「不確実な未来へ」(後編)
片岡亮太
「自己実現」や「クオリティ・オブ・ライフ(QOL)」などの言葉を思い浮かべる時、僕は無意識の内に、「成功」とか、「うまくいく」といった言葉をセットにしていることがよくあります。
けれど、それは違うのかもしれないと、最近思うようになりました。
最終的に自らの行動が滞りなく運んだとしても、そこに至るまでの間に、「失敗」や「うまくいかない」など、一種のリスクを自らの意思で請け負えること。
どんな結果になるかがわからない挑戦ができたり、手探りをしながらも、不確実な未来に一歩踏み出せること。
それこそが、人の人生を唯一無二のものへと輝かせてくれる大切な要素なのかもしれない、そう感じているからです。
二十歳の時の「思い付き」を原動力に、プロの演奏家として少しずつ歩を進めている瞬間や、「もっと成長したい」という気持ちがきっかけとなって応募した、障害のある若者が海外へ出て研鑽を積むことをサポートし続けている「ダスキン愛の輪基金」の「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の第30期研修生に合格し、2011年に単身渡米した時も、「僕は今、片岡亮太だからこその人生を生きている」という確かな手ごたえと、しびれるほどの興奮がありました。
障害と共に生きていると、危険を避けるあまり、不確定なことを極力除外し、安心、安全に歩むことを周囲も自分も、気づかないうちに望んでいることが少なくないように思います。
そこには、生い立ちや社会生活の中で感じてきた弊害、重ねてきた失敗、恐怖した体験、、
何かを行おうとしたときに、いくつもの面倒なステップを踏まなければならなかったことや、「前例がないから」と眼前で門を閉ざされてしまったり、その壁の分厚さゆえにあきらめざるを得なかった経験等の量も影響しているのでしょう。
だからこそ、僕の中にチャレンジ精神や好奇心、バイタリティがあったことだけでなく、未知の世界に飛び込んで、様々な経験を重ねることを、両親や友人たちが心配しつつも見守ってくれる環境があったことは、とても幸福だったと思います。
ところが、近年、ある特定のタイミングで、「どうなるかわからない未来」を認めてもらえない息苦しさともどかしさを感じることが増えてきました。
それは電車を利用する時です。
日本では、どの路線のどの駅を利用したとしても、電車の利用において、駅員の方が視覚障害者の誘導や、到着駅の駅員さんへの連絡など、種々の対応をしてくれます。
たとえ無人駅だったとしても、駅に設置された問い合わせのための電話を使用して、乗換駅等への連絡と、誘導の手配を依頼できることは多く、そういったサポートのおかげで、僕は全国各地へ、安心、安全に出かけることができます。
一人で移動することの多い身にも関わらず、舞台に立つ者として、指定された日時に、会場に到着しているという、お客さまや主催者の方々に対して最低限お約束しなければならない条件を守り続けることがかなうのは、駅員さんたちのおかげと言っても過言ではないでしょう。
かつてはあからさまに迷惑そうな態度を示したり、どう誘導し、どこに何を連絡するかご存じなくて、こちらが一つ一つ説明しなければならないような駅員さんと出くわすことも少なくなかったのですが、そういう例は年々減り、スムーズに対処してくださる方がほとんどになりました。
頻繁に利用する駅では、顔見知りの方も増え、そういう駅員さんたちとの世間話は、僕にとっての移動の喜びの一つでもあります。
けれど最近、多くの路線において誘導のマニュアルが一新されたのか、「あれっ?」と思うことが多々あります。
例えば、熟知している駅の利用時、駅員の方に、「誘導しますか?」と尋ねられたので、「今日は必要ないです」と答えると、「それでは何かがあった時に困ります」と言われ、半ば誘導を受けることを強制されたり、そこまで言われないまでも、一人で歩く僕の後ろから駅員の方がついてきていたり、(ホームで待ち合わせしていた妻や友人から、「ずっと駅員さんが傍にいたよ」と言われて気づくことがよくあります)あるいは妻と二人で改札を通った際、「念のためどこで乗り換えてどこに行くか、情報を共有したい」と移動経路を聞かれるなど…。
これでは僕たち視覚障害者が自力と自己判断のもとで電車を利用したら危険だから、駅員に管理させろと言われているようなもの。
かつては、僕の顔を見た駅員さんが、「今日は、誘導必要ないんですか?じゃあ、くれぐれも気を付けて。遠慮はいらないので、またいつでも言ってくださいね」と、改札で見送ってくださったり、「片岡さん、ちょっと走ろう。しっかり誘導するから大丈夫。少しでも早く帰れたほうがいいだろうから、2分後の電車に間に合わせるよ!」と言って、東京駅を駆け抜けてくださる方がいたり、移動を急ぐ僕の意図を尊重し、「もしかしたら到着駅の対応が間に合わないかもしれないけど、とにかく早い電車に乗ろう。ホームで駅員が来るのを待っててください。」と最速で到着する電車に案内してくださる方、降車後の目的地を聞いて、駅のすぐそばだからと、そこまで連れて行ってくださる方など、「マニュアル」ではなく、「目の前の僕」とのやり取りで、行動を決めてくださる方がたくさんいました。
ですが、現在は、マニュアルに規定された通りの誘導をすることが優先され、「駅の敷地外を案内して万が一事故が起きたら困るので」と、駅舎から10メートルと離れていない場所へ誘導することを断られてしまうことがあったり、3分もあれば十分に乗り換えが可能な駅で、おそらく車椅子の方向けに算出されていると思われる数値をもとに、「乗り換えには10分かかりますから、お客さまがおっしゃっている電車には間に合いません」と、後発の電車に乗らざるを得ない状況にされるなど、僕の意志や考えが反映されないケースが多くなり出しています。
もちろん今でもかつてのようにご対応くださる方はいて、臨機応変に対処してくださる方もおられますが、そういう方たちが、「ごめんなさい。前のような対応が今はできないんです…。」と、悔しそうにされることも度々。
ホームからの転落によって視覚障害のある方がお亡くなりになる事故は、残念ながらなかなかなくならず、一方でホームドアの設置が間に合っていないことなどから、安全を最優先に考えなければいけないことは理解しています。
また、現在のシステムが運用されるようになった背景には、それを肯定し得るだけの過去のトラブルなどもあったのでしょう。
けれど、「一人で歩かれたら危険」という前提で、僕たちの意思や判断力、独力で歩くという主体性を奪うように手配されるサポートは、果たして誰のために実施されるものなのか。
そのような対応が拡充されていくことを、僕たちは公平で平等な共生社会と呼べるのでしょうか。
きっと「ノーマライゼーション」を具現化した状況とは、険しく危険な山道を上った先に見える美しい景色を求めて山行を重ねる人がいる一方で、山は登らず、良い景色は写真や動画で見られれば十分だと考える人や、現地には行きたいけれど、怪我はしたくないからロープウェイや舗装された階段などを利用して登ろうとする人がいるなど、それぞれの判断のもとで「山」を楽しめる環境があることだと思います。
駅や電車のバリアフリー化やユニバーサルデザインのシステムの構築や構造が広がっていくことの重要性は、疑うべくもないこと。
けれど、そういった取り組みの結果たどり着く場所は、うっかり転んで恥ずかしい思いをしたり、迷って、通りすがりの誰かに勇気をもって声をかけることが一切なく、機械的に導き出されたルートをただたどるだけの「失敗のない社会」ではなく、もしかしたら危険が伴うかもしれないけれど、その事実を自らの意思で引き受け、道を選択しながら歩くことで訪れる、不確実な未来をも許容できる社会であってほしいと切に願います。
*駅での誘導については、地域や鉄道会社、駅ごとで細かな対応に違いが生じることが多く、また昨今、短いスパンで体制が変化することも多々あります。
この記事は、執筆当時、僕が立ち寄った駅での経験や、友人、知人から聞き得た情報に基づいたものであることをご承知おきください。
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。