『ここにいるだけで』【中編】 / わたしの

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『ここにいるだけで』【中編】
わたしの

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ここにいるだけで – 前編 / わたしの | 重度訪問介護のホームケア土屋

いつだったかマイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』の中で紹介されていた暴走列車の寓話について父と話したことがある。

暴走列車の寓話とは、以下のようなものだ。

『あなたは列車の機関士です。あなたは自分の運転する列車のブレーキが壊れていることに気づきました。線路の先には5人の線路工夫がいて作業をしていました。このままだと5人の工夫を轢き殺すことになります。
ところが、あなたはその手前に引き込み線があり、その線路に切り替えるポイントがあることを発見します。そのレバーは列車の中から切り替えることが可能なのですが、切り替えた先の線路には一人の工夫が作業をしていました。
さて、あなたならどうしますか?そのまま列車を走らせて5人を轢き殺しますか?それとも線路を切り替えてひとりを轢き殺しますか?』

大概の人は少しの間でも迷うものだ。中には答えを出せずにいる者もいる。

しかし、父は即答した。

「そんなの決まってる。そのまま5人だ」

あまりの迷いない即断に驚き、少しうろたえながら私は聞いた。

「ど、どうして?」

「列車が近付いていることに気付かない5人の線路工夫が悪い。作業に入る前に、列車に轢かれるリスクを考えるべきだろう。列車が来たら逃げるという対策を取っていないといけない。もし自分が工夫なら逃げられるようにしておく」

「でも5人だよ。いいの?」

「それは関係ない。引き込み線のひとりは悪くない」

父はシンプルだ。揺るぎない。

とにかく本線は列車が来る可能性を考慮して作業にあたるべきで、その予想と対策ができていないのが悪くて、それなら轢かれるのも仕方ないという考えだ。

引き込み線の方は列車がくる予定がなかったのだから、それを想定していない工夫には罪はない。だから殺すべきではない。

これが父の論理である。

特に「もし自分が工夫なら逃げられるようにしておく」というところが父らしい発想だと言える。

「自分ならそんなへまはしない。他の人はミスするかもしれないが。自己責任だ…」

「自分が線路工夫だったら助かってる」という言葉が傑作だった。父の自己肯定感の強さをみごとに表している。

これ以上無駄な話はしたくないといったように、父は迷惑そうにし、テレビのゴルフ番組に目をやった。すぐに話は終わったのだった。

「書いておいた」と父は言った。

「えっ?」はじめは意味が分からなかった。

半年ぶりに実家に戻り、頃合いを見て約束しておいたインタビューをさせてほしいと言ったら、父は言った。

「書いておいた」

「どういうこと?」

「考えておいてほしいと言われたから、考えた」

スマートフォンを取り出して、腕を伸ばし顔の遠くに持っていって目を細める。メモのページを開く。

「ほら」と言って見せてくれたものには確かに質問の回答が書かれていた。

私は対談形式を望んでいたので、あくまでそれを見ながら対談できればいいかと思ったのだが、

「だからもういいだろう。答えたんだから」と父。一方的。

そのデータの共有の仕方を教えろと言い、教えると、私のスマートフォンに回答が送られてきた。

私はそこに書かれているものを読み上げようとした。

すると「やめろ!恥ずかしいからここで読まなくていい」と声を荒げる。

「東京に帰ってからひとりで読め」

そう言って父は自分の部屋へと戻ってしまった。

東京に戻った夜、娘を寝かしつけたあと、私はスマートフォンを開いて父親の送ってくれた回答をじっくり読ませてもらうことにした。

①子どものころの夢

『小学校のころはドッジボールと跳び箱が得意でした。
勉強よりも運動が得意だったので、そちらの道に進みたいと思いました。
中学校のころもバレーボールクラブに入り、三年間スポーツに明け暮れました。
両親とも働いていたので、家に帰って夕食の支度をしていました。
そこで料理が好きになり、料理の道に進みたいという夢を抱きました。』

「へー、そうだったんだ」

祖母がキオスクで働いていたというのは聞いたことがある。

両親にかわって学生だった父が晩御飯を作っていたのは知らなかった。それが料理人になるきっかけだったのか。

私は回答を読みながら静かにうなずいていた。

運動神経がよかったことは間違いない。どうしてその才能が自分に遺伝しなかったのか、改めて不思議に思った。

私は子どものころから運動音痴で、スポーツが大嫌いだ。

②一番幸せだったこと

『家内と結婚できたことも幸せなことですが、最初の長男が生まれたことが一番幸せだと思います。』

「えっ?」と思った。

長男とは私のことである。

私が生まれたのが、一番幸せなこと…。

『生まれて産婦人科を出たとき、思わず飛び上がってしまったことを今も鮮明に覚えています。』

私の誕生日。立春を少し過ぎた、まだまだ凍てつく寒さの朝。

産婦人科を出た父が飛び上がった姿をちょっと想像してみる。

私が生まれたことが、父の人生の一番の幸せである。

私の存在が、他者の幸せであり得る。

はじめは信じられなかった。本当に父がそんなことを思っているのだろうか。

しかし、私は横ですやすやと眠る娘に目を向けると、確かにそれはあり得ることなのだとわかった。

ここにこうしているだけで、もう誰かの幸せであり得ている。こんないい加減な、だらしない男でも。

そのことを反芻し、そして私は深い喜びを感じている自分に気がついた。

その喜びとは何かというと、浮かれるような嬉しさではなくて、漠然とではあるが「ここにいていいんだ」「そのままでいいんだ」と実感できるような深い安堵感だった。

回答はさらに続いていた。

『今の時代、親が子どもを殺したり、子どもが親を殺したり、悲惨なことだと思います。』

【後編】へつづきます。

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