『音楽を介したチームビルディング』【後編】
わたしの
土橋:バンドを運営していく上では、現状はどうなっているのか、ここからどうしていくのかなどを議論しなくてはいけないわけですよね。そういう議論の中で人間性というのは出てくるということですか?
萌:そうですね。だから、解散の理由で、よく音楽性の違いとか言うじゃないですか。それはあまりなかったんです。
何ですれちがうかって言うと、進め方とかLIVEのペースとか、練習のペースとか、音楽以外の要素がズレていくんです。
土橋:バンドのリーダーとして萌さんがやるときに、配慮したり心掛けることはあるんですか?運営していくことについて。
萌:あー、運営していくのはすごい苦手なんです(苦笑)。
統率を取ったり、引っ張っていくことになかなか苦手意識がありますね。
だからいつも今までの人生、誰かに引っ張られて生きてきたよなーとしみじみ感じます。
一回だけ自分がリーダーでバンドをやったことがあったんですけど、そのときはただただ優しい人と組んだという感じです。
気心が知れた仲間と、ギスギスしないであろう仲間を選んで組んだんですね。
土橋:しのぎを削るという感じではないんですね?
萌:そうです。それは苦手でした。
土橋:信頼できるチームのメンバーだったってことですね。
萌:それが大事です。それがないと人がどうこうってことよりも、自分がついていけなくなっちゃうんです。
自分の意志ではじめたのに、いつの間にかチームが独り歩きして、自分の意志とは違うところに進んでいってしまうような経験が何度かありました。
他のメンバー同士が仲たがいしたり、自分の与り知らない部分で問題が起きたりしたんです。
でも、与り知らない部分ではあるんですが、結局は自分が蒔いた種だなって思うようなこともあったんです。
◇
土橋:息の長いバンドってあるじゃないですか。
ずっと走り続けているバンド。かと思えば、素晴らしい一曲を生み出して火花のように散って解散していくバンドもありますよね?
萌さんとしては、理想は、バンドは長くやりたいって考えているんですか?
萌:そうではないです。火花もいいと思っています。
土橋:どういう状態を目指して音楽をやっているんですか?
つまり、いい曲を作ることが幸せなのか、一瞬のすごいいい状態のLIVEができることが幸せなのか。どこを目指しているんですか?
萌:一瞬のすごい状態を感じるのは…それは大切ではありますね。
土橋:音楽活動の中で、その状態は割と毎回感じるんですか?
萌:いえ、ないですね。ほとんどないです。今までの人生で数えるほどです。
土橋:そのような状態を感じた時があると、あれをもう一度体験したい、あの状態に到達したいって考えるんですか?
萌:いや、そうではないです。そこは終わったんだって思います。曲とか作っていても同じです。
すごくいい曲できたなって達成感を感じたり、自分で聞いて高揚感を感じて満足することがあるんですけど、それは何物にも代えがたいことではありますが、でもそこに到達しない曲もそれはそれでいいというか、いろんな曲が点として散らばっているだけって感じます。そこに優劣はありません。
土橋:「あの瞬間」が訪れるかもしれないし、訪れないかもしれないけど、それはそのときになってみないと分からないじゃないかっていうことですかね?
萌:「あの瞬間」を数値であらわすこともできませんし、すぐに忘れちゃうので「もう一度!」って思うよりも、たとえ「あの瞬間」が訪れなくても、その時その時で毎回これは素晴らしいって感じられると思うんです。
土橋:萌さんの中にはどこか達観している部分がありますよね。
一緒に仕事したり、音楽活動している中でよく感じます。
次も「あの瞬間」が起こるかもしれないけど、起こらないかもしれないよねっていう考え方とか、結構、諸行無常ですよね。
萌:諸行無常かもしれないですね(笑)。
土橋:そのような考え方は、どこから形作られたんですか?
自分がまったくそのように考えられない、いつまでも悟れない利己的な人間なので…。
萌:いえいえ、ただ、忘れやすいだけなんですよ。
すごい悲しいことがあって、叔父さんが死んだとき、自殺だったんですけど、すごくショッキングだったけど、その記憶もだんだん薄れていってしまって…それはそれで辛いんですよ。
忘れたくないのに、でも忘れちゃう…。忘れていってしまう…。
他の人間がどうやって記憶を継続させたり、維持させたりしているのか分かりませんが、明らかに自分はちょっと欠落している部分があるんじゃないかなって思っているんです。
だから諸行無常というより…なんですかね?
土橋:かと言って、諦めみたいな開き直りでもないのかな。
「人間って忘れちゃう生き物だよね。そんな大事な人の死でさえ」と言ったような。
萌:そこにある種「哀しみ」がありますね。でも、それもまた忘れちゃうみたいな。
結構その欠落感がありますね。
土橋:そういう「哀しさ」と音楽で表現することのつながりってあるんですか?
表現しようとするモチベーションの根源にそのような「哀しさ」があるのでしょうか?
萌:………どうでしょうね。
土橋:最近考えるのは、満たされることもすごく大事なんだけど、欠落することとか不満とか足りないこともとても大事なんじゃないかってことなんです。
どうしたら満たされるんだろうってことは人はいつも考えると思うんです。
でも、よりよい欠落というのか、よりよい満たされなさをどうやって作るかも大事なんじゃないかって。
そもそもそんなものコントロールできる話ではないんだと思うんですが…。
でも例えば、パソコンもスマホもゲームも家に置いて、塩とナイフなどの限られた道具だけ持って山奥でキャンプすることって不満足な状態に自分を投げ出すことですよね。
萌:難しいですね…。
土橋:自分の中でもまとまっていないんですが…。
そんなもやもやとした状態に着地したところで、ちょうどお時間になってしまいました。
お話を聞かせていただき、今日はどうもありがとうございました。
萌:ありがとうございました。嬉しかったです。
土橋:また「わたしの」は音楽活動を再開しますので、そっちも楽しみにしています。
萌:こちらこそ楽しみです。
おわり