「アンテナと人格」(後編) / 片岡亮太

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「アンテナと人格」(後編)
片岡亮太

大学生の頃、盲導犬ユーザーの友人が、「犬や猫の殺処分のニュースを見たら涙が止まらなくなった」と話しているのを聞いて、「そうだね、ひどいよね」とうなずきながらも、内心ではちょっと大げさではないかと思っていたことがありました。

あれから十数年経った今、我が家には、個人的に捨て犬を保護している方のもとから3年前に引き取り、「さくら」と名付けたミックス(雑種)の女の子がいます。

生後2か月くらいで片岡家の一員となった当時のさくらは、体長約30㎝、体重5㎏と、片手で軽々抱っこできるサイズでしたが、そこからすくすく大きくなって、現在は体重約24㎏、体調も1m近くあり、幼稚園児並みの身体。

それでも、僕たち夫婦ができ愛しているため、未だに子犬気分が抜けず、お散歩中に苦手なにおいや嫌いな音を察知すると、妻に「抱っこして」とばかりに、軽く前足を広げ、後ろ足で立ち上がりながら抱きついてくるほど愛らしいさくら。

そんなさくらも、3年前に捨てられた場所で誰にも保護されずにいたなら、保健所の方々がやむを得ず殺処分しなければならなかったかもしれない。

そのようにして、せっかく生まれてきた命を、人間の都合で強制的に終わらされてしまう動物たちが、この日本には何千、何万といる。

そんな現実を思うと、自然と涙があふれてしまいます。

それはおそらく、大学時代の僕にはわからなかった視点が、今の僕にはあるということなのでしょう。

犬と人間を一緒にしたら叱られてしまうかもしれませんが、マイノリティと呼ばれる人たちに思いを寄せることや、障害のある人、とりわけ「重度心身障害者」と呼ばれる方たちを巡る差別や偏見の問題の中にも、こういったことに近しい部分があるのではないかとよく考えます。

1999年、当時都知事を務めていた故石原慎太郎氏が、重度の障害のある方たちの施設を訪問した後の記者会見で、「ああいう人ってのは人格があるのかね」と、それこそ氏の人格を疑いたくなるような発言をして物議をかもしたことがありました。

その頃、まさに「人格があるのか?」と彼が疑問視した方たちと、障害の状況としてはおそらく近しい状態であったであろう同窓生たちを友人として慕っていた僕は、彼の発言によって友を冒とくされたようで、中学生ながらに深く傷つき、憤りを感じました。

けれど一方で、「この人は、失明しなかった僕かもしれない」と感じてもいました。

以前、『 バロメーターは同級生(前編) / 片岡亮太 』でも書いたとおり、失明を機に一般の小学校から地元の盲学校へ転校してきたばかりの頃の僕は、重度重複障害のある友人たちのことを避け、見下し、同じ人間とさえ思っていませんでした。

同級生だったたけし君(仮名)との時間の中で、その考えを変えることができた経験を通じてはぐくまれた視点は、今日の片岡亮太を支えている最も大きな土台の一つになっています。

逆に言えば、あの頃、たけし君たちと出会うことがなかったなら、僕の心の奥底にはずっと、重度の障害のある人たちと自分とを、同じ人間ではないと区別する意識が宿り続けていたかもしれません。

そう仮定した時、石原慎太郎元都知事や、2016年の7月に、神奈川県相模原市の障害者施設にて、19人もの尊い命を奪ったあの加害者、そしてあれほどの蛮行に彼を駆り立てた「障害者は不幸しか生まない」という考え方に、少なからず賛同の意を表明していた人々と僕との間には、それほどの距離はないのではないかといつもドキリとします。

僕は偶然生じた失明をきっかけに、10代前半の人格形成時期に、たけし君をはじめ、様々な障害のある友人たちと巡り合うことができ、彼らと心を通わせたり、彼らの魅力に気付けるアンテナを持つことができただけ。

そのアンテナは、個性豊かな彼らのキャラクターに笑ったり、僕よりはるかに体力があって、視力も良かったたけし君に、グラウンドでのランニングの伴走をしてもらい、そのスピードとスタミナについて行けず、引きずられそうになって、本気で転ばせてやろうかと思ったり、やはり同級生で、ほとんど言葉をしゃべることができなかったゆみこちゃん(仮名)という子が、美しいメロディの曲を聴きながらぽろぽろと涙を流したり、楽しい曲に身をゆだね、体を揺らしながら、幸せそうな声で笑っている様子に、「僕はこんなに感受性豊かに音楽を聴けるだろうか?」と感動し、同時にちょっと嫉妬もしたりした日常の中でゆっくりと生成されていきました。

こういった体験は、今の日本の社会のように、障害の有無を超えて、共に学び、共に遊び、共に働く環境が少なく、たとえ空間を共有していたとしても、そこに、会話ややり取りなど「関係性」が生じづらい構造が続いている状態では、多くの人にとって縁遠いものと言わざるを得ません。

けれど、僕自身の経験を振り返った時、「ストレス社会」と当たり前のように呼ばれてしまう現代において、多様な心身を有する人たちと出会い、時間を共にすることは、そんな社会の息苦しさを打破する一つの大きなきっかけになるのではないか、そのように思います。

地元の盲学校で多種多様な友人たちと過ごし、彼らとの関係を構築した日々を通じて得た感覚は、後に出会う、相性が悪いと感じる人の中に、良いところを見つけようと努力したり、その人とうまく調和するためのリズムを見つけようとするうえで、とても役に立ちました。

そして何より、弱気や憂鬱に飲み込まれ、自分のことを嫌い、かなうならば消えてしまいたい、そんな思いが抑えられなくなりそうな瞬間にも、自分を手放さず、自分を肯定する強さの原点になっているように僕には思えます。

他者や自分を憎んだり、排除したくなる気持ちはだれもが抱き得るもの。

その思考に勇気を持って立ち向かいたいと思う時、嫌いな人、嫌いな自分が放つ信号を拒絶するのではなく、一度受信し、理解しようとするアンテナを持てることこそが、最大の武器になるのではないか、僕はそう考えています。

少し話は変わりますが、相模原の事件以後、改めて優生思想について注目される中、「出生前診断」によって、胎児に遺伝子異常が見つかった際、9割の女性(多くの場合はカップルだと思いますが)が人工中絶を選択すると度々報じられるようになりました。

そこに「内なる優生思想」が潜んでいると語る専門家の方が多数おられます。

もちろん、そういう側面もあるのでしょうが、僕はどうしてもそれとは違った視点をぬぐい切れません。

個人の中に内在化している思考よりも、障害のある人たちが、当たり前に日常を生きている様が想像できなかったり、そういう方たちと、意思の疎通をした経験がないことから生じる、漠然とした不安や、「障害があったらこの社会は生きづらそう」という、社会への不信感こそが、「産まない」ではなく、「産めない」という方向に、人々を先導してしまうのではないかと思ってしまうからです。

それほどに障害に関する情報や経験が一般社会の中で不足しているというのが、僕の印象です。

新たな生命が宿った時、その子に障害があるとわかったとしても、「それでも幸せに生きていける」と、具体的なイメージを持って考えられる社会に向かっていくためにも、多様な人々が放つ信号を受信できるアンテナと、それを作り得る環境が求められているのではないか、僕はそう考えます。

新型コロナウイルス、ロシアとウクライナによる戦争、経済不安…。

昨今生じているたくさんの出来事は、様々な格差を生み、繋がりを断ち、人々を孤独にし、経済力や生産力などの尺度から、弱者と強者に人々を分け、その違いを如実に浮かび上がらせていく。

そのような流れに抗うためにも、縁あって、友人たちから、多面的に人を受け止めるアンテナを授けてもらい、その感度を磨かせてもらえた僕のような存在が、言葉を発信することで、僕が体験してきたことの一部を、多くの人に届けていくこと。

それは、社会を暖かな方向に動かす、小さなエネルギーになると信じたい。

今、強くそう思います。

プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。

同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。

第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

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