「アンテナと人格」(前編) / 片岡亮太

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「アンテナと人格」(前編)
片岡亮太

全盲の視覚障害と共に生きている僕が舞台に立って演奏したり、自分の障害について語る活動をしていると、「障害を前向きにとらえていて素晴らしい」と声をかけていただくことが多々あります。

確かに、10歳の時に突如訪れた失明という経験を契機に、その後の様々な出来事を経て、福祉を学び、プロの和太鼓奏者としての道を歩んでいる僕の中には、自らの障害をプラスに転じようとしているエネルギーが少なからず働いているのかもしれません。

そのことを評価していただけることはとてもありがたいことです。

けれど、僕自身には、「障害を前向きにとらえている」という意識は全くありません。

おそらく、実際に自分の障害を取り立ててポジティブな言葉で語ってはいないと思うし、むしろ、どちらかと言えば、全盲であることで生じる社会生活上の面倒くささややるせなさを、極力率直に伝えることに注力しているつもりです。

それは、僕にとっての障害が、一様に「前向き」とか「否定的」など、評価を下せるものではないからです。

例えるならば、自分を自分で抱きしめたくなるくらいに愛おしく思う日もあれば、どうしようもない自己嫌悪で消えてしまいたいような心持ちになる日もあって、自らのことを常に好きでい続けることが難しいことと似ているかもしれません。

全盲であることに誇りを抱く瞬間もあれば、障害があることに地団太を踏みたくなるほど悔しくなる瞬間もある、それが正直なところ。

お客様が、僕が演奏し、語っている姿から、無意識の内に「障害を乗り越えた」とか、「目が見えないのに明るい」等のイメージを受け取ってくださるならば、社会構造の不平等や不公平な扱いを受けてしまう現実、目の前にいるお客さまや身近な家族の顔を見ることができないことが、苦しくて仕方がなくなる瞬間があることなど、ネガティブな側面も、あえてさらけ出していくことで、障害についての印象の偏りを中和していきたい、そのように思っています。

そうやって、おそらく今後も一生共に歩いていくであろうこの障害を、プラス、マイナス、どちらか一方に位置づけてしまわず、流動的な存在として見つめていくことが、今の僕のスタンスです。

けれど、期せずして10歳で失明したことに、心から感謝していることが一つだけあります。

それは、僕に様々な人との「出会い」を授けてくれたこと。

これまでに巡り合うことのできた多くの人たちのおかげで、僕の人生を豊かにしてもらえたことへの喜びは、一瞬たりとも揺らぐことはありません。

代表的な存在として、以前このコラム内でも書いた『バロメーターは同級生(前編) / 片岡亮太』に登場するたけし君(仮名)をはじめ、失明を機に転校した地元の盲学校で出会った同窓生、とりわけ「重度重複障害」と呼ばれる障害のある友人たちが挙げられます。

彼らとの日々は、僕の人生における大きな財産。

彼らと出会い、一緒に過ごせたことで、僕は、この社会に様々な人が生きているという、まさに「多様性」と呼びうる視点や、自分とは違う言葉や行動様式を持つ人たちと心を通わせるために必要な心構えを、身に着けることができたと思っています。

あれは、中学時代、京都府内を巡る修学旅行へ出かけた時のこと。

その際一緒に出掛けたメンバーの中には、たけし君を含め、数名の重度重複障害の友人がいました。

ある晩、ホテルの大部屋にて、引率の先生たちが打ち合わせのために外に出て、室内には僕とたけし君、そしてもう一人の重複障害のある友人、さとし君(仮名)の3人が残されました。

すると、たけし君とさとし君は、おもむろに「片岡君」と連呼し始めたのです。

「えへへ、片岡君」
「う~、片岡君」

楽しそうな声で数分間続いた謎の「片岡君」の嵐。

それはなかなかに奇妙なひと時でした。

でも、普段の学校とは違う空間で、僕と一緒にいることを二人が喜んでくれているような気がして、嬉しく、くすぐったいような思いをしたことをよく覚えています。

照れもあって、「お前らうるさい!僕寝るからね」と、乱暴に言い捨てながらも、笑いが抑えられませんでした。

あの瞬間、間違いなく、たけし君とさとし君の間には、二人にだけ通じる「空気」や「信号」のようなものがあって、そのやり取りの中で、「片岡君コール」は始まったような気がしました。

彼らと生活していると、時折そんな風に重度重複障害のある友人たち同士が、何か特別な信号で結びついていて、意思を交換しあっているように思えることがありました。

もちろん、「重度重複障害のある同窓生たちはみんな仲良しでした」と言いたいわけではありません。

むしろ明らかな相性の良しあしがあって、言葉が介在するコミュニケーションは、ほとんど生じていないにもかかわらず、「あの二人を近づけたらけんかになる!」とひやひやする関係もあれば、「この二人は仲がいいなあ」とほのぼのするコンビもありました。

そのような様子を見るにつれ、言葉ではない何かが彼らの通信手段になっているのではないか、僕はその想像を強くしていきました。

悔しいことに、僕には、彼らの間で生じている関係性の変化や感情の流れを感じ取ることはできても、そこで交わされているやり取りをキャッチすることはできませんでした。

けれど、たけし君が初めて自発的に「片岡君」と呼んでくれた小学6年の時から、少しずつ、彼らが発している信号を受け止める「アンテナ」を持てるようになり、彼らへの興味や関心、友人として純粋に好きだと思う気持ちが高まる中で、まるで古いダイヤル式のラジオのチューニングが徐々に熟達していくように、その感度を少しずつ磨かせてもらったように思っています。

「片岡君コール」のあの夜は、たけし君、さとし君の間で交換されていたものを、いつもより強く共有させてもらい、一緒に笑えた、そんな時間でした。

僕に視覚障害がなくて、多くの人と近しい中学生時代を過ごしていたなら、おそらく修学旅行の思い出とは、友達とやんちゃしたり、好きな女の子の存在にドキドキしたり、といったものになっていたでしょう。

正直、そういう、大多数の人にとっての当たり前の経験をしてみたかったという思いもあります。

でも、あえて分類するなら、「重度」と呼ばれるであろう障害のある友人二人が、わけもわからず僕の名前を連呼しながらにやにやしていることに、柔らかな感情を味わった修学旅行の夜の輝きは、きっと全盲にならなければ知ることはなかったでしょう。

あの数分間を、宝物に思える僕にしてくれたのは、間違いなく、たけし君やさとし君の存在。

そしてそのきっかけをくれたのは失明という出来事。

障害がないことで彼らに出会えない人生よりは、障害と共にあることで彼らと出会えた人生の方が好き。

綺麗事ではなく、胸を張ってそう思える自分を、僕はこれからも大切にし続けたいし、その思いの中で見つけたものを言葉にしていきたいと考えています。

プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。

同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。

第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

Blog: http://ameblo.jp/funky-ryota-groove/
youtube: https://www.youtube.com/user/Ajarria

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