬉しかったね」3歳の7月に保育園に行き始めたばかりのころ、娘が私を書いてきてくれたことがあった。それはとても感動した。
「どうして嬉しかった?」父が聞いた。
「どうして?………保育園で離れているときでも、娘がパパを描こうって思ってくれた瞬間があったんだなってわかったからかな…?自分に気持ちを向けてくれたから………かな?」
「そうだよな…じゃあまた」そう言って父は電話を唐突に切った。いつもどおり一方的に。
てやんでい。
【完結編】へ、つづく