『人材育成』
わたしの
新宿の某ホテルで開催された福祉系の就職説明会で、200人の参加者を前にして私は力説していた。
「我が法人は人材育成に力を入れており、スキルアップのための研修体系を整えています!新人にはOJTリーダーという指導者が付き、現場での疑問や困りごとなどをいつでも相談できるので安心して働くことができます!」
そう言って私は自分が所属する社会福祉法人の事務局が作成した研修体系を表したパワーポイントのスライドを映し出し、「これが研修体系を可視化したものです!」と指さして会場に紹介した。
スポットライトが当たっていた。
無数の顔が説明する私をじっと見ていた。
中には肯いてくれている人もちらほら見えた。メモを取っている人もいる。
リクルートスーツを着た初々しい顔ぶれが6割。
その他、中途採用や転職組と思われる人々も多く混ざっていた。
「みなさん、キャリアアップのために何が必要ですか?そう、それはもちろん現場での経験が大切です。しかし、現場での経験を安心して積めるように、私たちはキャリアに合わせた研修を用意しています」
ホテルの披露宴会場を貸し切った就職説明会。音響はばっちり。
マイクを通した声に、最大限のやわらかさと聴衆への届きやすさが帯びるように口との距離や角度を調整する。
天井のシャンデリアがキラキラしていた。
「一年目の新人には、まずビジネスマナーを受けてもらいます。それから虐待防止・人権擁護研修。それから情報セキュリティー研修。それから同僚や上司に自分の意見を伝え、建設的な議論をするためのアサーティブ研修。それから基礎的なそれぞれの障害の特性を学ぶための研修も用意しています。それから………それから………」
◇
説明会の仕事を終えた私は電車で地元まで戻ってきた。
まだ日が高く、家に帰るまでは時間があった。
商店街の飲み屋は開店準備をはじめており、出汁や醬油ダレの焦げるいい匂いがどこからか漂ってくる。
「どこかで一杯やって帰ろう」
私は大手の焼き肉屋チェーン「G」に入った。
たまには一人焼肉しながら飲むのも悪くないだろう。緊張する仕事を終えたあとなので自分へのご褒美に、ちょっとだけ贅沢をしようと思った(決して高級店ではなく、安価な焼き肉屋ではあるけれど…)。
席に案内されて注文を終えた後、店内を見渡した。
私の席からは4人掛けのボックス席がいくつか見えた。そのうち2組入っていた。
1組は大学生と思われる男子三人組で、もう一組は30代の女性二人だった。
女性の方は雰囲気からするとどこかの会社の先輩と後輩のようであった。
それぞれテーブルに置かれた七輪を囲んで楽しそうに笑っていた。
七輪から煙が上がり、それを真上のダクトホースがすごい勢いで吸い込んでいた。
私は焼肉を焼きながら、ホッピーを飲み始めた。網の上でホルモンを転がす。
焼き肉屋は久しぶりだった。しみじみと嬉しい。
子どもが生まれてから何度か一緒に入ることに挑戦したが、上手にトングが使えないにも関わらず「自分が焼く!」となんでもやりたがる娘との格闘の末、最終的には大泣きして終わる結果が続き、もう少し成長してからではないと難しいと判断した。
あまり躊躇せず、私はとにかくなんでも挑戦してみる方だとは思うが、焼き肉屋だけは諦めざるを得なかった。
だから久しぶりの焼き肉屋だったが、その中でも「G」は10年ぶりだった。
数多くあるチェーンのお店の中でもお気に入りで、昔はよく「G」に通っていた。
◇
「G」のことは、私がはじめて仕事に就いた事業所の先輩が教えてくれたのだった。
「いいか。ここは白米がおいしい!」と、先輩は力説していた。
「焼肉屋は肉だけがおいしくても駄目だ。米がおいしい店を選ぶこと」
それを真剣に、熱く語る。私が25歳。先輩が30代前半だったと思う。
先輩は仕事帰りの私を誘って、よく「G」に連れて行ってくれた。
私がビールで乾杯しようとすると、
「ちがう、ちがう!そうじゃない。ご飯茶碗を持ちなさい」と言った。そして、ビールのジョッキで乾杯するように大盛りのご飯茶碗で乾杯するのだった。
「焼肉屋では、ライスで乾杯すること!」
それが毎回の恒例になっていた。
焼肉だけではなく、ラーメン屋もよく連れて行ってもらった。替え玉のできるラーメン屋に行って限界を超えて競い合うように替え玉をして、帰り道に二人で吐いたこともあった。
「馬鹿だね、なにやってたんだろうな…」
思い出して私はひとりで笑ってしまった。くだらなすぎて笑える。
すっかり乾杯の仕方を忘れ、「G」に来たのにも関わらず、ライスを注文せずにホッピーを飲んでいる自分を先輩が見たらなんて言うだろう。
「不甲斐ないって言われちゃうのかな」
苦笑いしてしまう。
「あの頃は、お世話になったな……」
なんにも知らないでこの業界に入ってきた若造の私に、先輩が教えてくれたのは『焼き肉屋では白米で乾杯すること』というような、くだらないことばかりだった。
仕事にあまり役に立たないことをたくさん教えてくれた。あと、一番習ったのはギターの弾き方だった。
教えてくれたのは、ご利用者との関わり方ではなく、ビジネスマナーでもなく、虐待防止・人権擁護でもなく、アサーティブでもなかった。
くだらないことや役に立たないことやギターの弾き方をとにかく教えてくれた。
そしてみんなで歌うこと、楽しむこと、笑うことを第一に教えてくれた。
先輩はご利用者のことになるとそれを我がこととして受け止め、考えていた。考えすぎてしまうくらいだった。
先輩は事情により仕事を辞めていったが、私は残った。
その後、アルバイトだった私は正規職員になり、いつのまにか事業所のマネジメントをする立場に今では立っている。
◇
大事なことを何も教えてくれなかったな、と思っていた時期もあった。
しかし、いつからかこう思えるようにもなった。先輩が 無駄とも思えることを教えてくれていた時間というのは、裏返せば、一見正統的な、重要そうな、有用そうな知識を教えなかった時間といえるかもしれない。
私からすれば、そのような知識を入れずにいた時間だとも言える。
頭をいっぱいにしなかった時間であり、どちらかというと心で感じる時間だった。
すぐに肥料を与えるのではなく、植えかえた植物の根が土になじむのを待つ時間というのか、自分で考えようと前向きになるのを待つ時間というのか、遊びの時間だったように思う。
思い出は全て美しい…かな(?)。
もちろん、何も教えないことがいいことだとは思わない。
しかし、あの時期が自分にとってはとても大事だったなと、今では思える。
あの時期があったから今の私がいる。
先輩がいたから今の私がいる。
そう、思える。